2008年07月15日

車の「自己アピール」に翻弄される

 車に関して俺はことごとく無知だ。

 高校に上がり免許が取れる時期が近づいてくると、仲間内でにわかに車の話題が振られるようになるのは男子のいわば宿命であろう。続々と振られる車関係の話題にいちいちうなづいたりなんかしていた俺だが、正直話の90パーセントはワケワカメだった。

 免許を所持してからかなりの時間が経過した現在にしてもそれは同様で、具体的な車種名やらなにやらを言われてもさっぱりわけがわからない。

 車種名ではないが、たとえば「ステーションワゴン」というものがあり、「ワゴン」というのは、まあ、なんとなく意味はわかるが、しかし、「ステーション」というのはあれのどのあたりを指して「ステーション」であるのか、車無知な俺にはよくわからないし、あと、前々から疑問に思っていたのが「スポーツカー」というやつで、あれら車のどこがどう「スポーツ」であるのかもまったくもって意味不明だ。

 で、かろうじて知識にある代表的な車種が「ベンツ」であるが、「かっこいい」などと思ったことはとくになく、俺にとっては「なんかやたら角ばったやつ」でしかない。

 とにかく、車のことはよく知らないし、興味も持てないのだから、仕方がない。

 そんな車部外者の俺だが、それにしても、車の、えーっと、なんていうの? 
 「リア周り」? 
 ようするに車体の後方部分のことであるが、あれがどうやらとんでもない状況になっているらしいということに最近気づいた。
 
 あれは「自己アピール」のつもりなのだろうか。

 たとえば、主に商業車の場合だが、リア周りに

 「□□運送」

 だの、

 「△△引越しセンター」

 だのという文面を掲げ、自社の社名を大々的に「アピール」している光景は当たりまえのように目撃される。
 これはよくわかるし、じっさいある程度の宣伝効果があるのだろう。

 また、
 
 「安全運転宣言カー」

 だの
 
 「低ガスクリーン車」

 だの、そんなような文面入りのステッカーをリア周りに貼り付けた車もよく見かけられ、それを「アピール」したところでなんの効果をもたらすのかはよくわからないが、それでも言わんとすることはまあ理解できる。

 が、さらに一般の乗用車によく見られる光景で、

 「CHILD IN CAR」

 だのと口を大きくして(かどうか知らないが)「アピール」しているものになると、これが一気にわからなくなってくる。

 「子供が乗ってます」

 という意味であろうことはもちろんわかる。
 それはわかるが、だからなんなのか。

 「子供がビックリするんで、私の車に向かって極力クラクションは鳴らさないでください」

 ということなのか。
 あるいは、

 「アメ、あげてください。子供に」

 「喜ぶんで」ということなのだろうか。

 どちらにしても、したところで同乗している子供らがなんの恩恵も受けていないだろうことは間違いないと思う。

 あと、

 「熊出没注意」

 というのもいまだによく見かけるが、なんだか「フォー」だの「○○ですからあ! 残念!」だのといった一昔前のギャグを得意満面かまされているようで、ひどく悲しい気分になってしまうのは俺だけだろうか。
 そういえば巨人のラミレスがホームランを打った際、いまだにカメラに向かって「ゲッツ」をやっているが、あれもなんだかとても悲しい。

 ここはやはり例の不倫騒動のみそぎとして、
 
 「もう流行ってないから、それ。やめたほうがいいよ」

 と二岡が言ってあげるべきだと思う。

 「誰か・見てるぞ」

 だのという文面の、目のイラスト入りのステッカーを貼った乗用車も、意味がさっぱりわからなかった。
 車上荒らしに対する「警告」という意味での「アピール」なのだろうが、

