2007年10月04日

最近流行(^^ゞの「魅力的な文章表現☆」について考えてみましたwwwww

 携帯電話やパソコンの普及により、日本語の文章表現は飛躍的に進歩した。
 
 いや、進歩したかどうか、本当のところはよくわからないし、正直どうなろうと知ったことではないが、ともあれ、ここ数年で人々がかつてないほどの斬新な文章を表現するようになったのは、間違いないだろう。

 たとえば、仲の良い友人やまたは恋人、あるいは母親だの父親、よしんば担任の先生や援交相手のオヤジとか、まあ誰でもかまわないが、とにかく仲の良い人物に

 「今日は楽しかったね」
 だの
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?」
 だの
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生をブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした」
 だの
 「あと一万くれたら、中出しアリだYO」
 だの、
 
 そんなような内容のメールを送ったとする。まあ、なんの工夫もない、至極ありふれた文章である。

 ところが、これらの文にいわゆる「顔文字」や「絵文字」「記号」をちょちょいと加えれば

 「今日は楽しかったね手(チョキ)
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?wwwww」
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生のことブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした\(^o^)/」
 「あと一万くれたら、中出しアリだYOグッド(上向き矢印)

 というふうに、たったこれだけの工夫をするだけで、あっという間になんだか魅力的に感じられる文章を表現することが可能になったというわけだ。

 中でも文章の語尾に「星」を付ける表現、これをはじめて「試した」人はいったい誰なのだろうか。僕自身、この表現方法をはじめて眼にしたときは、本当に感心した。

 「殺すぞ☆」
 「家、燃えた☆」
 「父危篤、スグカエレ☆」
 「シャコラー☆」
 「審判の判定は絶対や☆」
 「先日の裁判で死刑が確定しました☆」

 と、まあ、字面だけを追えばきわめて切迫した状況だが、このように言葉の最後にたったひとつ「☆」を付けるだけで、なんだか気持ち華やかな感じというか、「いやでも、そんな悲惨な状況じゃないかも」と思えてくるから不思議だ。

 いま、僕の手元に目薬についての説明書がある。先日、目薬を購入したとき、本体と一緒に封入されていたもので、そこには購入した目薬についての効能や使用上の注意等がつらつらと記されている。
 まあ、なんのひねりもないクソ面白くない文章だ。
 というか、目薬の説明書が面白い文章である必要などまったくないし、むしろ面白い文章だったらそれはそれでかなりダメなことになると思われ、とにもかくにも先ほどと同じように、この説明書の文章に「顔文字」「絵文字」「記号」等を加えてみるとこうなる。
 
 「コンタクトで目が乾いたり(笑)、装着による不快感\(^o^)/やゴロゴロとした異物感(T_T)を感じたりパンチ・・・・普段しっかり涙を守っている目も、コンタクトレンズやパソコンの使いすぎなどで目が乾いてくると(爆)、このような様々な不快症状(ニヤリ)だけでなく、ドライアイ状態により角膜表面に傷や黒ハート障害が野球起こる可能性があります(^^ゞ
 コンタクトをしたまま目のお手入れをしたい方バッド(下向き矢印)にぴったりなのが、涙液処方のアイボントローリグッド(上向き矢印)目薬ドライアイwwwww 角膜保護成分配合のとろみのある薬液が、涙の不足で乾きがちな角膜表面にじんわり広がって(*^_^*)、うるおい感たっぷり眠い(睡眠)に目の乾きを癒します☆」

 
 もう、本当に、なんて魅力的な文章なのだろう。「アイボントローリ」の「トローリ」の部分も後ろに矢印を付けただけで、気持ちトロミがアップしようというものだ。
 そして、こんなような文章表現がマジで企業などで活用されるようになれば、日本は確実に終わりである(爆)。
posted by とんち番長 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月02日

僕が亀田を好きになれない理由2

 いよいよ亀田次男坊と現世界フライ級王者内藤による世界タイトルマッチの開催日(10・11)が目前に迫ってきた。性器の一戦、いや世紀の一戦まで、およそ一週間あまりである。
 
 とうの亀田はいうと、相変わらずパフォーマンスに余念がないようで、先日は三男坊がアマチュア・ボクシングの試合で判定負け。例の長男VSランダエタの試合で「疑惑の判定」という声が持ち上がったときは「審判の判定は絶対や(笑)」だののたまっていたくせに、いざ自分らが判定で負けるとすかさず猛抗議。数日後に判定が覆り無効試合にさせたかと思ったら、なんとその次に行われた試合までも判定負け。するとなんたることか、前の無効試合ともども「ほとんどなかったこと」にするという亀田家一世一代の一発ギャグを敢行したものの、そんなお笑いセンス0のギャグなんかで大衆が爆笑してくれるはずもない。
 
 ちなみに本日付のスポーツニュースでは、亀田関連の記事として

 「大毅VS内藤戦で前代未聞の乱闘保険」(スポーツナビ)
 
 とあり、なんでも亀田が所属している協栄ジムがファン同士の乱闘対策として、観客1万人に対し傷害保険をかけるらしい。
 またしても亀田流の一発ギャグを得意満面かましたつもりなのだろうが、正直、絶望的なまでにさっぱり笑えない。「笑いは諦めろ」と、こないだあれほど僕が忠告したにもかかわらずまだやるかと、呆れるばかりだ。

