2008年02月02日

日曜深夜の憂鬱を吹っ飛ばす「ゆるさ」の魔力〜『シンボルず』

 どうもここ最近、具体的に言えば、ここ1、2年の間で、テレビというものをあまり観なくなった。歳をとったことが原因なのかなんなのか、詳しい事情は俺自身もわからないが、とにかくやたらとうるさい番組ばかりで、観ているだけでなんだかもの凄く疲れてしまうのだ。

 そういうわけで、最近はもっぱらテレ東の番組を観ている。
 というのも、遅まきながら最近になってテレ東の魅力を身に沁みて実感するようになったからである。

 ではテレ東の魅力・特色はなんであるかといえば、むろんそれは、番組内の空気が他の地上波民放局で放送されているそれに比べ抜群に「ゆるい」ことにほかならない。

 というのも、テレ東の番組は、基本的に、過剰な笑いや過剰な感動、あるいは過剰なBGMや過剰な宣伝告知といった、視聴者にとってときに押しつけがましく感じられるそれら「刺激物」でガチガチに固められていないからなのだろう。ともかく、フジだのテレ朝だのの番組に比べてガツガツしておらず、今の俺にとって、かの局の醸し出すゆるゆるなムードが、なんとも丁度良い塩梅に感じられるのだ。

 大体からして、かの局の看板番組と言える『TVチャンピオン』のこれまで放送されてきた企画からして、よく知られている

 「大食い王選手権」

 はもとより、

 「金魚すくい王選手権」

 だの、はたまた

 「ガラスアート王選手権」

 だの、よく考えたら地上波テレビの番組としてはおよそ似つかわしくないほど、なんともゆるくてかつおそろしく地味な企画ばかりだ。

 一方で、『田舎に泊まろう!』という番組では、田舎へ出向いたタレント自らに現地一般人の家にお泊りの交渉をガチンコでやらせるという、かつての『電波少年』だのよりもある意味よっぽど過酷とすら思えることをやってたりもしていて、なんだか凄い。

 たしかに、これらの番組で爆発的に面白いという瞬間はそうそう訪れはしないものの、安心して楽しめるという意味では、クオリティ的にひじょうに優れたものが多いと思う。
 ちゃんとエンターテインメントになっているし、コンテンツそのものだって意外に(?)しっかりしているのである。

 加えて、キャスト面の通好みな人選ぶりも、なかなかに味わい深い。

 たとえば、昨年末放送の

 『マモレ! 絶滅ニンゲン』

 というバラエティーの特番でバナナマンのふたりが司会を務めていたが、土曜の23時という時間帯にバナナマンに司会を任せるような地上波局は、(現時点で)テレ東以外には有り得ないだろう。
 
 たとえあったとしても、番組的な流れとしては日村という即効性に長けた強烈なキャラクターのインパクトに焦点を当てるばかりで、バナナマンの本来のブレーンである設楽に対してはほとんどスポットを当てない作りになっていたはずだ。事実、バナナマンが出演する他番組の収録では、設楽が面白いことをやったり言ったとしても、おそらくその多くは編集でカットされ、変わりにオモシロ顔をする日村をフレームインさせているのが現状だと思う(たぶん)。

 むろん、この『マモレ! 絶滅ニンゲン』という番組においてはそんな暴挙が犯されることなどなく、バナナマンというコンビの素材の面白さを丁寧に引き出していて、バナナマンのDVDを観賞して以来、彼らの本当の面白さを知った俺からしても、たいへん好感を持てるつくりになっていた。
 番組の企画自体も、「ジャイアンツ帽を被って昼間からふらふらしているオッサン」や、「胸の大きい女性を『ボイン』と呼ぶ輩」などを探し出し勝手に保護認定するという、なんとも痛快かつくだらない内容で、じつに面白かった。ぜひレギュラー化していただきたいものだ。

 たとえばテレ東だったら、旬真っ盛りの芸人(たとえば今だったら小島よしおとか)、つまり現在一過性的に盛り上がっている「商品」を安易に起用したりはしないのではなかろうか。いや、けっして起用しないということはないだろうが、少なくともむやみやたらに乱用し、視聴者に飽きられた途端、ポイ捨てするような無慈悲なことはしない。ような気がする。
 
 まあ、さすがにこれはちょっと褒めすぎなような気がしないでもないが、ともあれ、少なくとも才能を持った人間を大事に育てていこうという配慮、ようするにタレントへの大いなるリスペクトがあまたのテレ東番組を観るにつけ、感じられるのだ。
 
 で、そんなテレ東番組の中でも俺が好んで視聴しているのが、日曜深夜にレギュラー放送されている『シンボルず』で、いやこの番組が本当に良い。好きだ。

 メイン出演のみうらじゅんの芸風も相俟って、とにかく番組に漂っている空気がこのうえなくゆるゆるなのである。

 内容自体も、「確珍犯」だのという、町中にある「ちんぽの形をしたポール」を見つけに行ったりだの、相当にくだらない。
 そんなまことに馬鹿馬鹿しいことばかり言ったりやったりするMJや番組そのものに対して、持ち前の頭の回転の良さで的確につっこむ役割を見事にこなしているMEGUMIも、何気に良い。個人的にはこの番組を観て、MEGUMIへの好感度が上がった。というか、ちょっと好きになった。

