2008年03月26日

五感に沁み込むワンダー・ワード〜『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 』[2008年 4/10号]

 なんでも今号が記念すべき700号目ということで久方ぶりに『Number』誌を購入した。

 一番読みたかったキングカズと辰吉の記事は大した内容ではなかったが、

 『ナンバーに刻まれた700の名言 1980〜2008』

 だとかいう、過去に『Number』誌で取材された数多のアスリートたちの名言をまとめて掲載した特集記事がとても面白い。

 我が国のアスリート界を代表する名言家として誰しもが思い浮かべるのは、やはりなんといってもミスタージャイアンツこと長嶋茂雄であろう。
 件の特集内でも当然、ミスターの数々の名言が掲載されているが、中でもとりわけ俺がしびれたのがこの名言だった。

 「水商売系のいい女性のすべすべとした肌を抱いて、その快楽の味がカンフル剤としてプレーに生きるというのはありますよね」

 ようするに、一流プロ野球選手を目指すのなら、風俗へ行ってガンガン遊びまくれ、と、ミスターはそうおっしゃっているのだろう。
 けだし名言である、って、ただのエロオヤジではないか。

 またその一方、かつて現役時代での試合中に前のランナーを追い越しアウトになってしまったことについて

 「早い話が、前の走者がグズだったんですね」

 などと、もの凄くひどいことを言っていたりもして、これなんかも聖人君子や神様ではない人間・長嶋茂雄の実像が垣間見られる素晴らしい名言といえるだろう。感動だ。

 で、そのミスターの遺伝子を受け継いだからだろうか、元読売巨人軍所属で、現在は米メジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツに在籍中である桑田真澄選手の名言もまた凄い。

 「“世界平和のための立派なピッチングができますように”と言いながらマウンドまで歩いていくんです」

 まさか桑田がそんな素晴らしい理念を掲げながら試合に臨んでいるなんて、まったく知らなかった。桑田のピッチングのどこがどうすれば世界平和に繋がるのかは俺にはよくわからないが、ともかく感動した。

 プロ野球関係者では他にも、イチローや王貞治、落合博満らの名言が多数掲載されている。その中に高橋直樹という、申し訳ないがあまりよく知らないプロ野球関係の人はこんな素晴らしい名言を残してくれている。

 「セックスは5日のローテーションです」

 とりあえず、「ああ、そうですか」と言うしかないだろう。

 我が国で野球と人気を二分するスポーツといえばサッカーである。もちろん特集ではサッカー関係者の名言も数多く掲載されている。

 「僕、将来お金をたくさん持って楽に暮らしたいんです。世界で成功したら、金も儲かるでしょ」

 現役時代の中田英寿選手による名言である。いわずもがな今や我が国を代表する高級ニート、もとい旅人して人々の羨望を集めている中田さんであり、なんだかんだで見事有言実行を果たした中田氏はいややっぱり凄い。

 同じサッカー関係者では元日本代表FWである柳沢敦選手の名言もまた良い。

 「シュートしたらいいのか、パスしたらいいのかという状況の中で、どちらがいいかを考えて、自分がパスした方がいいと思うからパスするのであって、シュートした方がいいと思った時は自分でシュートしています」

 こんな当たりまえのことをここまで堂々と言える柳沢に脱帽だ。

 「ポジションに関係なく、完璧な選手になりたいんだよ。わかるかな?」
 
 中村俊輔の名言である。なんだかむかつくのである。

 「世界は、フィジカルだよ。フィ、ジ、カ、ル。分かる?」

 同じく中村某の名言であり、ともかく「分かる?」じゃねえだろうと言いたい。なんだかむかつくのである。

 で、この中村某と柳沢某が会話したらこうなる。

 中村某「ポジションに関係なく、完璧な選手になりたいんだよ。わかるかな?」

 柳沢某「シュートしたらいいのか、パスしたらいいのかという状況の中で、どちらがいいかを考えて、自分がパスした方がいいと思うからパスするのであって、シュートした方がいいと思った時は自分でシュートしています」

 中村某「世界は、フィジカルだよ。フィ、ジ、カ、ル。分かる?」


 馬鹿の会話である。

 「男女交際とかも、プラスに変えられる人もいるんですけど、自分は絶対柔道に集中できなくなると思うんですよ」

 YAWARAちゃんこと柔道の田村亮子選手(現・谷亮子)、女子大生だったころの名言であり、この名言から理解できるのは、つまりこの時点でYAWARAちゃんはおそらく「未体験」であっただろうということで、しかしわかったところで全然嬉しくないのはどうしてだろう。まあ、この問題に関してこれ以上は口が裂けても言えないので、どうしても知りたいという方は交番にいるおまわりさんにでも聞いてほしい。

 とはいえ、そんなYAWARAちゃんでもこちらの名言にはかなわないだろう。ボクシングの名トレーナーとして我が国で数々の世界チャンピオンを育てた故エディ・タウンゼント氏の名言である。

 「石松はちょっとクレイジーね。ロードワークの途中で、急にいなくなって、オーイ、紙をくれぇー。ウンコしてるの。子供と同じよ」

 やっぱりガッツはスケールが違うと思った。

 なんてな感じで、人間的なアクの強さも一級品の一流アスリートのそれを揃えたからだろうか、掲載されていた700もの名言はどれもが独特の味わいに満ちており、たいへん素晴らしかった。必読である。

 
 Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 4/10号 [雑誌]
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2008年02月06日