 「む。誰かに見られてるのか。やべえやべえ。今日はズラかるとしよう」

 なんておずおずと引き下がるような人間がいるのかという話だ。
 そんな奴はそもそも車上荒らしなんか計画しないのではないか。

 かと思えば、ステッカーを8つだか9つだかリア周りに貼った「アピール過剰」な車にこないだ遭遇し、さすがに全部は覚えきれなかったが、その内確認できたのが

 「I LOVE FISHING」
 「Hawaii94」
 「シャネルのロゴマーク」


 この3つである。

 つまり、大の釣り好きで、94年ごろのハワイになんらかの思入れがある、シャネルを愛してやまないドライバー氏だ。
 だからなんなのだ。

 ちなみに、今までに遭遇した「アピール」でもっとも意味がわからなかったのが

 「英二、夢をありがとう」

 だ。

 「夢をありがとう」て。
 いきなり感謝されても困るではないか。

 まあ俺にではなく、「英二」に感謝しているのだろうが、それにしても「英二」ってどこのどいつだ。
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2008年07月12日

『ゲゲゲの鬼太郎』実写版第二弾映画のキャスティングにもの申す

 『ゲゲゲの鬼太郎』の実写版映画第二弾が完成し、本日から全国の映画館で公開されているらしい。

 正直、ふざけるなという感じだ。

 以前に公開された第一作目のとき、「キャスティングがなってない」と俺がブログでダメ出ししたにもかかわらず、その教訓がまったく生かされてないのはどういうことなのか。

 まあ、誰も読んでなかったから教訓にもなんにもならなかったのだろうことは容易に想像できるところだが、それにしてもなんだかなあ、と思う。

 なぜウエンツ瑛士が鬼太郎なのか。
 どう考えても鬼太郎は小室哲哉に決まっているではないか。
 なぜTKを起用しないのか、さっぱり理解できない。

 むろんそれは

猫娘=田中麗奈
ねずみ男=大泉洋
砂かけばばあ=室井滋
子泣きじじい=間寛平


 という、前作をそっくりそのまま踏襲した配役にしても同様で、あまりのむごたらしい惨状に怒りを禁じえない。
 一言でいって、最悪である。

 まあしかしだ。以前ダメ出しした上で俺が提案したキャストは、いや考えてみたら、たしかにあれはちょっと無理があったかもしれないな、とは思う。

 猫娘役ににしおかすみこだなんて、今にしてみると、なんて安易きわまりない配役なんだ、と、じっさい思うし、目玉のおやじ=西川きよしって、単に「目玉」なだけじゃないか。言った俺自身、ありえないと思う。
 挙句には、適当な人間が思いつかないからといってTK繋がりというそれだけの理由で子泣きじじい役にマーク・パンサーを推したりしたわけで、さすがにこれはふざけすぎだと叱られたとしても、正直、返す言葉がない。

 というわけで、今回は真剣に本気出して考えてみた。
 以前提案したキャストを大幅に修正したもので、これこそが『ゲゲゲの鬼太郎』のパーフェクト・キャストであると断言する。第三弾を作るときはぜひ参考にしていただきたい。

鬼太郎=小室哲哉
猫むすめ=千秋
ねずみ男=さだまさし
砂かけばばあ=野村沙知代
子泣きじじい=坂口なんとかっていう元厚生労働大臣の人
ぬりかべ=デビッド・クルサード(千野なんとかという女アナウンサーでも可)
目玉おやじ=CG(声=クロちゃん)


 ついでなので、『スラムダンク』という漫画なんかも昔かなり人気があったはずなのになぜかいまだに実写映画化されないのは、やはり適当なキャストがなかなか思いつかないからなのだろう。
 というわけで、『スラムダンク』の実写版キャストも考えてみた。

桜木花道=照英
流川=ガクト
赤木キャプテン=チェ・ホンマン
赤木晴子=(思いつかなかったので適当な人気グラビアアイドルで)
宮城=m.c.A.T(ジブラさんでも可)
三井=お塩先生
安西監督=岸部シロー



 照英.jpg
 (↑いつまで経っても桜木花道役に内定せず、悲しみのために号泣する照英さん)
posted by とんち番長 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画を観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

PV(邦楽編)

 というわけでPV邦楽編であるが、先日エントリの洋楽編における、ある程度知識を持った人が見たらあまりに芸がないと思われるであろうあの選曲はいかがなものか、という気がしないでもないが、しかしあれは評価されてしかるべきPVは当然しかるべき評価がされるべきだ、という趣旨で執り行ったからあのような選曲になったわけであり、というようなわけでそういうわけなのでございます。橋田壽賀子でございます。