 なんというか、胸焼けしない程度に笑える、というか、日曜深夜という憂鬱な時間にこれほどおあつらえ向きな番組もそうそうないように思うが、いかがなものか。

 と……そんなような感じで、どこかのコラムニストとかがすでに取り上げていそうなネタを気持ち真面目にもっともらしく書いてみた。
 とはいえまあ、このまま真面目に終わらせてもなんだかこそばゆい感じがするので、

 うんこ君Ver.2.jpg

 と、とりあえずこのうんこ的な画像でもって、本日のくだらないテキストを締めさせていただこう。

 
 シンボルず
シンボルず
posted by とんち番長 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

日本のサングラス事情

 どうにも気になって仕方がないのが、夜中にサングラスをかけて街中をほっつき歩いている輩である。
 
 やめないか。あれ。グラサンかけんの。
 というか、絶対にやめたほうがいいと思う。
 
 たとえば『ロッキー4』だ。

 栄華をきわめた現役生活を終え悠々自適の生活を送るロッキー。そんなロッキーの元に突如、ドラゴという名のソ連の新鋭ボクサーが挑戦状を叩きつける。
 が、現在の幸せな生活に満足しているロッキーはドラゴとの対戦をやんわりと拒否。
 そこに登場するのがロッキーの長年のライバルかつ無二の親友のアポロ・グリードであり、彼がロッキーの変わりにこのドラゴと拳を交えるという話になるわけだが、逆に無残にもドラゴにボコボコにされてしまう。

 「大丈夫かアポロ?!」
 「しっかりするんだアポロ!!」

 と緊迫しているところで場面はいきなり転換、ロッキーをはじめアポロゆかりの人々が喪服にサングラス姿という出で立ちでアポロの葬儀に参列する画が突如として映し出されるシーン。

 いや葬式にグラサンかよ!

 まあ、これには笑った。
 
 いや、むろん、とうのアメリカ人からしたら、こんなのは至って通常の画であり、取り立てて笑うシーンではあるまい。というか、むしろロッキーの友であるアポロの死を悲しむべきシーンであるに違いなく、第一、ロッキーで観客を笑わせる必要などないに決まっているじゃないか。

 なんでもアメリカ人とか青い眼球を持つ人種は、我々日本人のような眼球が黒い人種に比べて紫外線にとても弱く、そのためにサングラスは必要不可欠であるという話を以前どこかで訊いたか読んだりかしたことがあって、そのときはなるほどなあと思った。

 「ああ、だから葬式にグラサンはアリなのね」と。

 つまり、そういう深刻かつナイーヴな事情があるからこそ、アメリカだとかイギリスだとかいう国は世界に名だたるサングラス大国としてその地位を揺るぎないものにしているのだ(たぶん)、と、そういうことなわけだ。

 翻って日本はどうかというと、ことサングラスにかけては紛れもない後進国である。
 
 以前、ウィキペディアで調べ物をしていたところ、吉川晃司のページに辿り着いたのでなんとなく読んでいたら、かつて某アイドルの葬式に出席したとき、先述の『ロッキー4』のシーンと同様の喪服にサングラスという出で立ちで参上したためもの凄く怒られたというエピソードが掲載されていたが、これなんかはその最たる例だろう。 
 
 もちろん、とうの吉川某からしたらそこに悪意などさらさらなく、いつものポリシーというか、要するに自分はあくまでも

 「ロック・スター=グラサン」

 という根底の部分を貫いたに過ぎなかったのだろう。まあ、もしかしたらなんらかの深刻な事情があってかけていたのかもしれないが、たとえそうであったとしても

 「グラサン=かっこつけ」

 というイメージが一般的な日本という国において吉川某のとった一連の行動は、あまりにも無茶でデンジャラスなものだったと言わざるを得ない。

 じっさい我々の国はサングラスに対してことごとく冷たい。
 たとえ夏場の猛烈に日が照っているときであろうとサングラスをかけた人間を見ると、「ああ、こいつかっこつけてるなあ」と思う。
 ではとうの本人はかっこつけているつもりはないかというと、多分にしてかっこつけている。

 「いや、そんなことはないよ」

 とは言わせない。

 なぜならそういう日が照ってるときなんかは俺もかけたりするが、気持ち70ないし80パーセントは「ああ、俺かっこつけてるなあ」と正直思ってるからだ。

 つまり、「眩しい」より「かっこつけ」のほうがパーセンテージが高く、往々にして目的意識が逆なわけで、アメリカの人なんかのように「眼を保護してないとヤバイ」という大義名分があるわけでも、ましてやロックの発明国でもない日本でサングラスという文化は個人的な意識においても社会的な意識においてもひじょうに育ちづらい環境にあるわけだ。