あなたのこだわりをオレは何に例えよう

 言うまでもなく現在社会はこだわりでできているものだ。

 たとえばサラリーマンだったら出世と給料にこだわり、セールスマンは自社の商品を売ることにとことんこだわる。
 犯人逮捕へ執拗にこだわる刑事があれば、重篤の患者を命がけで救おうとする医師のこだわりっぷりといったらない。
 難解きわまる公式を並みはずれた頭脳でこだわり約す数学者がある一方、数学者のように難解きわまる公式をこだわり約さないかわりに、食へのこだわりのためなら実の息子との関係が険悪になるのさえ厭わぬ、そんな陶芸家兼書家兼美食家のこだわりの美学を愚かであるなぞと、いったい誰が言えるというのだろう。

 あたかも「こだわりの大海原」がごとき世の中だが、ではそんな中でもとくにこだわりに溢れた職業とはいったいなんぞや、と問うたらば、誰しもが真っ先に思い浮かべるのはラーメン屋の親父ではないだろうか。

 「ラーメンの王様」
 「ラァメン家 69‘N' ROLL ONE」
 「ラーメン荘 夢を語れ」
 「創作麺工房 MIST」
 「なんつッ亭」
 「頑者」
 「哲学堂」
 
 と、まず店の名前からして親父の並々ならぬこだわりようが窺い知れる。

 といって肝心のラーメンのほうをおろそかにしていたらそれこそ本末転倒モノだが、さすがこだわりが売りのラーメン屋の親父らしく、そこらへんも一切のぬかりはない。

 ラーメンといえばとりあえず麺。当然親父は、まずそれは太麺がよいか、もしくは細麺のほうがよいかとこだわり、そのうえでそれはスープの旨みを濃縮する効能のあるちぢれ麺タイプのほうががよろしいか、いやいやのどごしの良さを強調する直線タイプのほうがよろしかろうと徹底的なこだわりを見せる。

 スープにしてもそれは同様だ。
 
 醤油。味噌。塩。とんこつ。魚介系。

 ラーメンたる食物にはとかく様々なタイプのスープがあるものだが、たとえば醤油ならばあっさり系、もしくはこってり系と旺盛にこだわり、かと思えば味噌は味噌で、

 「ウチはコクを重視した津軽産の味噌だね」

 とそのこだわりぶりを声高に主張する親父がある一方、

 「いや、オレん店はあっさりとした口当たりがウリの信州産味噌でやってくよ」

 などとこだわり返す親父の表情もなにやら自信たっぷりといった風情である。
 ここまで言えば、あとの塩、とんこつ、魚介系についてはわざわざ説明する必要もないだろう。

 さらにラーメンは、チャーシュー、ネギ、メンマ、ナルト、卵など具材が様々にあることもよく知られているが、当然ながらこれらひとつひとつの具材に対する親父のこだわりっぷりも半端ではない。

 脂身がたっぷり付いたチャーシューにこだわり尽くす親父に対して、薄く切ったチャーシューにこだわりを示す親父。その傍らで、普通に茹でたやつだ、いや燻製だと、卵への貪欲なるこだわりを隠しきれない親父が得意げに微笑む。また中には「素ラーメン」と称した、スープと刻みネギ程度のほとんど具の無いラーメンで意表をついたこだわりを見せつける親父も存在するらしいというのだから驚くばかりだ。

 しかしこんな程度のこだわりで驚いているようでは、こだわりの帝王たるとうの親父からそれこそ鼻で笑われてしまうだろう。

 親父のこだわりは宇宙をも越える。

 というのは、味、具材に対してこれほどまでにこだわってやまない親父なのであり、そのこだわり意識がドンブリ鉢や蓮華といった食器類のほうへ行くのも無理からぬ話だからである。

 黒や白、あるいは赤といったオーソドックスな色のドンブリ鉢をこだわり愛す親父があれば、どういう意図があるのかよくわからないが、無色透明のドンブリ鉢という信じられない代物にこだわりの真髄を見いだす親父だっているだろう。となれば当然、黒、白、赤の王道タイプの蓮華にこだわる親父への宣戦布告とばかりに、だいだい、あずき、山吹といった斬新な色の蓮華で新しい時代の幕開けを意気軒昂と表明するパンクなこだわり親父がいるだろうことは想像に難くない。

 こんな風にラーメン屋の親父のこだわりっぷりは、それはもう、凄まじいものであり、まあラーメン屋というのはなにぶん競争が激しい業種だろうから、かようなまでのこだわりがなければそうそう生き残ってはいかれないのだろう。

 本当に、頭が下がる。
 ああオレ、ラーメン屋じゃなくてよかったなあ。

 なんてなことを考えていた昨年末、そんなこだわりのチャンプといえるラーメン屋の親父すら越える驚愕すべきこだわりを見せつける輩に出くわした。

 その日、俺は、湾岸道路(国道357)へ車で入ろうと、対角線上の赤信号で信号待ちをしていた。車あるいはバイクの免許をお持ちのかたならおかわりいただけるだろうが、この湾岸道路というのは、神奈川県から千葉県までを結ぶほとんど一直線のような道路であり、普通の一般道よりも信号が少ないため、当然ここを往来する車両は比較的スピードを出す傾向にあるわけで、まあようするにひじょうに大掛かりなというか、「ほとんど高速」といっていい道路なのである。

 で、そこに入ろうと信号待ちをしていたら、目の前の車道、つまり湾岸道路を凄まじい勢いでペダルを漕ぎながら駆け抜けていく自転車の親父と、その自転車の親父が車道を走っているため、なかなか前のほうに行けず、親父に向かって猛烈な勢いでクラクションを鳴らしているトラック、さらにその後方で渋滞状態にある大勢の車両が右から左へ通り過ぎていった。