 そして、相も変わらず僕は亀田を好きになれない。
 いや、ここまで好きになれないのは、きっと、こないだ書いたこと以外にも、なにか理由があるからじゃないか。

 というわけで、僕が亀田を好きになれない理由を改めて考えてみた。

@3兄弟だから
 高嶋兄弟やマラソンの宗兄弟、おすぎとピーコなどを見ればわかるとおり、社会で大成するのはほとんど例外なく2兄弟である。やはり3兄弟だと、かなり中途半端な印象は否めない。いっそ5兄弟(ゴレンジャー)6兄弟(おそ松くん)くらいいってればまだなんとかなったかもしれないが、すでにオヤジは離婚しているそうだし、実現性は皆無に等しいだろう。残念だ。

Aボクサーだから
 辰吉、畑山といったかつてのカリスマ・ボクサーたちが表舞台を去り(辰吉はまだかろうじて現役だが)、テレビ視聴率は軒並み低下。スポンサーを獲得するのにも一苦労という現在のボクシング界で、カリスマのカの字もない亀田ごときがスターになるなんて、小学校低学年程度の学力があれば土台無茶な話だと、あまりよく考えなくとも普通わかるはずだ。
 なぜプロ野球選手を目指さなかったのだろうか。ボクシング同様、人気が下降気味とはいえ、まだまだプロ野球は国民的スポーツの地位を得ているはずである。
 関西人なのに、なぜ甲子園を目指さなかったのだろうか。
 なぜプロに入り、打点王を目指さなかったのか。
 まあ打点王は無理としても、亀田ほどの逸材ならベイスターズで一軍ベンチ(代打の切り札)くらいは狙えたはずである。残念だ。

Bオトコだから
 やはり男子たるもの、求めるのはオトコよりもオメコであろう。

C日本人だから
 せめてコンガ人あたりであったなら、と思う。

D沢尻エリカじゃないから
 いまもっとも旬で注目すべき人物といえば、亀田ではなく、この人だろう。

E吹石一恵でもないから
 いや何気に好きなの僕。

F亀田だから
 結局のところ、これに尽きると思った。
 いろいろ考えたが、これしかないだろうと。
 というか、考えるまでもなくわかってた。
 ともかく、生理的にダメなのである。

 亀田でなければ、それでいい。
 顔を整形し、禅寺に入るなどし心を清め、いっそのこと名前も「苫篠」あたりに改名してくれれば、個人的には有り難い。
タグ:亀田
posted by とんち番長 at 21:37| Comment(5) | TrackBack(1) | スポーツを観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

なさけない&はずかしい

 先日のリキッドルーム公演へ行った翌日、近所のコンビニへ行き、「HOLIDAY INN BLACK」なる来月開催されるライヴ・イベントのチケットを購入してきた。

 当日出演するバンドのひとつであるモーサム・トーンベンダーが観たい僕と、モーサムのCDを貸したらえらく気に入り、かつまた、おなじく同イベントのラインナップに名を連ねている『9mm Parabellum bullet』なる、今売り出し中のロック・バンドのファンである友人との間で意見が一致し、もともと行くことがほとんど決定していたのだが、いつのまにかザゼン・ボーイズの出演も決まっていたとあって、これはどうしたって行かないわけにはいかない。
 ようやく新体制のザゼン・ボーイズをこの眼で拝めるとあってとても楽しみだし、おまけにモーサムだって出るのだ。大型フェスを除けば、ザゼンとモーサムがこういう形で、同日に、おなじステージで演奏するのは、はじめてではないだろうか。

 両バンドで思い出すのは、あれは5年ほど前だったろうか。当時向井秀徳が率いていたバンドであるナンバーガールと、現在と比べてまだまだ知名度が低かったモーサムが、まさしく同じステージで演奏を果たしたライヴ・イベントのことだ。
 その日こそ、当時ナンバーガールに入れ込んでいた僕にとって初ナンバーガール・ライヴであり、と同時に、モーサムの音楽をはじめて耳にし、魅了され、そして後日、彼らのCDを購入することになったのである。

 そういった意味で、両者の共演は、というか同日おなじ舞台に立つだけでべつに「共演」はしないだろうが、ともかくなんだか感慨深いものがある。
 
 友人が絶賛し、CDも聴かせてもらった「9mm〜」なるバンドは、なかなかにキレがある演奏、リズム隊もかなり凝った感じだったので、こちらも注目だ。ヴォーカルの人の声にさほど迫力を感じなかったというか、若干好みとは違う感じがしたが、ナマの演奏を観れば印象が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 それにしても、ライヴを知り合いと観に行くことに、いまだ馴れない。ライヴが行われているまさにその最中、
 
 「一緒に来たこの人(友人とか知人とか)は、楽しめているのだろうか」

 と、べつに僕が舞台で演奏しているわけでも、ましてやその日のライヴを主催しているわけでもないのに、なんだか気になってしまう自分がいるからであり、馬鹿としか言いようがないし、なるべくライヴに集中しようと思うのだが、じっさい気になってしまうのだからしかたがない。
 
 しかしそれよりも厄介なことは、ライヴの最中、「わあ!」だの「ギャー!」だの「フォー!」だの「うぽ!」だの「ぬべら!」だの奇声を上げながらノリノリにはっちゃけている自分の姿を、知り合いに見られたくないことだ。
 ついでに、おなじように知り合いがノリノリにはっちゃけている姿を僕は絶対に見たくなく、じっさい「わあ!」だの「ギャー!」だの「ずべ!」だの「ごぶへ!」だの奇声を上げながら大騒ぎしている「奴」をライヴの最中に運悪く目撃してしまったことがあり、そのときは一気に現実に戻されたというか、単刀直入に言うと、萎えた。