 そんなサングラス稚魚とでも言うべき国でなにが葬式でグラサンか。夜中にグラサンか。

 いや。
 話が大袈裟になってしまった。

 つまり、結局のところ俺が言いたいのはこういうことだ。

 夜にクルマとかで走ってるとき道端で遭遇すると、なにしろ前が見えづらいだろうからいつ飛び出してくるかとこっちひやひやするもんで、頼むからそのグラサン、外して歩いてくれ。

 ロッキー4 (ベストヒット・セレクション)
 (↑噂の『ロッキー4』DVD。ちなみに、僕はテレビでやってるのを観たことしかないが、最後までちゃんと観たことは今まで一度もない)
ラベル:『ロッキー4』
posted by とんち番長 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

「かっこいい織田裕二」と、「面白い織田裕二」

 最近テレビでよく見かける織田裕二のモノマネをする人が異様に面白い。
 
 なにしろ、テレビに彼が登場すると自然と顔がほころび、胸躍るほどだ。
 本当に面白い。
 
 織田裕二のモノマネをする人間といえば、これまでそう多くはなかったように思うが、たしかにいることはいた。しかし、大概があまり似ていなかったり、かなり似ていたとしても微妙にポイントがずれていて、個人的にどうも物足りなさを感じていた。

 では、織田裕二のモノマネをする際のポイントとはなんだろう。

■ドラマなどでクールな演技を見せてくれるのが「かっこいい織田さん」。世界陸上でハイテンションに司会を務めているのが「面白い織田さん」。

■『事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起きてるんだ!』が「かっこいい織田さん」。『霊長類なめんなよ(半笑い)』が「面白い織田さん」。

■びしっとスーツを着こなすのが「かっこいい織田さん」。ワイシャツを第二ボタンまで豪快に外し、胸をはだけさせた格好でいるのが「面白い織田さん」。

■満面の笑みを浮かべながら室井さんと話しているのが「かっこいい織田さん」。満面の笑みを浮かべながら気持ちよさそうに歌を歌っているのが「面白い織田さん」。

 むろん、この「面白い織田さん」をいかに上手くマネるかが、織田裕二を「面白くマネる」際のきわめて重要なポイントであるのは、言うまでもない。

 今まで見てきた織田裕二のモノマネに僕が物足りなさを感じていたのは、大概の人間が「かっこいい織田さん」のほうをマネていたからであり、その点、「今回の彼」は「面白い織田さん」のポイントをしっかりカバーしており、これはもう面白くないわけがなかろうというものだ。

 加えて、ぱっと見似ているようでいて、よく見たらまるで似てないのもおかしい。本物に比べて小太りであり、そのうえ足が異様なほどに短い。ドラえもんで、泉に「きたないジャイアン」、というか要するに「通常のジャイアン」を投げ入れると、中から泉の精が出てきて「きれいなジャイアン」に取り替えてくれるという話があったが()、本物の織田裕二が「きれいな織田裕二」なら、モノマネの彼はまさしく「きたない織田裕二」だ、って、もちろんこれは褒め言葉である。

 
 ※「きたないジャイアン」→「きれいなジャイアン」

 で、モノマネといえばもうひとり、個人的に待望しているのが渡哲也だ。
 これも、これまで意外にいそうでいなかった。

 ちなみに、渡哲也をモノマネする際のポイントは以下のとおりである。

■ドラマで良き父親役を演じるのが「かっこいい渡哲也」。スーツ&レイバンのグラサン姿でライフル片手に単車に跨り、犯人と豪快にカーチェイスを繰り広げるのが「面白い渡哲也」。

■石原プロモーションの代表取締役社長が「かっこいい渡哲也」。西部警察の団長が「面白い渡哲也」。
 
■巨人軍にエールを送るのが「かっこいい渡哲也」。石原軍団の連中と一緒に民衆に炊き出しを配ってエールを送るのが「面白い渡哲也」。
 
■『こんばんは。渡哲也です』が「かっこいい渡哲也」。『マグロ。ご期待下さい』が「面白い渡哲也」。
 
 この「面白い渡哲也」のほうを上手くマネれば良いわけだ。

 じっさいに「面白い渡哲也」のモノマネをする芸人さんが出てきたら、少なくとも一ヶ月間は面白がれる自信があるのだがどうだろう。腕に自信のあるモノマネ芸人さんがいたら、ぜひともチャレンジしていただきたいものだ。

 あと、個人的には猪木のモノマネは、春一番と、くりぃむしちゅ〜の有田で充分だ、とも思う。


・「マグロ。ご期待下さい」の詳細は→こちら
・織田裕二関連記事→「徹底考察〜『織田裕二はなぜ歌をうたうのか』」
・渡哲也(というか「団長」の)関連記事→「アルバム全曲レヴュー『西部警察PARTTVol.1〜コンクリートウエスタン・みんな誰かを愛している』」
posted by とんち番長 at 00:34| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