 驚いた。
 
 というのも、こんな光景を目撃するなど、当然ながら思ってもみなかったからだが、しかしそれ以上に驚いたのが、自転車で目の前を駆け抜けていく親父の「譲ってなるものか」みたいなというか、親父の鬼のようなその形相に一切の妥協が見られなかったからである。

 ああ……この親父、一切どく気がねえ。

 で、信号を青に変わったので奴らを追いかけるような形で湾岸道路に入ったら、数十メートル先の道路の端っこのところで車両から降りた親父とトラックのあんちゃんが

 「テメエ、なにやってんだオヤジ!」
 「うるせえ馬鹿野郎!」

 みたいな感じでもの凄く言い争っていた。

 結局、そのまま通り過ぎてしまったのでことの顛末はわからないが、それにしても自転車の親父はなぜあんな無茶なことをしでかしたのだろう。
 おそらく、どうしてもあそこを自転車で走らなければならないこだわりが親父にはあったのではないか。

 まあいずれにせよ、そこにどんなこだわりがあったかは俺にわかるはずがない。
 ただ、あの親父が悪いということだけはわかった。
posted by とんち番長 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

日曜深夜の憂鬱を吹っ飛ばす「ゆるさ」の魔力〜『シンボルず』

 どうもここ最近、具体的に言えば、ここ1、2年の間で、テレビというものをあまり観なくなった。歳をとったことが原因なのかなんなのか、詳しい事情は俺自身もわからないが、とにかくやたらとうるさい番組ばかりで、観ているだけでなんだかもの凄く疲れてしまうのだ。

 そういうわけで、最近はもっぱらテレ東の番組を観ている。
 というのも、遅まきながら最近になってテレ東の魅力を身に沁みて実感するようになったからである。

 ではテレ東の魅力・特色はなんであるかといえば、むろんそれは、番組内の空気が他の地上波民放局で放送されているそれに比べ抜群に「ゆるい」ことにほかならない。

 というのも、テレ東の番組は、基本的に、過剰な笑いや過剰な感動、あるいは過剰なBGMや過剰な宣伝告知といった、視聴者にとってときに押しつけがましく感じられるそれら「刺激物」でガチガチに固められていないからなのだろう。ともかく、フジだのテレ朝だのの番組に比べてガツガツしておらず、今の俺にとって、かの局の醸し出すゆるゆるなムードが、なんとも丁度良い塩梅に感じられるのだ。

 大体からして、かの局の看板番組と言える『TVチャンピオン』のこれまで放送されてきた企画からして、よく知られている

 「大食い王選手権」

 はもとより、

 「金魚すくい王選手権」

 だの、はたまた

 「ガラスアート王選手権」

 だの、よく考えたら地上波テレビの番組としてはおよそ似つかわしくないほど、なんともゆるくてかつおそろしく地味な企画ばかりだ。

 一方で、『田舎に泊まろう!』という番組では、田舎へ出向いたタレント自らに現地一般人の家にお泊りの交渉をガチンコでやらせるという、かつての『電波少年』だのよりもある意味よっぽど過酷とすら思えることをやってたりもしていて、なんだか凄い。

 たしかに、これらの番組で爆発的に面白いという瞬間はそうそう訪れはしないものの、安心して楽しめるという意味では、クオリティ的にひじょうに優れたものが多いと思う。
 ちゃんとエンターテインメントになっているし、コンテンツそのものだって意外に(?)しっかりしているのである。

 加えて、キャスト面の通好みな人選ぶりも、なかなかに味わい深い。

 たとえば、昨年末放送の

 『マモレ! 絶滅ニンゲン』

 というバラエティーの特番でバナナマンのふたりが司会を務めていたが、土曜の23時という時間帯にバナナマンに司会を任せるような地上波局は、(現時点で)テレ東以外には有り得ないだろう。
 
 たとえあったとしても、番組的な流れとしては日村という即効性に長けた強烈なキャラクターのインパクトに焦点を当てるばかりで、バナナマンの本来のブレーンである設楽に対してはほとんどスポットを当てない作りになっていたはずだ。事実、バナナマンが出演する他番組の収録では、設楽が面白いことをやったり言ったとしても、おそらくその多くは編集でカットされ、変わりにオモシロ顔をする日村をフレームインさせているのが現状だと思う(たぶん)。

 むろん、この『マモレ! 絶滅ニンゲン』という番組においてはそんな暴挙が犯されることなどなく、バナナマンというコンビの素材の面白さを丁寧に引き出していて、バナナマンのDVDを観賞して以来、彼らの本当の面白さを知った俺からしても、たいへん好感を持てるつくりになっていた。
 番組の企画自体も、「ジャイアンツ帽を被って昼間からふらふらしているオッサン」や、「胸の大きい女性を『ボイン』と呼ぶ輩」などを探し出し勝手に保護認定するという、なんとも痛快かつくだらない内容で、じつに面白かった。ぜひレギュラー化していただきたいものだ。

 たとえばテレ東だったら、旬真っ盛りの芸人(たとえば今だったら小島よしおとか)、つまり現在一過性的に盛り上がっている「商品」を安易に起用したりはしないのではなかろうか。いや、けっして起用しないということはないだろうが、少なくともむやみやたらに乱用し、視聴者に飽きられた途端、ポイ捨てするような無慈悲なことはしない。ような気がする。
 
 まあ、さすがにこれはちょっと褒めすぎなような気がしないでもないが、ともあれ、少なくとも才能を持った人間を大事に育てていこうという配慮、ようするにタレントへの大いなるリスペクトがあまたのテレ東番組を観るにつけ、感じられるのだ。
 