 もちろん、我々はミュージシャンのライヴをまずなによりも観に来たのであり、ライヴの最中に友人とか知人がどうはっちゃけようと僕が知ったことではなく、友人・知人だって同じ考えだろう。というか、わざわざそんなことを考えたりさえしないのかもしれない。そんなことはわかっている。わかっているが、ダメなのである。他人の眼など一切気にしないような人間や、会話の語尾に「でやんす」とか「パーでんねん」
とか必ずくっつけるような、なんかそういう普段からひどくおどけた感じのキャラである輩などは、ライヴでの醜態を友人とか知人に見られようがどうってことはないのだろうが、僕はダメなのだ。見られたくないし、見たかないのである。

 ライヴとは非日常的空間である。僕もすこぶる高まったテンションで、普段では絶対しないような行動をやらかしているだろうことは、容易に想像できる。そういった行動は、絶対に友人や知人に見られてはならない。

 だからライヴが開演し、バンドのメンバーらが舞台に登場してきた刹那、ぎゅうぎゅう詰めで大騒ぎしている客らにまぎれて、隣り合っていた友人・知人から、わざと離れるのだ。
 長年のライヴ観覧で僕が身につけた、高等技術である。
 まあ、この「高等技術」を実践しているときの僕が、傍から見れば一番滑稽なのかもしれないが。
posted by とんち番長 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽を聴く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

僕が亀田を好きになれない理由

 次男坊の世界タイトル戦、しかも一家にとってはプロ初となる日本人選手との試合が近づいてきたためか、ここ最近は比較的おとなしかった亀田家に関する話題が新聞紙面等でまたぞろ眼にするようになってきた。

 そして、亀田一家がメディアで大々的に取り上げられるようになってからもうかなり経つというのに、僕は相変わらず亀田を好きになれない。
 っていうか、むしろ嫌悪感のほうが日ごとに増すばかりだったりする。

 なぜだろう。

 亀田にまつわる重要なキーワードとして「生意気」があると思うが、じつのところ、生意気なスポーツ選手なんて、いくらだっている。っていうか、純粋実力主義のスポーツの世界で一流としてやっていくためには、常人離れした強靭な精神力、つまり、ある程度の生意気さが必要なのだ。

 じっさい、同じボクシングで言えば、辰吉や畑山もじゅうにぶんに生意気だったし、野球だったら野茂やイチロー、サッカーのカズや中田、格闘技の魔袈斗や山本KIDなど、いちスポーツの頂点に属する一流アスリートたちは、ほとんど揃いも揃って生意気だ(だった)。

 亀田と同様、僕は彼らが嫌いだった。

 「まだ新人のクセに、なんて生意気なオ○ンコ野郎なんだ!」

 と、スポットライトを浴びてからまだ日も浅い彼らが活躍するたびに苦々しい思いをしていたわけだが、ある程度の年月が過ぎ、気づけば彼らの生意気さがまったく気にならなくなっていた。
 というのも、その「生意気」と「実力」が等価値であるということを、その後の彼らの輝かしい活躍ぶりを観せられるにつけ、実感させられるからだ。
 そうして、嫌悪を感じていた彼らの「生意気」ぶりも、いつの間にか「かっこよさ」だったり「頼もしさ」だったりに心境変化せざるを得なくなるわけである。

 ところが、いまだ連戦連勝し続ける亀田家の一挙一動を観ても、僕はまったく心が動かされないでいる。
 なぜか。

@試合がつまらないから
 プロ入りしてから長男次男ともいまだ負けなしの亀田家であるが、僕の記憶上、これまでスカっと胸のすくような試合をしてくれたことは一度もない。
 なんだか対戦相手が弱そうな奴ばかりだったり(本当は強いのかもしれないが、そういうふうにしか見えない)、「おっ、今回の相手は、珍しく強そうだな」というパターンもあるにはあったが、そういうときの場合は「亀田とKOはセットや(笑)」とか言っているわりに、結局判定決着で終わってしまったりする。
 まあ、対戦相手を「必要以上に弱く見せる」のは、じつは亀田の高等技術なのかもしれないが、いずれにせよ、ある程度目が肥えたボクシング・ファンを唸らせる試合はまだ見せられていないのではないだろうか。

Aギャグがつまらないから
 亀田による一連の「パフォーマンス」を挙げてみよう。

亀田、ランダエタのニックネーム、“ベイビー”にあやかって、キューピーちゃんの人形を渡す!(ランダエタ戦)
亀田、サマン倒してさんまに来場アピール!? 前日計量をパスし、“亀田節”ますます好調(サマン・ソーチャトロン戦)
亀田、「カエル」のおもちゃで「ノエル」アランブレットを挑発(ノエル・アランブレッド戦)
亀田、「キットカットできっと勝つ!?」(ランダエタ戦←2戦目)

 なんてな感じで改めてピックアップしてみたわけだが、いやあまりのつまらなさに改めてびっくりしてしまった。
 もう、なんというか、違った意味で「相当なもの」だと言わざるを得ないだろう、これは。
 
 まあ、いわずもがな亀田はボクサーであり、たとえギャグがつまらなくても職業的にはなんら問題ないはずなのだが、彼らの出身地といえば笑いの本場・大阪、それがことをきわめて深刻にしているのは間違いない。
 