 で、早速、先日の洋楽のときと同じように秀逸邦楽PV10点を選出しようしたところ、まあ困った。
 所有しているDVDやYouTubeなどで思いつくかぎりのPVをあらためて見直してみたが、それなりにいいと思えるものはあるものの、何度観ても面白いものとなると、これがほとんどない。

 まあ全然なくはないので、だったら誰に強制されたわけでもないので数を減らせばいいのだが、とはいえここは10というキリのいい数字になんだかこだわりたりたくもあり、が、そうはいってもないものはやっぱりなくて、困る。

 そんなこんなで試行錯誤した挙句、どうにか10点選んでみた。

@スーパーカー「LAST SCENE」

スーパーカーのPVにはCG技術をふんだんに駆使したいかにも「アートしている」モノが少なくないが、あれらはどうも退屈にしか感じられない。が、「LUCKY」や「BE」や「WHITE SURF style 5.」、あるいは本作のように毒やユーモアを織り込んでいるPVはとても面白くて良い。とくに、本PVにおける「泥酔オヤジの舞い」は一見の価値アリ。「まさかこんな絵で感動するとは」と、なんだか目から鱗が落ちたような格好だ。それにしても楽曲の内容、あるいはこのバンドのスタイルからしてもそうだが、けっして「オモシロ」なPVに仕上げる必要がないはずなのになぜにここまでやるか、と考えてみるに、PVの制作はバンドにとってちょっとした息抜きのような効果が働いていたのかもしれない。などと、もっともらしいことを言ってみた。

Aフィッシュマンズ「ナイトクルージング」

幻想的な映像をバックにメンバーの3人がほとんど飛んだり跳ねたりしているだけの作品なのだが、なぜだかとても良い。陳腐な結論になってしまうが、たぶんこの「ナイトクルージング」という楽曲が(と同時にフィッシュマンズの音楽全体が)醸す「ゆらゆらとした空虚感」が映像作品として過不足なく表現されているからなのだろう。と、またもやもっともらしいことを言ってみた。

Bhide with Spread Beaver「ROKET DIVE」

かなり前に『ミュージックマガジン』という雑誌で「日本のミュージック・ヴィデオのトップランナーはヒデと布袋である」などというようなことを音楽ライターの方が書かれていたが、あれには激しく同意した。布袋に関して真面目に語るのは今の俺には難しいが、ヒデの映像作品はあらためて観直してもそのクオリティの高さに驚く。ヴィジュアル系なるスタイルを提唱したのはヒデだったわけだが、それは世界でも屈指な我が国のデジタル技術をサウンド並びに映像面に反映させたオリジナルな世界を確立することにあったのではないかと、これらの映像作品を観て思う。

C宇多田ヒカル「TRAVELING」

優れた曲だからといって、むろん優れたPVが作りやすいわけではない。むしろ優れた曲だからこそ、その世界観を壊さないために映像作家は細心の注意を払うのだ。と思う。ここ10年の日本の音楽シーンにおけるもっとも重要な楽曲のひとつであろう本曲のPVは、すこぶるポップかつカラフルであり、しかも躍動感にあふれていて、そのうえ寂しげな味わい深さもしっかりと映像で表現されている。いかにもカネがかかった感じながら鼻につくような「アート臭」がまったくしないのが嬉しい。宇多田ヒカルのPVには優れたモノが多いが、その中でも現時点で最高峰に位置するのがこのPVだろう。

Dゆらゆら帝国「夜行性の生き物3匹」

もの凄いインパクトである。ひょっとこの面を被った3人の人物がただただ阿波踊りを繰り広げるという、徹底的にマヌケな映像がとにかく素晴らしい。しかも、それらが途中で増殖したり、「怒りの面」に変わったりする無意味な絵を「いちいち気が利いた」カメラワークで撮り続けていく妙技などはある意味、感動的ですらある。本PVが2004年SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDSの「ベスト・オルタナティブ・ビデオ」の栄冠に輝いたのには、渋谷陽一先生やピーター・バラカン先生ならずとも誰しもが納得することであろう。