やってはいけない平仮名の使い方

 最近、R&Bミュージックにはまっている。
 
 平仮名で書くと、「あーるあんどびー」だ。
 そう。「りずむあんどぶるーす」。

 いや、R&Bってのは、いい。
 
 まず、リズム・セクションがいい。
 ベースとドラムスが肉感的に絡み合うこの上なくブリッブリなサウンドは、凄まじくファンキーであり、すこぶる気持ちがよろしい。

 コーラスも素晴らしい。
 じつに壮大かつ多彩であって、凝りに凝りまくって作られているのがよくわかる。

 そしてR&B歌手のみなさんは、たいへん歌が巧い。
 これがたとえばロックだったら、荒っぽさが売りのシンガーとか、ヘタだけど味のあるシンガーなんてのが往々にしていたりするが、R&Bシンガーの場合、どの人も「正真正銘のプロ」というか、ともかく文句のつけようのないほど歌が巧い、ということが絶対条件としてあるように思う。

 ただ、声が高い輩はちょっと苦手だ。
 先日、マライア・キャリーの一番新しいらしい『MIMI』というアルバムを中古CD屋で売っていたので買ったが、さすがに7オクターブ出るというだけあって異常なほどに声が高い。なにかこめかみのあたりに天龍チョップを食らわされているかのごとくキンキンきて、不快だ。

 一方、ローリン・ヒルはいい。
 ローリン女史の98年リリースのソロ・アルバム『Miseducation』のことであり、いやこれ、当時ラジオでヘビーローテーションされていた「Doo Wap(That Thing)」という曲をえらく気に入り、同曲が収録されているというこの『Mise〜』を購入、で、5回ほど通して聴いてみたものの「いや、なんか違うな」ということで、じつはそのままずっとCDラックの中にほっぽり投げたも同然の状態だったのだが、久々に聴き返してみたら、本当にいまさらながら、たいへん素晴らしい。
 なんだかまだよくわかってない部分もあるが、「これぞR&B」っていう気がする。ともかく名盤であろう。

 まあ、マライア女史にしても聴き込んでいくうちに、あの高すぎるとしか思えない声が気にならなくなるかもしれず、もっとうまくいけばすこぶる気に入るかもしれず、いずれにせよR&Bミュージックに興味が尽きない。
 そう。平仮名で書くと、「あーるあんどびーみゅーじっく」だ。

 ……って、あえて平仮名でしつこく書いてみたが、「いや、やっぱりこれはやっちゃいけないことだなあ」と改めて実感した。

 というのも、僕は当ブログのほかに、

 『とんちアルバム全曲レヴュー』

 なる己が所持しているCDを全曲まるごとレヴューするというブログを恐縮ながらもやらせてもらっているが、じつのところこのブログの名称は、ちょっと前まで

 『とんちアルバム全曲れびゅう』

 であったわけで、で、ふとある日、「いや、これってやっちゃいけないことなんじゃないか」ということに気づき、慌てて現在の名称に変更、そのまま「Diary Note」から「Seesaa」へブログ・サービスごと引っ越してきたという恥ずべき経緯があるのだった。

 いや、なんかやりたくなっちゃったのだ。「レヴュー」を「れびゅう」に。
 「レヴュー」じゃそのまま過ぎてつまらんだろうと、なんとなくやってしまったのだなあと、いまにして思う。

 もちろんこれが「間違った平仮名の使い方」であるというこはいまでは重々承知しており、なので「iPod」が「あいぽっど」だったり、「ブランキー・ジェット・シティ」が「ぶらんきい・じぇっと・してぃ」じゃなくて本当に良かったと思っているし、ましてや「福田総理」が「ふくだそーり」だの、「消費税」が「しょーひぜえい☆」であったりなどしたらもう牛刀片手に国会まで乗り込んでいただろうとすら思う。

 僕のようにブログのタイトルぐらいだったら、変更なり消去なりをいつでもできるので、まだ良い。これが店舗の名称とかだったりしたら、ことはそう簡単に運ばないだろう。
 
 つまり、
 
 「ぱちんこ・まぐなむ」
 
 やら

 「ほびーしょっぷ木下」

 やら、そういう類の店のことだ。

 幸い、「ぱちんこ」にも「ほびーしょっぷ」にも殊更足を運ぶ理由がない生活を送っているが、たとえこれらのモノに関心があったとしても、店の名前が「ぱちんこ」だの「ほびーしょっぷ」である以上、絶対に僕は入店しないだろうし、たとえこれが「やっちゃいけないこと」であるということに、店主がしばらく経ってから気づいたとしても、既に看板を掲げてしまっている以上、店舗を全面的に改装するか、いっそのこと店ごと潰すしか道はあるまい。

 いずれにしても、気づいてからでは遅い。
 
 やりたい気持ちはわかるが、悪いことは言わないから、ともかく絶対によしておくことだ。
 あとでもの凄く恥ずかしくなるから。

 このテキストが、これからもちょくちょく現れるであろう「間違った平仮名を使う人」を少しでも未然に防ぐ結果となることを、心から願う。
posted by とんち番長 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