 「吉本なのに……」
 
 いや、べつに亀田はお笑い芸人じゃないので吉本興業に所属しているわけはないと思うが、やはり「関西=お笑い」である。
 「関西人のくせに」と、その「尋常でないつまらなさ」に、つい毒づいてしまいたくなるのだ。
 じっさい笑いという観点で亀田を評価できるものとしては、『君が代』をT-BOLANに歌わせたことぐらいだろうが、これにしたって「ボラン頼み」であり、正直、「笑いのセンスはゼロ」と断言するほかないだろう。
 
 小さいころにいじめられていたという亀田だが、それは大阪にいながらにして彼の笑いのセンスがゼロであったことが原因であり、有名になったその特権として、「己のお笑いセンスが間違っていなかった」ことをかつてのいじめっこたちに証明しようと、いまになって躍起になっているのではないか。
 
 しかし、亀田よ。
 
 キミが注目されているのはボクシングをやっているおかげであり、
 
 「どんなもんじゃい! ワシは笑いの実力も世界一じゃい!(笑)」
 
 と、もし考えているのならば、それは見当違いも甚だしい。
 
 そんな憶測さえ立ててしまうほど、つまらないギャグを連発する彼の行動は、異様な不可解さに満ちている。

 二兎を追うものは一兎を得ず。

 さんざっぱらバッシングは浴びたのだから、真の人気者・亀田として飛躍するため、ここらでいいかげん「笑い」を捨てるべきではないだろうか。

 というか、ぜひ捨ててほしい。心底そう願う。
 だって、「本当につまらない」のだ。
 このままだと僕は、未来永劫、亀田を好きになれないではないか。
タグ:亀田
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2007年08月21日

H袋氏の元ファンで町田康のライヴを一度見たことがある僕が考えてみた

 町田康さん真相激白……布袋の暴行事件『女性自身』寄稿(スポーツ報知)

 とりあえずこの記事を読んでわかったのは、パンクロック(町田康)的に『女性自身』は「アリ」ということである。
 
 だったら、これらはどうなのか。

 「町田康さん真相激白……布袋の暴行事件『コロコロコミック』寄稿」
 「町田康さん真相激白……布袋の暴行事件『鉄道ファン』寄稿」

 いや、子供や鉄道好きがこの事件に関心があるとは、ちょっと思えないのだ。

 「町田康さん……布袋の暴行事件で『デラべっぴん』寄稿」
 「町田康さん……布袋の暴行事件で『素敵な奥さん』寄稿」

  まあしかし、今の時代、ことを語るうえでもっとも適している場は、やはりネットである。

 「町田康、『2ちゃんねる』で真相激白」
 「町田康、『くまのプーさんファンサイト』で真相激白」

 あえて時代に逆行しアナクロな手法で攻めてみるのも、ある意味、インパクト大かもしれない。

 「町田康、地元の回覧板で真相激白」
  
 むろん、ここまできたらさすがのH袋氏も黙っているはずがないだろう。

 「H袋、伝書鳩で町田康に反論」
 
 いややっぱり、お互いのブログ上とかでやりあったほうがいいんじゃないでしょうか。
タグ:町田康 布袋
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2007年04月25日

未曾有の出版不況に一筋の光〜『週刊プレイボーイ』(07年5月7/14日超特大合併号)

 プレイボーイ

 どうやら出版不況が止まらないようです。つい先日は、プロレス・ファンの間でバイブル的書物として長らく親しまれてきた『週刊ゴング』が休刊となり、かつて愛読していた僕としても非常に残念に感じていた次第なのですが、驚いている間もなく今度は、我が国で唯一のヒップホップ・ミュージック専門誌であるらしい『BLAST』誌までもが同様に休刊というニュースを訊きつけました。
 いよいよ本格的に歯止めの利かない状況になりつつあるなと、雑誌をひとつの情報源として大いに有効活用させたもらった世代の人間であれば思わず心配してしまうのも無理からぬ話です。

 このような嘆かわしい現状となってしまったのは、もちろん社会自体の不況のせいも大きいのでしょうが、一番の発端はやはり、インターネットの大々的な普及にあることに間違いありません。なにしろ、パソコンを使ってインターネットに回線を繋げさえすれば、自宅に居ながらにして自分が欲しい情報を好きなだけ自由に手に入れることが出来るのですから、これはどうしたってそうなります。
 第一、嘆かわしいなどと書いている僕自身が、そういった現状に満足し、いまや定期購読している雑誌がひとつもないということがそれを如実に証明していると言えるのかもしれません。

 もっとも、だからといって「雑誌=死にゆくメディア」と判断するのは、さすがに早計に過ぎるでしょう。というか、雑誌は断じて死にません。『週刊プレイボーイ』誌07年5月7/14日超特大合併号の内容を伝える中刷り広告を目にしたいまとなっては、尚更そう強く思うのです。

 件の広告を拝見して、まず真っ先に目に付いたのは、『怒りのワイド』なる興味深い一文で、その上部には「許してなるものか!」というなんとも強烈なセリフが踊っています。おそらくはこの『怒りのワイド』こそが、件の超特大合併号における特集記事のタイトルであり、ああ、とりあえずなんだか怒っているのだな、ということは誰しもが理解できます。じっさい、「許してなるものか!」というセリフの隣には、