Eエレファントカシマシ「笑顔の未来へ」

「無骨」や「拙さ」がある意味での音楽的な魅力にもなっている稀有なバンドがエレカシである。で、そういった「無骨」であったり「拙い」部分はPV作品の方にもよく表れているのだが、はっきり言ってそれらのほとんどは単に「無骨」で「拙い」だけで、正直あまりいい出来とはいえない。しかし、このPVはいい。じつにいい。映像的にとくに凝ったところはないものの、宮本浩次のキャラクターを意外な形で生かしたこのうえなくチャーミングな作品である。

FINU「メシ喰うな」
町田康がかつて在籍していたパンク・バンドのPVであり、以前、YouTubeで町田康関連の映像を閲覧していたときに発見した。テレビのフィットネス番組を強烈に茶化した内容で、この曲が収録された同タイトルのアルバムが発表されたのは81年だから、当然同じ時期に制作されたはずであり、こんなパンクでアナーキーでとんちの利いたPVが20年以上も前に作られていたとはと、心底驚愕した。そんな興味深い作品をなぜここに載せてないかというと、残念ながら現在はYouTubeから削除されてしまったみたいだからで、むろん俺のせいではない。

Gノリアキ「UNSTOPPABLE」

ご存知世界初のひきこもりラッパー、ノリアキの作品。で、「ご存知」と今書いたわけだが、正直なところどれだけの人間がノリアキのことを認知しているのかのはむろんよく知らないし、ついでに申せば「世界初のひきこもりラッパー」という部分はたしか本人が名乗っていたと思うが、それが本当に正しいのかどうかはやはりまったく知らない。そんな知らないだらけのノリアキのPVだが、本作が「ある意味素晴らしい」ことは間違いなく、リリースからどれぐらい経っているのか当然知らないが、とりあえず今観てもその魅力は一ミリも色褪せてはいない、と、よく知らないなりに思う。

H藤波辰巳「マッチョドラゴン」

漫画家の松本零士と現在法廷で係争中のドラゴンこと藤波辰巳。なんでも近々発売されるという写真集の撮影のため都内某所のスタジオを訪れたドラゴンだったが、なぜかカメラマンとしてやってきた松本零士に初対面でいきなり「君、射精しなさい」と言われたことがドラゴンの逆鱗に触れ、現在の泥沼状態へと発展してしまったらしい。むろん嘘だが、それにしても気になるのが、ヴィデオを撮っているときに「オレ、なにやってるんだろう?」とか、そういう人としての率直な疑問がドラゴンの内には湧かなかったのだろうか、ということで、それ以外にも、後ろで踊っている女たちは何者なのか、今この者らはなにをやっているのか、後悔はしていないか、というかこの曲を作ったこと自体がそもそも「間違い」であるのに、そのうえなぜPVまでも作ったのか、誰か止めてくれる人はいなかったのか、等、気になることはとかく多いが、気にしたところでなんの得にもならないので注意していただきたいものである。

I藤波辰巳「ドラゴン体操」

実行した者はいずれも、咳、のどの痛み、鼻水、鼻づまり、発熱、悪寒、倦怠感、頭痛、嘔吐、下痢、腹痛等を引き起こすとされる悪魔の体操「ドラゴン体操」。風邪によく似た症状から発症した場合は風邪薬の服用が良いとされているが、すべての人間に効果があるわけではないらしく、特効薬の早急な開発が待ち望まれている。むろん嘘だが、しかしながらこのヴィデオで流れている音楽がドラゴン体操であることはどうやら間違いないらしい。それにしても気になるのがヴィデオの中でドラゴンが着用しているピンクのトレーナーで、でかでかとプリントされている動物らしきブサイクな生物は猫なのか、犬なのか、はたまたキツネかなにかなのか、というかどこで購入したものなのか、あるいは手作りなのか、それ以外にも、途中のセリフの部分で声とドラゴンの口元がまったく合ってないことや、ドラゴンと一緒に体操している子供らは今なにをやっているのか、後悔はしていないか、この曲を作曲した者はどんな人物なのか、そもそも誰かこのヴィデオを作ることを止めてくれる人間はいなかったのか、等、気になることはとかく多いが、あんまり気にしたらそれこそ病気になってしまうので注意していただきたいものである。