 で、そんなテレ東番組の中でも俺が好んで視聴しているのが、日曜深夜にレギュラー放送されている『シンボルず』で、いやこの番組が本当に良い。好きだ。

 メイン出演のみうらじゅんの芸風も相俟って、とにかく番組に漂っている空気がこのうえなくゆるゆるなのである。

 内容自体も、「確珍犯」だのという、町中にある「ちんぽの形をしたポール」を見つけに行ったりだの、相当にくだらない。
 そんなまことに馬鹿馬鹿しいことばかり言ったりやったりするMJや番組そのものに対して、持ち前の頭の回転の良さで的確につっこむ役割を見事にこなしているMEGUMIも、何気に良い。個人的にはこの番組を観て、MEGUMIへの好感度が上がった。というか、ちょっと好きになった。

 なんというか、胸焼けしない程度に笑える、というか、日曜深夜という憂鬱な時間にこれほどおあつらえ向きな番組もそうそうないように思うが、いかがなものか。

 と……そんなような感じで、どこかのコラムニストとかがすでに取り上げていそうなネタを気持ち真面目にもっともらしく書いてみた。
 とはいえまあ、このまま真面目に終わらせてもなんだかこそばゆい感じがするので、

 うんこ君Ver.2.jpg

 と、とりあえずこのうんこ的な画像でもって、本日のくだらないテキストを締めさせていただこう。

 
 シンボルず
シンボルず
posted by とんち番長 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

日本のサングラス事情

 どうにも気になって仕方がないのが、夜中にサングラスをかけて街中をほっつき歩いている輩である。
 
 やめないか。あれ。グラサンかけんの。
 というか、絶対にやめたほうがいいと思う。
 
 たとえば『ロッキー4』だ。

 栄華をきわめた現役生活を終え悠々自適の生活を送るロッキー。そんなロッキーの元に突如、ドラゴという名のソ連の新鋭ボクサーが挑戦状を叩きつける。
 が、現在の幸せな生活に満足しているロッキーはドラゴとの対戦をやんわりと拒否。
 そこに登場するのがロッキーの長年のライバルかつ無二の親友のアポロ・グリードであり、彼がロッキーの変わりにこのドラゴと拳を交えるという話になるわけだが、逆に無残にもドラゴにボコボコにされてしまう。

 「大丈夫かアポロ?!」
 「しっかりするんだアポロ!!」

 と緊迫しているところで場面はいきなり転換、ロッキーをはじめアポロゆかりの人々が喪服にサングラス姿という出で立ちでアポロの葬儀に参列する画が突如として映し出されるシーン。

 いや葬式にグラサンかよ!

 まあ、これには笑った。
 
 いや、むろん、とうのアメリカ人からしたら、こんなのは至って通常の画であり、取り立てて笑うシーンではあるまい。というか、むしろロッキーの友であるアポロの死を悲しむべきシーンであるに違いなく、第一、ロッキーで観客を笑わせる必要などないに決まっているじゃないか。

 なんでもアメリカ人とか青い眼球を持つ人種は、我々日本人のような眼球が黒い人種に比べて紫外線にとても弱く、そのためにサングラスは必要不可欠であるという話を以前どこかで訊いたか読んだりかしたことがあって、そのときはなるほどなあと思った。

 「ああ、だから葬式にグラサンはアリなのね」と。

 つまり、そういう深刻かつナイーヴな事情があるからこそ、アメリカだとかイギリスだとかいう国は世界に名だたるサングラス大国としてその地位を揺るぎないものにしているのだ(たぶん)、と、そういうことなわけだ。

 翻って日本はどうかというと、ことサングラスにかけては紛れもない後進国である。
 
 以前、ウィキペディアで調べ物をしていたところ、吉川晃司のページに辿り着いたのでなんとなく読んでいたら、かつて某アイドルの葬式に出席したとき、先述の『ロッキー4』のシーンと同様の喪服にサングラスという出で立ちで参上したためもの凄く怒られたというエピソードが掲載されていたが、これなんかはその最たる例だろう。 
 
 もちろん、とうの吉川某からしたらそこに悪意などさらさらなく、いつものポリシーというか、要するに自分はあくまでも

 「ロック・スター=グラサン」

 という根底の部分を貫いたに過ぎなかったのだろう。まあ、もしかしたらなんらかの深刻な事情があってかけていたのかもしれないが、たとえそうであったとしても

 「グラサン=かっこつけ」

 というイメージが一般的な日本という国において吉川某のとった一連の行動は、あまりにも無茶でデンジャラスなものだったと言わざるを得ない。

 じっさい我々の国はサングラスに対してことごとく冷たい。
 たとえ夏場の猛烈に日が照っているときであろうとサングラスをかけた人間を見ると、「ああ、こいつかっこつけてるなあ」と思う。
 ではとうの本人はかっこつけているつもりはないかというと、多分にしてかっこつけている。

 「いや、そんなことはないよ」

 とは言わせない。

 なぜならそういう日が照ってるときなんかは俺もかけたりするが、気持ち70ないし80パーセントは「ああ、俺かっこつけてるなあ」と正直思ってるからだ。

 つまり、「眩しい」より「かっこつけ」のほうがパーセンテージが高く、往々にして目的意識が逆なわけで、アメリカの人なんかのように「眼を保護してないとヤバイ」という大義名分があるわけでも、ましてやロックの発明国でもない日本でサングラスという文化は個人的な意識においても社会的な意識においてもひじょうに育ちづらい環境にあるわけだ。