ダンプからのメッセージ

 トラック野郎.jpg

 車やバイクで公道を走っていると、ダンプカーと呼ばれる類の車には様々な「メッセージ」が溢れているのに気づかされる。

 「爆走天使」
 
 だの

 「浪速の韋駄天野郎」

 だの

 「大人の不良達」

 だの、そんなような「メッセージ」が記されたステッカーやプリントがボディーに貼られてあるダンプがしばしば目撃され、上記写真の(かなりピンボケしてて読みにくいが)

 「トラック野郎〜君の似顔をトラックに☆抱いて一緒に走りたい黒ハート

 などというメッセージに至っては、「はあ、そうですか。まあ、頑張ってください」と言うしかないわけだが、これってのはやっぱり、異性への自己アピールというか、つまるところ

 「こんなやんちゃなオレだけど、カノジョ募集中」

 ということなのであろう。

 そう考えると、

 「犬、ゆずってください(オス希望)」
 「おでんはじめました」
 「正解はCMのあとで!」
 「私の友人の友人はアルカイダ」

 みたいな「メッセージ」を掲げ走っているダンプはいまだかつてお目にかかったことがないわけで、上記の「メッセージ」同様にしばしば目撃される、荷台部分に工藤静香だの酒井法子だのの「絵」が豪快に描かれたいわゆるデコトラなぞは、まあさすがに今の時代に工藤静香や酒井法子が描かれたダンプはほとんど存在していないに違いなく、おそらく長澤まさみとかそういう感じの人らの「絵」が今は主流になっているものと思われるが、これなどは要するに

 「こういうふうな(工藤静香とか長澤まさみ似な)カノジョ、募集中」

 ってなことをダンプのドライバー氏は遠まわしにアピールしているわけだ(たぶん)。

 まあ、気持ちはわからないでもないし、じっさい一般的な職業で異性に対してここまでおおっぴらにアピールできる機会なんてそうはあるまい。女が欲しくてたまらない輩にとってはまさしく好都合な職業といえるだろうが、なんにせよ、ダンプのドライバーってのは、本当に面倒くさい奴らである。
posted by とんち番長 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

パブリック・イメージ・リミテッド

 2・3週間前にテレビで「どっきり」の番組がやっていたので見ていたら、和希沙也がターゲットにされていた。

 ニセの子供向け番組(もちろん、ニセの番組だと和希本人はわかってない)のため、スタジオでアフレコ録音をしていた和希が、後からやって来た俳優の今井雅之におもっきりダメ出しされるという内容のドッキリであり、番組の趣旨としては当然

 「今井の理不尽ともいえるダメ出しにうろたえ、あわよくば泣き叫ぶ和希」

 という図を狙っていたのだろう。

 ところが和希は泣き叫ぶどころかダメ出しをする今井に対して「うぜえな、このオヤジ」みたいな、口にこそ出さぬものの終始不遜ともいえる態度を崩さず、さしものコワモテ俳優である今井もお手上げ状態といった感じでこのドッキリは終了した。

 で、それ以来、和希沙也が怖くてしかたがない。
 
 なにしろ、ほかの番組なんかでいかにもアイドルっぽくかわいこぶっている和希を見ても、そんなタマじゃないことは重々わかっているわけで、とてもじゃないが微笑ましい気分になれるはずがないからだ。

 ちなみに、もう10年以上前だと思うが、たしか『ホットドッグプレス』かなんかのインタヴュー記事の中で

 「俺、茶髪似合わないんだよね。やっぱ日本人なら黒髪でしょ」

 とかなんとか言ってたのに、その数年後、見事なまでの茶髪ヘアーを披露していたTOKIOの長瀬や、あと

 「頑張って100キロ、ダイエットするよ。もう現役を退いたし、体にも悪いからね」

 みたいなことを引退した直後に語りながらそれから一向に痩せる気配がない小錦は、いまだに俺の中で「信用ならん奴」というイメージが少なからずあったりもする。

 俺が過去の言動にとらわれすぎているのだろうか。
 
 まあ、もしかしたら役作りのために仕方なく茶髪にした長瀬なのかもわからないし、痩せた小錦に価値があるのかと言われれば否定的にならざるを得ないわけだが、でもそういうふうに思ってしまうのも仕方がないだろう。
 なんせ俺は彼らの実像を知らないからであり、彼らのことはメディアを通してのものでしか判断せざるを得ないからだ。そして、それがメディアの力であり、また恐ろしさでもあるのだろう。

 一足早くメキシコの地に武者修行へと向かった亀田三男だが、来月には長男・次男もようやくトレーニングを再開するという。
 一度貼られたレッテルを剥がすことは容易でないのは亀田にしても同じなわけで、これからの道のりはおそらく本人らが思っている以上に過酷であろう。

 それにしても例の謝罪会見で一連のパフォーマンスについて記者がネチネチいびったりしてたが、あれってもう、今後一切パフォーマンスはやるなということだろうか。優等生キャラの亀田なんて痛々しいだけだろうし、パフォーマンス抜きの亀田なんてじっさい、ほとんど価値がないのではないか。
 対戦相手に対してゴキブリだの挑発するのはむろんやり過ぎだが、ハンバーガー食うくらい、いいじゃないか。
 ちなみに俺はチーズバーガーが好きだが、あまりにチーズバーガーが好きなため、来日時にゴルフコース内にマクドナルドの店ごと作らせるタイガー・ウッズ並みに大好きだが、そんなことはどうでもいいが、ともあれ、せめて試合に勝利したあとに行われる次男のあのうんこみたいな歌謡ショーだけは、ぜひとも続けてほしいものだ。