 
 なんてな感じで、結局最後のほうはふざけてしまったが、誰が読んでいるわけでもないだろうからとくに反省はしていない。
posted by とんち番長 at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

PV(洋楽編)

 ザ・ベスト・オブ
ザ・ベスト・オブ

 先ごろ購入したレディオヘッドのPV集『THE BEST OF』を観賞。
 良い。素晴らしい。
 
 PVのほとんどはこれまで何度も観たものだったが、バンドの音楽性の変化と共にPVのほうも独自の発想・形式が表現されたモノへと進化していく、そういう過程が一気に観賞できるわけで、じつに見ごたえがあった。

 国内でこれだけのクオリティのPVを発表しているミュージシャンとなるとなかなか思い浮かばない。

 英米のマーケットに比べ予算の面で苦しい、という事情もあるのだろうが、洋モノPVのあからさまなパクりが横行しているのを見るに、優れた映像作家が圧倒的に不足していることがなにより大きいのだと思う。

 前々から思っていたことだが、音楽関係のテレビにしても雑誌にしても、PVについてもっと積極的に取り上げていい。まあ、MTV JAPANなんかでは本家のMTVと同じように、その年の優れたPVを表彰したりしているらしいが、一般的な認知度はまだまだ低いし、音楽誌にしたって年間のベスト・アルバムは発表するが、ベストPVとなるとたぶんほとんどの雑誌は取り上げていないだろう。

 面白いPVは、何度観ても面白い。

 優れたミュージシャンや楽曲についてあれだけ口を大きくして賞賛するなら、優れたPVだって当然同等の価値観でもって語られるべきだ。優れたPVが脚光を浴び、有能な映像作家が然るべき評価を受けることで、後進の映像作家が円滑に育成される環境が整えられれば、結果としてマーケットの活性化に繋がるはずで、第一、これじゃあ今現在頑張ってPVの制作をしている映像作家たちも浮かばれないだろうと、これからどんどん暑くなってくるであろう日々をいかにやりすごすかということで頭が一杯で、正直PVとかそれどころではないが、なんとなく思う。

 というわけで、PVの価値意識向上普及という意味合いを込め、勢いついでに個人的に秀逸だと思う洋楽PVを10点選出してみた。

@RADIOHEAD「STREET SPIRIT(FADE OUT)」

何度観ても面白いPVとはまさに本作のことであり、じっさい本PVが収録されたべつのソフトをすでに所持していて、それで今まで何度も観たわけだが、やはり本DVD観賞時においても何度も繰り返して観てしまった。モノクロ画面に浮かぶひたすらに美しい官能的なスローモーション映像に、ただただ圧倒されるばかり。素晴らしい。紛うことなき傑作。

ABLUR「THE UNIVERSAL」

秀逸PV群を世に発表しつづけているレディオヘッドとタメを張れる存在といえば、同じ英国のロック・バンド、ブラーが思い浮かぶ。どのPVも見所充分で選択に迷うが、涙をこらえてあえて選ぶなら、95年発表のPV『THE UNIVERSAL』を。俺が大好きな映画『時計じかけのオレンジ』をモチーフにした、目も眩むほどの極彩色が広がるスタイリッシュこのうえない映像美に、何度観ても酔いしれてしまう。楽曲自体素晴らしいのも当然のことながら、そのうえ画面に映るメンバー4者のルックスも抜群というのだから、断じてゲイではない俺はもとより、おそらく誰しもがこのPVを見れば当時のバンドの婦女子からの絶大な人気っぷりに納得できるに違いない。