 そんなサングラス稚魚とでも言うべき国でなにが葬式でグラサンか。夜中にグラサンか。

 いや。
 話が大袈裟になってしまった。

 つまり、結局のところ俺が言いたいのはこういうことだ。

 夜にクルマとかで走ってるとき道端で遭遇すると、なにしろ前が見えづらいだろうからいつ飛び出してくるかとこっちひやひやするもんで、頼むからそのグラサン、外して歩いてくれ。

 ロッキー4 (ベストヒット・セレクション)
 (↑噂の『ロッキー4』DVD。ちなみに、僕はテレビでやってるのを観たことしかないが、最後までちゃんと観たことは今まで一度もない)
posted by とんち番長 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

「かっこいい織田裕二」と、「面白い織田裕二」

 最近テレビでよく見かける織田裕二のモノマネをする人が異様に面白い。
 
 なにしろ、テレビに彼が登場すると自然と顔がほころび、胸躍るほどだ。
 本当に面白い。
 
 織田裕二のモノマネをする人間といえば、これまでそう多くはなかったように思うが、たしかにいることはいた。しかし、大概があまり似ていなかったり、かなり似ていたとしても微妙にポイントがずれていて、個人的にどうも物足りなさを感じていた。

 では、織田裕二のモノマネをする際のポイントとはなんだろう。

■ドラマなどでクールな演技を見せてくれるのが「かっこいい織田さん」。世界陸上でハイテンションに司会を務めているのが「面白い織田さん」。

■『事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起きてるんだ!』が「かっこいい織田さん」。『霊長類なめんなよ(半笑い)』が「面白い織田さん」。

■びしっとスーツを着こなすのが「かっこいい織田さん」。ワイシャツを第二ボタンまで豪快に外し、胸をはだけさせた格好でいるのが「面白い織田さん」。

■満面の笑みを浮かべながら室井さんと話しているのが「かっこいい織田さん」。満面の笑みを浮かべながら気持ちよさそうに歌を歌っているのが「面白い織田さん」。

 むろん、この「面白い織田さん」をいかに上手くマネるかが、織田裕二を「面白くマネる」際のきわめて重要なポイントであるのは、言うまでもない。

 今まで見てきた織田裕二のモノマネに僕が物足りなさを感じていたのは、大概の人間が「かっこいい織田さん」のほうをマネていたからであり、その点、「今回の彼」は「面白い織田さん」のポイントをしっかりカバーしており、これはもう面白くないわけがなかろうというものだ。

 加えて、ぱっと見似ているようでいて、よく見たらまるで似てないのもおかしい。本物に比べて小太りであり、そのうえ足が異様なほどに短い。ドラえもんで、泉に「きたないジャイアン」、というか要するに「通常のジャイアン」を投げ入れると、中から泉の精が出てきて「きれいなジャイアン」に取り替えてくれるという話があったが()、本物の織田裕二が「きれいな織田裕二」なら、モノマネの彼はまさしく「きたない織田裕二」だ、って、もちろんこれは褒め言葉である。

 
 ※「きたないジャイアン」→「きれいなジャイアン」

 で、モノマネといえばもうひとり、個人的に待望しているのが渡哲也だ。
 これも、これまで意外にいそうでいなかった。

 ちなみに、渡哲也をモノマネする際のポイントは以下のとおりである。

■ドラマで良き父親役を演じるのが「かっこいい渡哲也」。スーツ&レイバンのグラサン姿でライフル片手に単車に跨り、犯人と豪快にカーチェイスを繰り広げるのが「面白い渡哲也」。

■石原プロモーションの代表取締役社長が「かっこいい渡哲也」。西部警察の団長が「面白い渡哲也」。
 
■巨人軍にエールを送るのが「かっこいい渡哲也」。石原軍団の連中と一緒に民衆に炊き出しを配ってエールを送るのが「面白い渡哲也」。
 
■『こんばんは。渡哲也です』が「かっこいい渡哲也」。『マグロ。ご期待下さい』が「面白い渡哲也」。
 
 この「面白い渡哲也」のほうを上手くマネれば良いわけだ。

 じっさいに「面白い渡哲也」のモノマネをする芸人さんが出てきたら、少なくとも一ヶ月間は面白がれる自信があるのだがどうだろう。腕に自信のあるモノマネ芸人さんがいたら、ぜひともチャレンジしていただきたいものだ。

 あと、個人的には猪木のモノマネは、春一番と、くりぃむしちゅ〜の有田で充分だ、とも思う。


・「マグロ。ご期待下さい」の詳細は→こちら
・織田裕二関連記事→「徹底考察〜『織田裕二はなぜ歌をうたうのか』」
・渡哲也(というか「団長」の)関連記事→「アルバム全曲レヴュー『西部警察PARTTVol.1〜コンクリートウエスタン・みんな誰かを愛している』」
posted by とんち番長 at 00:34| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

やってはいけない平仮名の使い方

 最近、R&Bミュージックにはまっている。
 
 平仮名で書くと、「あーるあんどびー」だ。
 そう。「りずむあんどぶるーす」。

 いや、R&Bってのは、いい。
 
 まず、リズム・セクションがいい。
 ベースとドラムスが肉感的に絡み合うこの上なくブリッブリなサウンドは、凄まじくファンキーであり、すこぶる気持ちがよろしい。

 コーラスも素晴らしい。
 じつに壮大かつ多彩であって、凝りに凝りまくって作られているのがよくわかる。

 そしてR&B歌手のみなさんは、たいへん歌が巧い。
 これがたとえばロックだったら、荒っぽさが売りのシンガーとか、ヘタだけど味のあるシンガーなんてのが往々にしていたりするが、R&Bシンガーの場合、どの人も「正真正銘のプロ」というか、ともかく文句のつけようのないほど歌が巧い、ということが絶対条件としてあるように思う。