 あのダサくてうすら寒いパフォーマンスがあればこそ、我々は改めて、悪意でも憐れみでもないニュートラルな視線で亀田一家を見られることが出来るような、なんだかそんなような気がしないでもない。
ラベル:亀田 和希沙也
posted by とんち番長 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

店員がフレンドリーだからって、いいことばかりではない

 こないだの日曜、久しぶりに服でも買おうかと渋谷の洋服屋へ行き、気に入った品があったのでそれを手に取りレジへ持っていったところ、

 「会員になるといくらか安くなりますよ」

 というので、手渡された用紙に必要事項を書き込んで店員に差し出すや否や、件の店員氏(男)からやおらにこんな言葉を掛けられた。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ」

 もちろん、この言葉に応対した僕の言葉はこうだ。

 「ああ、そうなんですか」

 だって、そう答えるしかないではないか。
 
 しかもその後のレジ作業に要する数分間、なんとも気まずい空気がもれなく付いてくるのだから、いよいよ困ってしまうしかないのである。

 いや、異性に対して過敏きわまる処女じゃあるまいし、

 「イヤ! アタシに声を掛けないで!」

 とかなんとか、店員氏にケチをつけたいわけではない。

 むしろこの東京コンクリートジャングル、たとえ一瞬とはいえ見知らぬ者同士で交わされる心と心の触れ合いじゃないか。温かくも貴重な交流じゃないか。

 そういうようなわけで、ショップの店員に対しては

 「交流オーライ! どっからでもかかってこいやあ!」

 が基本スタンスである僕であり、前述に出てきたような気前のいい店員さんには、これまでにも幾度か応対した経験があるものの、

 「あっ! ……時計、お揃いですね」
 
 だの

 「やっ! ……そのジーパン、いい色落ちしてますね」

 だの

 「ああ、そうですか」というふうにしか答えられない言葉を投げかけてくるのが大概であり、これはちょっといかがなものかと思う。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。これもなにかの縁ですね。早速、今から飲みにでも行きませんか?」

 いや、べつに僕はショップの店員と一杯ひっかけに行きたいわけではないのだが、おもいきってこうまで言ってくれたほうが、まだ応対の仕様があるというか、少なくともその後の作業の間、お互い気まずい思いをせずに済むような気がしないでもない。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。じつは今度、同じ誕生日同士の人間で合コンするんですけど、良かったら来ませんか?」

 いや、だから僕はなにもショップの店員を交えた合コンに参加したいわけではないのだが、いやまあ誘ってくれるのならとりあえず行かない理由はないが、ともあれ中途半端な言葉を投げかけられるよりも、こんな風に大胆に声をかけてくれたほうが答える側としても、なんというか、歯応えがあるし、たとえその誘いを断ったとしても(いや、だから断る理由はないが)、そのままお互い気持ちよく別れることが出来るのではなかろうか。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。ちなみに2月22日が誕生日の有名人はマリナーズにいた佐々木でしょ、それから元Winkのさっちんなんかもそうですね」

 まあ、言われなくても知ってるし、というか林家ペーかよという話なわけだが、こう言ってくれたほうがまだ話の広がりようがあるってものじゃないか。

 とはいえ、僕なんかはまだマシなほうだろう。

 以前、ビデオ屋に行った友人が、探しまくっていたというエロビデオをついに発見し、嬉々とした表情でそれをレジにいる店員に差し出したら、返す刀でこんなことを言われたというのだから、たまったものではない。

 「いや〜、よく見つけましたね、これ」

 どう答えればいいんだ!

 なにしろ買ってるモノがエロビデオなわけで、言ってみりゃ秘め事なわけで、腫れ物を触れるようにきわめて繊細にというか、むしろ「いるんだけど見えてない」みたいな対応をしてほしいわけであって、やたらフレンドリーなエロビデオ屋の店員というのも考えものである。
posted by とんち番長 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

マグロとスローモーション

 生きていれば誰しもが一度は「人生の一大事」というやつを経験することがあるだろうが、なぜその出来事を記憶から引っ張り起こそうとすると、決まって「スローモーションの映像」になってしまうのだろう。

 小学校に入学する直前の頃のことである。
 
 ある日、近所の友人と鬼ごっこをしていた僕は、あろうことかそのままの勢いで車道に飛び出し、走っていた車に撥ねられてしまった。
 もちろん、今となっては絶対にそんな無茶なことはしないが、当時まだまだ幼かった自分が交通ルールなど理解しているはずもなく、100パーセント僕の不注意により発生してしまった事故だった。
 