BOASIS「D’YOU KNOW WHAT I MEAN?」
 
レディオヘッドやブラーのPVが秀作ぞろいであるのに、彼らと同世代の英国大物ロック・バンドであるオアシスのPVはやたら凡作が目立つ。「PV作りはひたすら退屈だね。オレ様ってのはミュージシャンであり俳優じゃねえんだから、カメラの前で演技なんてできねえのさ」みたいな、たしかそういうような趣旨のことを、眉毛が繋がったヴォーカリストの弟だか、同じように眉毛が繋がったギター&ヴォーカルでメイン・ソングライターでもある兄だかが以前、言っていたように記憶するが、そういったPVへの消極的な姿勢があのような形で出てしまっているのだろう。まあ、それでも『WONDERWALL』や『DON’T LOOK BACK IN ANGER』等、個人的に好きなPVは少ないながらもあるが、とりわけ97年発表の本PVに対しては思入れ深いものがある。当時は音楽シーン的にオアシスバブルがピークに達していたときで、なにかとてつもないことが始まる(始まっている)予感、有無を言わせぬような尋常ならざるエネルギーが画面の隅々にとぐろを巻くように充満していて、まあようするに、なんだかものすげえ、ということだ。今秋には新作がリリースされるらしいが、新曲、そしてPVのほうもこれぐらい気合の入った作品になっていることを強く望む。

CPULP『DISCO2000』

うん、ま、言うほど優れたPVじゃないと反論されればたしかにごもっともですと返答するつもりですが、当時毎週欠かさず見ていた『BEAT UK』という洋楽専門のテレビ番組でしょっちょうオンエアされていたころの淡い記憶が蘇る思い出のPVということで。パルプ再評価の願いも込め、ぜひ。

DROBERT MILES「CHILDREN」

ロバート・マイルズという、今はなにしているかよくわからないミュージシャンのPVで、当時何週にも渡ってUKチャートの首位をゲットしていた曲であり、これも『BEAT UK』でしょっちゅうオンエアされていた。ちなみに『踊る大走査線』の劇中でこれによく似た曲がかかっていたが、あれはあきらかにこの曲のパクリだろう(違ってたらスンマセーン)。

EEELS「NOVOCAINE FOR THE SOUL」

ミュージシャンが宙を舞いながらパフォーマンスを行う、などというアイデアなんて誰もが考えつくはずだが、いざやろうと思っても費用や労力面の負担が甚大であろうことは容易に想像できるわけで、じっさい件のごときPVは、ありそうでほとんどない。と思う。本作はそういった困難な作業を豊かな発想力と粘り強い忍耐力でもって実現せしめた大作であり、発表から12年を経た今でも大いなる驚きと新鮮さに満ちあふれている。

FWEEZER「BUDDY HOLLY」
 
メンバー自身も幼いころに見ていたというアメリカのホームドラマをもとにした、もの凄く手間ひまがかかったであろう作品。ドラマとバンドの演奏シーンを巧みに合成させたキュートでプリティな筋書きで、ゆるくてほのぼのとした調子がとてもいい。

GUNKLE「RABBIT IN YOUR HEADLIGHTS」

やはりこのPVは外せない。トンネル内で何台もの車に轢かれ続けながらそれでも懸命に歩を進める浮浪者風の男が、ついには突っ込んできた車を逆に木っ端微塵に吹っ飛ばすという驚きの結末で、その衝撃的な内容にフランスなどでは放送禁止指定されているらしい。もう本当に何度も観てるが、何度観ても面白い。

HAUDIOSLAVE「COCHIS」

大量の花火が豪快に咲き乱れるなか熱いパフォーマンスを繰り広げるバンドの面々。膨大なエネルギーと幻想的な美を閉じ込めたショットも最初から最後まで完璧そのもので、爽快このうえない気分になろうというものだ。

ITHE CHEMICAL BROTHERS「LET FOREVER BE」
 
北朝鮮のマスゲームを見ているような、偏執的なまでに計算されつくした均整美に誰しもが目が釘付けになるだろう。ケミカル・ブラザーズのPVでは、同じ監督によって撮られた『STAR GUITAR』も同じように素晴らしい。

(※おまけ「世界でいちばんダサいPV」
 

 
 まだまだあるような気がするが、とりあえず以上。
 気が向いたら邦楽編をアップするかもしれない。
posted by とんち番長 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