 「ウラでは銃社会暴力国家ニッポンの現実」
 「ヒドすぎるぞ! アマスポーツ『裏金汚染』」


 といった具体的なフレーズが続けざまに綴られており、貴誌の怒り具合が否が応にも伝わってこようというものです。
 
 さらに『怒りのワイド』は

 「赤坂より豪華!? 参院宿舎なんていらねーよ」

 と続くのですが、一方でそのまま広告の中央に目を移すと、

 「特大ピンナップがついてくる!」

 というセリフ付きで水着姿のリア・ディゾンが、なんとも妖艶な視線をこちらに向かって投げかけているのが確認できます。
 
 尚も『怒りのワイド』は留まることを知らず、

 「マカオ資金やっぱりボッタクリかい、北朝鮮!」

 と来て、その傍ら、中央のリア・ディゾンの隣には

 「ティーンズ美尻15連発!」

 との、やはり別個の記事なのでしょう、なんとも扇情的なキャプションがあり、で、またもや

 「情けないぞ、千葉県警! 英会話教師殺人『捕り逃がし』」

 などと『怒りのワイド』が来たと思ったら、そのまま視線を左下のほうに移すと、そこには

 「南波杏『緊縛』袋とじヌード」

 だのと、同じ広告内になんだか誇らしげに書かれてあったりするのです。

 この、なんというか、なんでもかんでもぶち込むようなゴッタ煮感というか、社会の不正に対して「許すまじ!」と激しく憤りつつ、他方右手ではしっかりとチンポをシゴいているかのごときアンビバレントな感じ。たとえば、安部内閣の政治手腕に対してきわめて鋭い意見を投げかけつつ、他方では己が購入したAVについての事細かな論評が一緒くたになっているようなブログなど、まあ、なくはないでしょうが、そう多くはないと思われ、そういった意味では『プレイボーイ』誌のほうが断然、その独自性が抜きん出ていると言えるのではないでしょうか。

 というわけで、まだまだ元気そうなので、しばらくは大丈夫と言っていいんじゃないかと思います、雑誌。
 少なくとも「男性誌」は。

 ただ、ひとつだけ問題点がないではなく、それというのは、この『プレイボーイ』誌をはじめとする男性誌を、たとえば通勤電車の中などで、果たして「どういう顔して読めばいいのか」ということでしょう。
 難しい顔して読めばいいのか、それとも、ニヤニヤしながら読めばいいのか。
 まあ、難しい顔をしつつニヤニヤしながら読むのが正しいのでしょうけど。
posted by とんち番長 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 本を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

店員さんの親切には困ってしまいます

 プリンシェイク.jpg

 普段生活していると、商店なり食べ物屋なりの店員さんがひどく親切なことに気づかされます。やれ「いらっしゃいませ」だの、「ありがとうございました」だの、「またお越しくださいませ」だの、プライベートの生活においてもきっと同じように親切なのだろうと思われる人も、あるいはどうやらそうではないっぽい人も、いざお店の店員という立場になれば、とてつもなく親切な人間になります。

 こう書くと大半の方がやはり、あの『ブックオフ』を思い浮かべるのではないでしょうか。
 
 以前、ごく短期間ではあったにせよブックオフで働いたことがある立場としてその内部事情をいくつか書かせていただきましたが、僕にとってブックオフの店員さんとは、良好な気分のときは

 「すいません。ちょっとお静かにしていただけませんか?」

 であり、

 険悪な気分のときは

 「うるせえよ馬鹿野郎」

 であるわけで、どちらにせよあまり心地良いものとはいえません。

 あと、飲み屋なんかで注文するたびに「ハイ、喜んで!」などといちいち言ってくるお店も苦手であったりします。

 「そうか。おぬし、喜んでいるのか。ぬはははは」

 みたいに江戸時代の大名のごとく豪快に振る舞ったりする人もきっといるのでしょうけど、僕の場合は「なにを大袈裟な」と思ってしまうのです。というか、ウザいです。申し訳ないとは思いつつも、どうも僕は過剰な親切にウンザリしてしまう体質のようなのです。

 そんな僕なので、これ見よがしにとばかりに過剰な親切を嫌というほど見せつけてくれる美容室なんかも苦手なわけで、かといって床屋で主人の世間話に付き合わされるのも嫌だし、なのでものの試しにと、最近町でよく見かける1000円ポッキリしか取らないという激安散髪屋、ここだったらいくらなんでも親切じゃねえだろう、というわけで行ってみたのです。

 で、これがかなりの驚きでした。

 主人の世間話や肩揉みはおろか洗髪さえも大胆に省かれているのが多少影響しているにせよ、なんせ美容室や床屋さんで30〜40分はかけて切られる僕の髪が激安のところだとわずか5分程度で仕上がってしまったのです。まあそれもそのはずで、普通の美容室や床屋の店員さんのハサミ捌きが「美女の乳首をやさしく愛撫するかのごとき」だったとしたら、激安店のそれは「ブスのマ○コを嫌々クンニするかのごとき」というか、要するに、ひどくぞんざいだったからなのですが。
 
 ともかく、普通のお店では考えられないペースで次々とお客さんの髪が切られていくので、なんだか養豚場でさばかれるのを待っているブタにでもなったような気分さえ味わえました。お世辞にもよろしい見栄えとはいえない仕上がりとなってしまいましたが、「僕なんて格好つけたってべつにもてるわけじゃないのだし、これでいいのだ」と思うようにしています。