 ただ、声が高い輩はちょっと苦手だ。
 先日、マライア・キャリーの一番新しいらしい『MIMI』というアルバムを中古CD屋で売っていたので買ったが、さすがに7オクターブ出るというだけあって異常なほどに声が高い。なにかこめかみのあたりに天龍チョップを食らわされているかのごとくキンキンきて、不快だ。

 一方、ローリン・ヒルはいい。
 ローリン女史の98年リリースのソロ・アルバム『Miseducation』のことであり、いやこれ、当時ラジオでヘビーローテーションされていた「Doo Wap(That Thing)」という曲をえらく気に入り、同曲が収録されているというこの『Mise〜』を購入、で、5回ほど通して聴いてみたものの「いや、なんか違うな」ということで、じつはそのままずっとCDラックの中にほっぽり投げたも同然の状態だったのだが、久々に聴き返してみたら、本当にいまさらながら、たいへん素晴らしい。
 なんだかまだよくわかってない部分もあるが、「これぞR&B」っていう気がする。ともかく名盤であろう。

 まあ、マライア女史にしても聴き込んでいくうちに、あの高すぎるとしか思えない声が気にならなくなるかもしれず、もっとうまくいけばすこぶる気に入るかもしれず、いずれにせよR&Bミュージックに興味が尽きない。
 そう。平仮名で書くと、「あーるあんどびーみゅーじっく」だ。

 ……って、あえて平仮名でしつこく書いてみたが、「いや、やっぱりこれはやっちゃいけないことだなあ」と改めて実感した。

 というのも、僕は当ブログのほかに、

 『とんちアルバム全曲レヴュー』

 なる己が所持しているCDを全曲まるごとレヴューするというブログを恐縮ながらもやらせてもらっているが、じつのところこのブログの名称は、ちょっと前まで

 『とんちアルバム全曲れびゅう』

 であったわけで、で、ふとある日、「いや、これってやっちゃいけないことなんじゃないか」ということに気づき、慌てて現在の名称に変更、そのまま「Diary Note」から「Seesaa」へブログ・サービスごと引っ越してきたという恥ずべき経緯があるのだった。

 いや、なんかやりたくなっちゃったのだ。「レヴュー」を「れびゅう」に。
 「レヴュー」じゃそのまま過ぎてつまらんだろうと、なんとなくやってしまったのだなあと、いまにして思う。

 もちろんこれが「間違った平仮名の使い方」であるというこはいまでは重々承知しており、なので「iPod」が「あいぽっど」だったり、「ブランキー・ジェット・シティ」が「ぶらんきい・じぇっと・してぃ」じゃなくて本当に良かったと思っているし、ましてや「福田総理」が「ふくだそーり」だの、「消費税」が「しょーひぜえい☆」であったりなどしたらもう牛刀片手に国会まで乗り込んでいただろうとすら思う。

 僕のようにブログのタイトルぐらいだったら、変更なり消去なりをいつでもできるので、まだ良い。これが店舗の名称とかだったりしたら、ことはそう簡単に運ばないだろう。
 
 つまり、
 
 「ぱちんこ・まぐなむ」
 
 やら

 「ほびーしょっぷ木下」

 やら、そういう類の店のことだ。

 幸い、「ぱちんこ」にも「ほびーしょっぷ」にも殊更足を運ぶ理由がない生活を送っているが、たとえこれらのモノに関心があったとしても、店の名前が「ぱちんこ」だの「ほびーしょっぷ」である以上、絶対に僕は入店しないだろうし、たとえこれが「やっちゃいけないこと」であるということに、店主がしばらく経ってから気づいたとしても、既に看板を掲げてしまっている以上、店舗を全面的に改装するか、いっそのこと店ごと潰すしか道はあるまい。

 いずれにしても、気づいてからでは遅い。
 
 やりたい気持ちはわかるが、悪いことは言わないから、ともかく絶対によしておくことだ。
 あとでもの凄く恥ずかしくなるから。

 このテキストが、これからもちょくちょく現れるであろう「間違った平仮名を使う人」を少しでも未然に防ぐ結果となることを、心から願う。
posted by とんち番長 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

ダンプからのメッセージ

 トラック野郎.jpg

 車やバイクで公道を走っていると、ダンプカーと呼ばれる類の車には様々な「メッセージ」が溢れているのに気づかされる。

 「爆走天使」
 
 だの

 「浪速の韋駄天野郎」

 だの

 「大人の不良達」

 だの、そんなような「メッセージ」が記されたステッカーやプリントがボディーに貼られてあるダンプがしばしば目撃され、上記写真の(かなりピンボケしてて読みにくいが)

 「トラック野郎〜君の似顔をトラックに☆抱いて一緒に走りたい黒ハート

 などというメッセージに至っては、「はあ、そうですか。まあ、頑張ってください」と言うしかないわけだが、これってのはやっぱり、異性への自己アピールというか、つまるところ

 「こんなやんちゃなオレだけど、カノジョ募集中」

 ということなのであろう。

 そう考えると、

 「犬、ゆずってください(オス希望)」
 「おでんはじめました」
 「正解はCMのあとで!」
 「私の友人の友人はアルカイダ」

 みたいな「メッセージ」を掲げ走っているダンプはいまだかつてお目にかかったことがないわけで、上記の「メッセージ」同様にしばしば目撃される、荷台部分に工藤静香だの酒井法子だのの「絵」が豪快に描かれたいわゆるデコトラなぞは、まあさすがに今の時代に工藤静香や酒井法子が描かれたダンプはほとんど存在していないに違いなく、おそらく長澤まさみとかそういう感じの人らの「絵」が今は主流になっているものと思われるが、これなどは要するに