 結局、左眉の部分を少々負傷しただけで大事には至らなかったが、慌てた様子で車を急停車させるドライバー、心配そうに駆け寄ってくる近所のおばちゃん、呆然と見つめる友人、そして救急車に乗せられる自分……事故の瞬間の光景を思い起こすと、どういうわけかそれはスローモーションで動いている映像である。
 
 ちなみに、やはり小さいころ、危うく海で溺れかかったこともあったが、その瞬間を思い起こすと、その映像は同様にスローモーションで溺れかけている自分である。

 なぜかスローモーションなのである。
 そして、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるのだ。

 人生の一大事――友人にとってそれに該当するものは、「マグロ」だという。
 
 10年近く前のことである。
 その日彼は、久しぶりに再会したふたりの友人らと共に、酒を酌み交わしていた。
 なにしろ、久々の再会である。積もり積もった昔話や近況の話題で、3人が3人大盛り上がりだ。

 どれくらい時間が経っただろうか。気づいたら、友人2人が激しい口論を始めていた。

 口論のきっかけはよく覚えていないという。
 まあ、酒の席でのことだ。どうせ、

 「そういや、お前が高校のとき付き合ってたカノジョ。前々から言おうと思ってたけど、……あいつ、バケモンだったな」
 とか
 「ていうか、お前の鼻の下にあるそのでっけえホクロ、なんとかならねえのか」
 とか、そういうしょーもない話から発展していったのだろうが、とにもかくにも、これは大変だ。なおも激しく口論を続ける友人らを、彼は必死になって止めようとした。

 「馬鹿野郎!」
 「うるせえ! ぶっころすぞ!」

 その刹那だった。
 激昂した片方の友人が、マグロの刺身が大量に入ったプラスチックケースを勢いよくぶちまけた。酒のツマミにしようと、その友人が購入してきたものだった。

 激しい取っ組み合いをしている友人ら。
 とにかくなだめようと必死な自分。
 そして、その横で見事な放物線を描きながら宙を舞うマグロ。

 彼にとって、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるものがあるという。

 喧嘩をした2人が、その後から現在に至るまで、ただの一度も顔を合わせていないという事実を考えれば、これも紛れもない「人生の一大事」であろう。

 が、なんにせよ、マグロは嫌だ。
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2007年10月04日

最近流行(^^ゞの「魅力的な文章表現☆」について考えてみましたwwwww

 携帯電話やパソコンの普及により、日本語の文章表現は飛躍的に進歩した。
 
 いや、進歩したかどうか、本当のところはよくわからないし、正直どうなろうと知ったことではないが、ともあれ、ここ数年で人々がかつてないほどの斬新な文章を表現するようになったのは、間違いないだろう。

 たとえば、仲の良い友人やまたは恋人、あるいは母親だの父親、よしんば担任の先生や援交相手のオヤジとか、まあ誰でもかまわないが、とにかく仲の良い人物に

 「今日は楽しかったね」
 だの
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?」
 だの
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生をブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした」
 だの
 「あと一万くれたら、中出しアリだYO」
 だの、
 
 そんなような内容のメールを送ったとする。まあ、なんの工夫もない、至極ありふれた文章である。

 ところが、これらの文にいわゆる「顔文字」や「絵文字」「記号」をちょちょいと加えれば

 「今日は楽しかったね手(チョキ)
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?wwwww」
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生のことブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした\(^o^)/」
 「あと一万くれたら、中出しアリだYOグッド(上向き矢印)

 というふうに、たったこれだけの工夫をするだけで、あっという間になんだか魅力的に感じられる文章を表現することが可能になったというわけだ。

 中でも文章の語尾に「星」を付ける表現、これをはじめて「試した」人はいったい誰なのだろうか。僕自身、この表現方法をはじめて眼にしたときは、本当に感心した。

 「殺すぞ☆」
 「家、燃えた☆」
 「父危篤、スグカエレ☆」
 「シャコラー☆」
 「審判の判定は絶対や☆」
 「先日の裁判で死刑が確定しました☆」

 と、まあ、字面だけを追えばきわめて切迫した状況だが、このように言葉の最後にたったひとつ「☆」を付けるだけで、なんだか気持ち華やかな感じというか、「いやでも、そんな悲惨な状況じゃないかも」と思えてくるから不思議だ。

 いま、僕の手元に目薬についての説明書がある。先日、目薬を購入したとき、本体と一緒に封入されていたもので、そこには購入した目薬についての効能や使用上の注意等がつらつらと記されている。
 まあ、なんのひねりもないクソ面白くない文章だ。
 というか、目薬の説明書が面白い文章である必要などまったくないし、むしろ面白い文章だったらそれはそれでかなりダメなことになると思われ、とにもかくにも先ほどと同じように、この説明書の文章に「顔文字」「絵文字」「記号」等を加えてみるとこうなる。
 