 でも、これがバイク屋の場合になると話はかなり違ってきます。
 
 僕はそこそこ大きめのバイクを生意気にも持っていて、なので、当然たまにはバイク屋へ行ったりもするのですが、店員の方の態度がなんだか客を上から見下しているというか、

 「やい、てめえ。ここに来るくらいだから、バイクの知識は大方備わっているんだろうな」

 みたいな無言の圧力を感じるのは僕だけでしょうか。

 なんてなことをこないだ友人に話したら、「あ、俺も俺も!」と、もの凄い勢いで同意してくれました。
 幸いその友人はバイクに相当詳しいのでことなきを得ているみたいですが、僕はバイクに対して「便利な乗り物」という思い以上の特別な感情はほとんどないのでナメられっぱなしです。「いや、べつにナメてないよ」とあるいは人は言うのかもしれませんが、いずれにせよ、さすがにこれはどうにかして欲しいと切実に思う次第なのです。

 とはいえ、おそらくバイク屋の場合は例外中の例外で、お店のほとんどの店員さんはやはりみな一様に親切であり、それは素晴らしいことであるな、と僕は思う一方、でもやっぱり困ってしまうな、というのが正直なところであったりもします。
 
 ポッカさんが自動販売機などで売っている『プリンシェイク』という、「5回振ってから飲んでネ」なんていう言葉が缶の表面に書かれてあって、じっさいそのとおりにすると中のプリンが上手い具合に崩れておいしく飲める缶ジュースがあり、僕は大層気に入っているのですが、これだってひょっとしたら、自販機を管理している人があらかじめ5回振ってから機械のほうに入れてくれているのかもしれない。そう考えると、さすがにクールを決め込んでいる僕の顔にも自然と笑みがこぼれたりもするのですが。
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2006年12月15日

ヂョーヂ高橋のオールナイトニッポン〜第6夜

 The Very Best Of 1982-1992

 オッス! オラ、ヂョーヂ! 今日も絶対聞いてくれよな!

 ……というわけで、冒頭からいきなり爆笑一発ギャグをぶちかましつつ今日もはじまっちゃったわけだけども、

 「や、べつにわざわざそこまでやんなくてもいいじゃんよォ!」

 てなことを今日こそは声を大にして言いたいオレなわけよ。

 そもそも「我が国を代表する魂のロック・シンガー!」。な。オレであることはいまさらお前らにいちいち説明するまでもなく自明なことであるわけだけども、ロックなるものを愛する人間である以上、やっぱ音楽雑誌とかそういうそっち系の本を色々と読むわけ。

 で、だ。

 「ジム・モリソン」っているだろ、ドアーズの。 や、べつに「ブライアン・ウィルソン」でもいいんだよ、ビーチ・ボーズの。この人らの名前が読む本とかでたまぁーに

 「ジム・モリ“スン”」
 
 だの
 
 「ブライアン・ウィル“スン”」
 
 とかいう表記名になってんの。
 
 『ロッキング・オン』とかそっち系じゃないよ。ああいうのよりはもっと硬派で、どっちかっつうとアカデミックな評論を展開しているような音楽誌。

 「え? これってどうなのよ?」
 って話。

 いやね、たしかに英語的に発音すれば、「モリスン」や「ウィルスン」のほうが正しいのかもしれない。いや、知らないけど。ま、そうなんだろうね、おそらくは。
 でもね、でもだよ、オレ思うんだけどさあ……

 「『モリスン』とか『ウィルスン』とか、いまさらそんなふうに呼ぶのって、なんてえの?…マヌケじゃねえ?…逆にイケてなくね?」
 
 って、オレは思うわけよ。 

 いいじゃん! べつに。「モリソン」で! 「ウィルソン」でさあ! おそらく日本のロック・リスナーのほとんどがそういうふうに呼ぶように認識してるわけであって、だったらそれでいいじゃん! と。
 ていうかだね、そもそも英語の発音を日本語にするのが大体からしてかなり無理がある話なわけで、それがね、いくら「モリスン」だの「ウィルスン」が正しいからって、いまさら困る! ってわけ。
 しかも
 
 「デビッド・ボウイ」→「“デイヴィッド”・ボウイ」
 
 とか
 
 「エイフェックス・ツイン」→「エイフェックス・“トゥ”イン」
 
 とか、挙句の果てには
 
 「キング・クリムゾン」→「キング・クリム“ズン”」
 
 って、あのさあ、「ベホマズン」じゃないんだからさあ。んなところまでいちいちこだわらなくても、こちとらべつにそんなん気にしてませんぜ、って話。

 だいたいからして、そうなるとじっさい大変よ。ほんとに。だってだね、

 「ハーレー・ダビットソン」→「ハーレー・“デイヴィッドスン”」
 
 みたいにそりゃあもう呼びなおさなきゃならないわけで、
 
 うわああああああなんかダっセせえええええええええええええええ!

 で、
 
 「チャック・ウィルソン」→「チャック・ウィル“スン”」

 こんなのオレたちが馴れ親しんできたチャックじゃねえよ! って、そりゃあ誰だってそう思いますよ、本気の話。

 しまいにゃあ、
 
 「損保保険加入」→「“スン”保保険加入」
 
 「損害賠償請求」→「“スン”害賠償請求」
 
 「オッス! オラ、孫悟空!」→「オッス! オラ、“スン”悟空!」

 みたいなことにまでなるわけで、

 うわあああああああめんどくっせえええええええええええ、し、なんかいやぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!

 ま、そういうわけ。ようするに。オレが今日、言いたかったのは。

 まあ、しかしだ。なこと言いつつアレだけど、「ブルース・ウィリス」を「ブルース・ウィ“ルス”」と呼ぶ奴だけはオレも許せない! 
 