 「こういうふうな(工藤静香とか長澤まさみ似な)カノジョ、募集中」

 ってなことをダンプのドライバー氏は遠まわしにアピールしているわけだ(たぶん)。

 まあ、気持ちはわからないでもないし、じっさい一般的な職業で異性に対してここまでおおっぴらにアピールできる機会なんてそうはあるまい。女が欲しくてたまらない輩にとってはまさしく好都合な職業といえるだろうが、なんにせよ、ダンプのドライバーってのは、本当に面倒くさい奴らである。
posted by とんち番長 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

パブリック・イメージ・リミテッド

 2・3週間前にテレビで「どっきり」の番組がやっていたので見ていたら、和希沙也がターゲットにされていた。

 ニセの子供向け番組(もちろん、ニセの番組だと和希本人はわかってない)のため、スタジオでアフレコ録音をしていた和希が、後からやって来た俳優の今井雅之におもっきりダメ出しされるという内容のドッキリであり、番組の趣旨としては当然

 「今井の理不尽ともいえるダメ出しにうろたえ、あわよくば泣き叫ぶ和希」

 という図を狙っていたのだろう。

 ところが和希は泣き叫ぶどころかダメ出しをする今井に対して「うぜえな、このオヤジ」みたいな、口にこそ出さぬものの終始不遜ともいえる態度を崩さず、さしものコワモテ俳優である今井もお手上げ状態といった感じでこのドッキリは終了した。

 で、それ以来、和希沙也が怖くてしかたがない。
 
 なにしろ、ほかの番組なんかでいかにもアイドルっぽくかわいこぶっている和希を見ても、そんなタマじゃないことは重々わかっているわけで、とてもじゃないが微笑ましい気分になれるはずがないからだ。

 ちなみに、もう10年以上前だと思うが、たしか『ホットドッグプレス』かなんかのインタヴュー記事の中で

 「俺、茶髪似合わないんだよね。やっぱ日本人なら黒髪でしょ」

 とかなんとか言ってたのに、その数年後、見事なまでの茶髪ヘアーを披露していたTOKIOの長瀬や、あと

 「頑張って100キロ、ダイエットするよ。もう現役を退いたし、体にも悪いからね」

 みたいなことを引退した直後に語りながらそれから一向に痩せる気配がない小錦は、いまだに俺の中で「信用ならん奴」というイメージが少なからずあったりもする。

 俺が過去の言動にとらわれすぎているのだろうか。
 
 まあ、もしかしたら役作りのために仕方なく茶髪にした長瀬なのかもわからないし、痩せた小錦に価値があるのかと言われれば否定的にならざるを得ないわけだが、でもそういうふうに思ってしまうのも仕方がないだろう。
 なんせ俺は彼らの実像を知らないからであり、彼らのことはメディアを通してのものでしか判断せざるを得ないからだ。そして、それがメディアの力であり、また恐ろしさでもあるのだろう。

 一足早くメキシコの地に武者修行へと向かった亀田三男だが、来月には長男・次男もようやくトレーニングを再開するという。
 一度貼られたレッテルを剥がすことは容易でないのは亀田にしても同じなわけで、これからの道のりはおそらく本人らが思っている以上に過酷であろう。

 それにしても例の謝罪会見で一連のパフォーマンスについて記者がネチネチいびったりしてたが、あれってもう、今後一切パフォーマンスはやるなということだろうか。優等生キャラの亀田なんて痛々しいだけだろうし、パフォーマンス抜きの亀田なんてじっさい、ほとんど価値がないのではないか。
 対戦相手に対してゴキブリだの挑発するのはむろんやり過ぎだが、ハンバーガー食うくらい、いいじゃないか。
 ちなみに俺はチーズバーガーが好きだが、あまりにチーズバーガーが好きなため、来日時にゴルフコース内にマクドナルドの店ごと作らせるタイガー・ウッズ並みに大好きだが、そんなことはどうでもいいが、ともあれ、せめて試合に勝利したあとに行われる次男のあのうんこみたいな歌謡ショーだけは、ぜひとも続けてほしいものだ。

 あのダサくてうすら寒いパフォーマンスがあればこそ、我々は改めて、悪意でも憐れみでもないニュートラルな視線で亀田一家を見られることが出来るような、なんだかそんなような気がしないでもない。
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2007年10月31日

店員がフレンドリーだからって、いいことばかりではない

 こないだの日曜、久しぶりに服でも買おうかと渋谷の洋服屋へ行き、気に入った品があったのでそれを手に取りレジへ持っていったところ、

 「会員になるといくらか安くなりますよ」

 というので、手渡された用紙に必要事項を書き込んで店員に差し出すや否や、件の店員氏(男)からやおらにこんな言葉を掛けられた。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ」