 「コンタクトで目が乾いたり(笑)、装着による不快感\(^o^)/やゴロゴロとした異物感(T_T)を感じたりパンチ・・・・普段しっかり涙を守っている目も、コンタクトレンズやパソコンの使いすぎなどで目が乾いてくると(爆)、このような様々な不快症状(ニヤリ)だけでなく、ドライアイ状態により角膜表面に傷や黒ハート障害が野球起こる可能性があります(^^ゞ
 コンタクトをしたまま目のお手入れをしたい方バッド(下向き矢印)にぴったりなのが、涙液処方のアイボントローリグッド(上向き矢印)目薬ドライアイwwwww 角膜保護成分配合のとろみのある薬液が、涙の不足で乾きがちな角膜表面にじんわり広がって(*^_^*)、うるおい感たっぷり眠い(睡眠)に目の乾きを癒します☆」

 
 もう、本当に、なんて魅力的な文章なのだろう。「アイボントローリ」の「トローリ」の部分も後ろに矢印を付けただけで、気持ちトロミがアップしようというものだ。
 そして、こんなような文章表現がマジで企業などで活用されるようになれば、日本は確実に終わりである(爆)。
posted by とんち番長 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月02日

僕が亀田を好きになれない理由2

 いよいよ亀田次男坊と現世界フライ級王者内藤による世界タイトルマッチの開催日(10・11)が目前に迫ってきた。性器の一戦、いや世紀の一戦まで、およそ一週間あまりである。
 
 とうの亀田はいうと、相変わらずパフォーマンスに余念がないようで、先日は三男坊がアマチュア・ボクシングの試合で判定負け。例の長男VSランダエタの試合で「疑惑の判定」という声が持ち上がったときは「審判の判定は絶対や(笑)」だののたまっていたくせに、いざ自分らが判定で負けるとすかさず猛抗議。数日後に判定が覆り無効試合にさせたかと思ったら、なんとその次に行われた試合までも判定負け。するとなんたることか、前の無効試合ともども「ほとんどなかったこと」にするという亀田家一世一代の一発ギャグを敢行したものの、そんなお笑いセンス0のギャグなんかで大衆が爆笑してくれるはずもない。
 
 ちなみに本日付のスポーツニュースでは、亀田関連の記事として

 「大毅VS内藤戦で前代未聞の乱闘保険」(スポーツナビ)
 
 とあり、なんでも亀田が所属している協栄ジムがファン同士の乱闘対策として、観客1万人に対し傷害保険をかけるらしい。
 またしても亀田流の一発ギャグを得意満面かましたつもりなのだろうが、正直、絶望的なまでにさっぱり笑えない。「笑いは諦めろ」と、こないだあれほど僕が忠告したにもかかわらずまだやるかと、呆れるばかりだ。

 そして、相も変わらず僕は亀田を好きになれない。
 いや、ここまで好きになれないのは、きっと、こないだ書いたこと以外にも、なにか理由があるからじゃないか。

 というわけで、僕が亀田を好きになれない理由を改めて考えてみた。

@3兄弟だから
 高嶋兄弟やマラソンの宗兄弟、おすぎとピーコなどを見ればわかるとおり、社会で大成するのはほとんど例外なく2兄弟である。やはり3兄弟だと、かなり中途半端な印象は否めない。いっそ5兄弟(ゴレンジャー)6兄弟(おそ松くん)くらいいってればまだなんとかなったかもしれないが、すでにオヤジは離婚しているそうだし、実現性は皆無に等しいだろう。残念だ。

Aボクサーだから
 辰吉、畑山といったかつてのカリスマ・ボクサーたちが表舞台を去り(辰吉はまだかろうじて現役だが)、テレビ視聴率は軒並み低下。スポンサーを獲得するのにも一苦労という現在のボクシング界で、カリスマのカの字もない亀田ごときがスターになるなんて、小学校低学年程度の学力があれば土台無茶な話だと、あまりよく考えなくとも普通わかるはずだ。
 なぜプロ野球選手を目指さなかったのだろうか。ボクシング同様、人気が下降気味とはいえ、まだまだプロ野球は国民的スポーツの地位を得ているはずである。
 関西人なのに、なぜ甲子園を目指さなかったのだろうか。
 なぜプロに入り、打点王を目指さなかったのか。
 まあ打点王は無理としても、亀田ほどの逸材ならベイスターズで一軍ベンチ(代打の切り札)くらいは狙えたはずである。残念だ。

Bオトコだから
 やはり男子たるもの、求めるのはオトコよりもオメコであろう。

C日本人だから
 せめてコンガ人あたりであったなら、と思う。

D沢尻エリカじゃないから
 いまもっとも旬で注目すべき人物といえば、亀田ではなく、この人だろう。

E吹石一恵でもないから
 いや何気に好きなの僕。

F亀田だから
 結局のところ、これに尽きると思った。
 いろいろ考えたが、これしかないだろうと。
 というか、考えるまでもなくわかってた。
 ともかく、生理的にダメなのである。

 亀田でなければ、それでいい。
 顔を整形し、禅寺に入るなどし心を清め、いっそのこと名前も「苫篠」あたりに改名してくれれば、個人的には有り難い。
ラベル:亀田
posted by とんち番長 at 21:37| Comment(5) | TrackBack(1) | スポーツを観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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