 病原菌じゃん! それって。綴りからいってもあきらかに「ウィ“リス”」でしょアレは! 
 
 とくに自称映画通とか映画評論家だのっつってテレビとか出てる奴にかぎってこう呼ぶ奴が多い! なぜか! 非道いときになると映画関連の本なんかにも「ウィルス」なんて載せてやがるんもんだから、もーね、この国の文化レベルの衰退は相当なとこまでキテやがるな、と怒り嘆き悲しむオレだったりするわけだね。

 しっかりせえよ! もう!

 なんてな感じで今日はいつになくアツく語っちゃったわけだけども、そろそろ1発目の曲、ぶっぱなす? 一本いっとく? よっしゃ!

 って、……いや、あのね、ま、さっきの話に戻るんだけど、なんのかんの言いつつだね、多勢に無勢って言うけどさあ、そういう決まりきった物事を正していくって、ある意味、相当な覚悟だよ。誠実な姿勢だよ。あきらかに。そういう誤りをだね、正しいモノに直していこうとしている人たち……感謝しなきゃダメだね。なんとなくそう思ったね。うん。ヂョーヂ、そう感じた。
 
 ま、アレだね、ほんとこういう人たちには頭が下がるっていうか、頑張れよって思わず応援しちまうっていうか、なんてえのこういうの? …… 「ほっとけない」っていうか。

 というわけで本日1発目にぶっぱなす曲です、聴いてください、楠瀬誠志郎で、『ほっとけないよ』――。
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2006年12月11日

ヂョーヂ高橋のオールナイトニッポン〜第5夜

 Xie Xie(永遠の途中)

 オッス! 前に話したよね、俺がスポーツ大好き人間だってこと。あのさあ、ザ・ヴァーヴっていうね、あのね、イギリスのね、ロック・チームがあってね……あっ! ロック・チームってのは言わずもがなロック・バンドのことで、いま、オレんなかで流行ってる言葉なんだけどもね、や、誰も言わないよねロック・チームなんて。
 
 ま、しょせん流行り言葉だからね。気にしないでほしい。

 とはいえ、テレビ画面に映っているオレのことは常時気にしてほしいところだね。先週も日テレTBS等、ありとあらゆる番組出まくりだよね。もう、バリバリ。

 で、その話はひとまず置いといてだね、あのね、そのヴァーヴってロック・チームが解散してね、そこんところのヴォーカリストであるリチャード・アシュクロフトっていう人がこないだソロの3作目であるアルバムを出したんだけど、その国内盤CDのライナーにね、

 「スポーツと音楽以外に、人々が心から信じているものなんて一体なにがあるっていうんだ?」

 っていうリチャード自身が口にした言葉が載っててさあ、

 「って、これってオレが前々から思ってたことじゃん!」

 っていう、なに? なんていったらいいの? その、あの、

 「えっ!? お笑い芸人だのハリウッドだのにパクられまくってきたオレだが、ついに心の中までパクられるようになったか!」 

 そんな心境なんですわ。
 あ〜あ。これだからスターはタ〜イヘン。

 で、スポーツ!  

 あのさあ、前々から思ってたんだけどさあ〜……ゴルフってダメくね? イモくね? イケてなくね? そのことを、オレ、声を大にして言いたいわけよ。

 お前らもいま一度、冷静になって考えていただきたい。

 上半身がポロシャツ、んで下がチノパン。しかもこともあろうに、キャップまで被ってる奴がいる。それが試合着。

 ありえない。

 「なにその、日曜日にオヤジがコンビニにタバコ買いに行くような格好?」
 みたいな。

 しかも、試合中の移動はチンタラ歩きとくる。

 「なにその、完璧リラックス・ムード?」
 
 ダラダラやってんじゃないよォ! もう!

 いや。わかってるのよ、じゅうじゅうわかってんの! 別にダラダラやってるわけでもなければ、むしろものすごーく真剣に勝負しているってことは、それはわかってるんですわ、わかってるんだけどもね、あんなような格好であんなふうに試合してたらさあ……やっぱダメくね? 
 
 スポーツにあるべき、躍動感、スピード感、ダイナミズムが欠如してるのは明白だぜ! こいつはイカン!

 そこで提案。
 まず上半身タンクトップで下は海パン、これが試合着。
 とにかく基本的にダラダラ見えがちなスポーツなもんで、なるたけ肌を露出するのがよろしい。
 で、コースを移動するときは、もちダッシュ。あと、たまに野球のリリーフカーみたいなのに乗って移動してる奴見るけど、あれ、やめろ。ますますジジくさいから。ハーレー乗れやハーレー。オレの貸してやっからよ。
 
 これでゴルフに足りないドキドキ感が否が応にも伝わってこようというものだヨネ!