 もちろん、この言葉に応対した僕の言葉はこうだ。

 「ああ、そうなんですか」

 だって、そう答えるしかないではないか。
 
 しかもその後のレジ作業に要する数分間、なんとも気まずい空気がもれなく付いてくるのだから、いよいよ困ってしまうしかないのである。

 いや、異性に対して過敏きわまる処女じゃあるまいし、

 「イヤ! アタシに声を掛けないで!」

 とかなんとか、店員氏にケチをつけたいわけではない。

 むしろこの東京コンクリートジャングル、たとえ一瞬とはいえ見知らぬ者同士で交わされる心と心の触れ合いじゃないか。温かくも貴重な交流じゃないか。

 そういうようなわけで、ショップの店員に対しては

 「交流オーライ! どっからでもかかってこいやあ!」

 が基本スタンスである僕であり、前述に出てきたような気前のいい店員さんには、これまでにも幾度か応対した経験があるものの、

 「あっ! ……時計、お揃いですね」
 
 だの

 「やっ! ……そのジーパン、いい色落ちしてますね」

 だの

 「ああ、そうですか」というふうにしか答えられない言葉を投げかけてくるのが大概であり、これはちょっといかがなものかと思う。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。これもなにかの縁ですね。早速、今から飲みにでも行きませんか?」

 いや、べつに僕はショップの店員と一杯ひっかけに行きたいわけではないのだが、おもいきってこうまで言ってくれたほうが、まだ応対の仕様があるというか、少なくともその後の作業の間、お互い気まずい思いをせずに済むような気がしないでもない。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。じつは今度、同じ誕生日同士の人間で合コンするんですけど、良かったら来ませんか?」

 いや、だから僕はなにもショップの店員を交えた合コンに参加したいわけではないのだが、いやまあ誘ってくれるのならとりあえず行かない理由はないが、ともあれ中途半端な言葉を投げかけられるよりも、こんな風に大胆に声をかけてくれたほうが答える側としても、なんというか、歯応えがあるし、たとえその誘いを断ったとしても(いや、だから断る理由はないが)、そのままお互い気持ちよく別れることが出来るのではなかろうか。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。ちなみに2月22日が誕生日の有名人はマリナーズにいた佐々木でしょ、それから元Winkのさっちんなんかもそうですね」

 まあ、言われなくても知ってるし、というか林家ペーかよという話なわけだが、こう言ってくれたほうがまだ話の広がりようがあるってものじゃないか。

 とはいえ、僕なんかはまだマシなほうだろう。

 以前、ビデオ屋に行った友人が、探しまくっていたというエロビデオをついに発見し、嬉々とした表情でそれをレジにいる店員に差し出したら、返す刀でこんなことを言われたというのだから、たまったものではない。

 「いや〜、よく見つけましたね、これ」

 どう答えればいいんだ!

 なにしろ買ってるモノがエロビデオなわけで、言ってみりゃ秘め事なわけで、腫れ物を触れるようにきわめて繊細にというか、むしろ「いるんだけど見えてない」みたいな対応をしてほしいわけであって、やたらフレンドリーなエロビデオ屋の店員というのも考えものである。
posted by とんち番長 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

マグロとスローモーション

 生きていれば誰しもが一度は「人生の一大事」というやつを経験することがあるだろうが、なぜその出来事を記憶から引っ張り起こそうとすると、決まって「スローモーションの映像」になってしまうのだろう。

 小学校に入学する直前の頃のことである。
 
 ある日、近所の友人と鬼ごっこをしていた僕は、あろうことかそのままの勢いで車道に飛び出し、走っていた車に撥ねられてしまった。
 もちろん、今となっては絶対にそんな無茶なことはしないが、当時まだまだ幼かった自分が交通ルールなど理解しているはずもなく、100パーセント僕の不注意により発生してしまった事故だった。
 
 結局、左眉の部分を少々負傷しただけで大事には至らなかったが、慌てた様子で車を急停車させるドライバー、心配そうに駆け寄ってくる近所のおばちゃん、呆然と見つめる友人、そして救急車に乗せられる自分……事故の瞬間の光景を思い起こすと、どういうわけかそれはスローモーションで動いている映像である。
 
 ちなみに、やはり小さいころ、危うく海で溺れかかったこともあったが、その瞬間を思い起こすと、その映像は同様にスローモーションで溺れかけている自分である。

 なぜかスローモーションなのである。
 そして、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるのだ。

 人生の一大事――友人にとってそれに該当するものは、「マグロ」だという。
 
 10年近く前のことである。
 その日彼は、久しぶりに再会したふたりの友人らと共に、酒を酌み交わしていた。
 なにしろ、久々の再会である。積もり積もった昔話や近況の話題で、3人が3人大盛り上がりだ。

 どれくらい時間が経っただろうか。気づいたら、友人2人が激しい口論を始めていた。

 口論のきっかけはよく覚えていないという。
 まあ、酒の席でのことだ。どうせ、

 「そういや、お前が高校のとき付き合ってたカノジョ。前々から言おうと思ってたけど、……あいつ、バケモンだったな」
 とか
 「ていうか、お前の鼻の下にあるそのでっけえホクロ、なんとかならねえのか」
 とか、そういうしょーもない話から発展していったのだろうが、とにもかくにも、これは大変だ。なおも激しく口論を続ける友人らを、彼は必死になって止めようとした。

 「馬鹿野郎!」
 「うるせえ! ぶっころすぞ!」

 その刹那だった。
 激昂した片方の友人が、マグロの刺身が大量に入ったプラスチックケースを勢いよくぶちまけた。酒のツマミにしようと、その友人が購入してきたものだった。

 激しい取っ組み合いをしている友人ら。
 とにかくなだめようと必死な自分。
 そして、その横で見事な放物線を描きながら宙を舞うマグロ。

 彼にとって、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるものがあるという。

 喧嘩をした2人が、その後から現在に至るまで、ただの一度も顔を合わせていないという事実を考えれば、これも紛れもない「人生の一大事」であろう。

 が、なんにせよ、マグロは嫌だ。
posted by とんち番長 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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