 よっしゃ! じゃ話がうまくまとまったところで、とっとと曲紹介いってみようか! 今日一発目にかける曲は……一言で言うと、激しくヤバい! 
 略して激ヤバ。

 というのも、いままであらゆる方面から歌手転向が待ち望まれていた、あの日本を代表する俳優のデビュー曲だからなのサ! 彼のあの魅惑のハイトーン・ヴォイスが存分に生かされた激ヤバ・ロック・ナンバーだね! お待たせ!
 それじゃ本日の1曲目、聴いてください、大鶴義丹a.k.a“オレはマルシアの元ダンナ”で、『紅』――。
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2006年11月23日

マーズ・ヴォルタ@ZEPP東京(11月22日)

 目下の最新アルバムである『アンピュテクチャー』にイマイチ乗りきれず、ついでに個人的に良好な精神状態とはいえない今日この頃なので、「今回のライヴは100パーセント楽しめないかもしれないな……」などと思っていたのだけど、いやいや、そんな不安はまったくの杞憂に終わったのだった。とにかく、相変わらずの、もう、素晴らしく熱く、そして、この上なく凄まじい演奏! いやあ、も、興奮しっぱなし。本当に、本当に、素晴らしかった。

 とはいえ、いざこの日のライヴについて筆を進めようとしてみると、このバンドのライヴについて言いたいことは、前回・前々回のライヴ・レポートで既に書いてしまったことに気づき、本当のところかなり困ってしまったのが事実である。
 もちろん、今回のライヴの内容は前回からのさらなる飛躍を感じさせるものではあったものの、「とにかく素晴らしい!」という意味では本質的に変わりはなく、まして世間に向けて言いたいことなど自分には基本的にないし、というか自分が世間に向けて言いたいようなことなんて既にどこかしらの誰かが自分よりもキチンとした頭と言葉で世間の皆さんに向かって発言しているだろうし、そのうえ「表現語彙も批評能力も絶望的に欠如している自分のような人間が、ひとつのバンドのライヴについて何度も感想を書きつらねるということは、なんて困難なんだ」という、薄々感づいてはいたけれどあまり深く考え込まないようにと都合よく脳内スルーするようにしていた嫌な問題も否応なしに実感させられてしまった。
 ああ、これは本当に困った! まさに四面楚歌とはこのことだ。
 しかしながら、社会的にいえば天と地の真逆の立場になるが、いろいろの問題でさぞや困り果てているだろう中村獅童の現在の心境が少し理解できなんとなくスター気分になれたので、まあこれはこれで良しとしたいと思う。なにが良しなのか自分でもよくわからないが。

 話をマーズ・ヴォルタのライヴに戻すと、細かいところをつっつけば触れておくべき材料がもちろんなかったわけではない。
 たとえば、この日のなによりの関心事であったのは、やはり最新アルバム完成後にバンドを離れてしまった超人ドラマー、ジョン・セオドアの穴がどう埋まっているか、後釜に座った新ドラマー(正式に決まった人なのかどうかはよくわからんが)の力量たるや果たしていかがなものか? ということだったが、これはまったくの無問題。前任者に負けず劣らずパワフルで凄まじい演奏をぶちかます化け物ドラマーであり、むしろ「スティックさばきの高速度に関してはこちらのほうが上なのでは?」と思えたほどである。
 さらにいえば、今回はパーカッション類の演奏も前回以上に取り入れられていて、楽曲によってはトランペット奏者も混じったそのアンサンブルは、より華やか、かつ、ファンキー&グルーヴィー。その濃厚すぎる音世界の指揮を執るオマー、そして相棒のセドリックのヴォーカルも、当然文句なくかっこよいものだった。
 またこの日は、同じフレーズを執拗に繰り返す新曲(30分以上は演っていたと思う。もしかしたら新曲ではなく、即興演奏だったのかもしれない)も披露したのだけど、それが退屈なんていうのはもちろんなく、むしろ「とってつけたようなサビもギター・ソロもまったくの無駄! マグマの氾濫のようなこの演奏に永遠に狂喜乱舞していたい!」と、絶叫&踊りまくりながらぼんやりとした頭で始終そう思っていたのだった。

 しかし、ライヴだとこれほどかっこいいのに、CDになるとイマイチになってしまうのはなぜなんだろうか。もちろん、CDでの演奏も圧倒的なまでにかっこいいのだが、どうも音質・音響的な面でとても損しているように思える。イマイチヌケが悪いというか、ほんのりダサいというか……だからCDとなると延々と続く音を繰り返し聴きたいとはあまり思えないし、じっさい、ライヴ・パフォーマンスと同等の価値を持ったアルバムは現時点では作れていないと言ってしまっていいと思う。そういった意味で言えば、現時点ではやはりマーズ・ヴォルタの真骨頂はまずなによりもライヴであり、ライヴを体感してこそ彼らの音楽の持つ魅力を100パーセント理解できる……そういったことも声を大にして言いたい。

 ……という感じで、まあ前回・前々回のライヴ評とかなりかぶってしまった部分があるけれど、これが私の限界だ。しかし、そういう意味では今回の文章は限界をきわめたライヴ評ともいえるわけで、ロック好きでありながらもこれまでマーズ・ヴォルタのライヴが未体験で、なおかつ、この文章を読んで「よっしゃ、次こそは観に行ってみよう!」と思っていただけたかたは、次回の来日公演には私がチケットを取るのを困らない程度に、出来るだけ多くのかたが会場へ足を運んでいただきたい。そして、くだらない人間が書きつづった愚かな文章でありながらある意味限界をきわめたこのライヴ評を読んでも、「一度観に行ってみようかなァ〜」とつゆほども思わなかった方は、即刻このページを閉じるかパソコンの電源を切りとっととクソして寝てほしい。


・マーズ・ヴォルタ前々回の単独来日公演(04年1月10日@渋谷クラブクアトロ)について思ったこと→こちら
・同じく前回の単独来日公演(05年2月8日@リキッドルーム恵比寿)について思ったこと→こちら
posted by とんち番長 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ライヴを観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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