「ヨーデル調(ロカビリー調)」のあのCM

 まことに申し訳ないが、

 「♪ニ〜ッテレゴーゴー」

 だのと、藤井フミヤがなんだかやたら気持ちよさそうに歌っている日テレのあのCMは、気持ち悪いと思う。
 
 日テレや藤井フミヤの存在自体が気持ち悪い、ということではない。
 そうではなく、あのCMで藤井フミヤが

 「♪ニ〜ッテレゴーゴー」

 と来たあとのその終わり際に、

 「ゥゥゥア〜(←ビブラート気味で)」

 などと、なんかヨーデルふうというか、声を震わせながら歌唱している部分があって、あれがとにかく気持ち悪くてしかたない。

 むろん、あれがロカビリー・ミュージック特有の歌唱法を意識したものであろうことは、まあ、わかるが、藤井フミヤのあれは、なんというか、かなり不自然な感じというか、まあ俺は藤井フミヤの熱心なファンではないので氏の音楽のことはよく知らないと言うしかないが、単純に彼の本来のヴォーカル・スタイルには合ってないのではないか、と、よく知らないなりに思う。

 というか思うに、藤井フミヤに限らず、あのいわゆるロカビリー的な歌唱法は、外人が演歌の「こぶし」を模倣するのはおそらく困難であろうことと同じように、日本人が歌いこなすには相当な修練が必要なのではなかろうか。

 そう考えると、まあ演歌のことはよく知らないが、いわゆる「こぶし」を完璧に歌いこなしているのであろう、ジェロという演歌歌手の人は、相当に凄いが、藤井フミヤのあれは残念ながらその域には達していないように思われる。

 しかしそれよりも、「ロカビリー」といえば、やはり「陽気」とイメージが強い。藤井フミヤの詳しい性格は知らないし興味もまったくないが、少なくともテレビに映る藤井フミヤは「陽気」というイメージとは程遠く、むしろ「クール」という感じである。これは致命的欠陥と言わざるを得ない。

 で、「陽気」という言葉は、「うかうか」という言葉に置き換えることもできるだろう。
 
 なので、藤井フミヤはもっとうかうかするべきであろう。
 
 音楽番組に出演したとあればうかうかし、「フミヤート」だなんだと言ってはうかうかしまくるのだ。その先には、ロカビリー・スタイルを完璧にものにしたフミヤがきっといるに違いない。

 などと、フミヤへの期待が大いにやまぬ俺であり、というふうなことに免じて、いま流されているあの日テレのフミヤのCMだが、とりあえず即刻放送中止にしていただけないだろうか。

 いや申し訳ないが本当に気持ち悪いのである。


 
 (↑日テレ藤井フミヤの「ヨーデル調(ロカビリー調)CM動画」【※1:24あたりから】)
posted by とんち番長 at 22:42| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

続・「ジブラ」「ヒップホップ」考

 前回のジブラさんの記事を書き終えてから気づいたのだが、ようするに「ヒップホップ」ってのは「ヤンキーの進化形」ってことじゃないかと、ふと、思った。

 つまり、平成20年現在ほとんど絶滅したかに思われていた「ヤンキー」であったが、それを現代的かつファッショナブルな形で継承したのがまさしくこの「ヒップホップ」であると。

・まず、基本「オレ様語りの武勇伝」で出来上がっている楽曲がまさしくヤンキーの世界観そのもの。
・のみならず、ヒップホップの方々はやたら仲間と群れたがるが、これも仲間と一緒に仲良く暴走行為をするみなさんのそれと驚くほど酷似している。
・だから、「ジブラ」とか「ボス」とかいった、ある意味直球な芸名を付けてしまうヒップホップの方々のメンタリティーも、自らの暴走グループの軍団名に「寿辺苦絶悪(スペクター)」だの「暴走天使「ミッドナイトエンジェル」だのとかいう呼称を付けてしまうヤンキーのみなさんのセンスと同一なものとして見れば、じつに辻褄が合う。

・つまり、大雑把に言ってしまうと、「日本のヤンキー文化の進化系」=「ジャパニーズ・ヒップホップ」だと考えられる。

・で、ヤンキーの象徴的存在といえばいわずもがなE・YAZAWA氏であり、そのE・YAZAWAの直系遺伝子がジブラさんなのでは、という俺の考察もおそらく間違いではない。
・実際、ジブラさんはE・YAZAWAのことが大好きに違いない(音楽的な部分にとくに感心はしてなかったとしても、E・YAZAWAの生き様みたいなものは100パーリスペクトしているはず)。
・なのでE・YAZAWA直系ナルシスヤンキーヒップホッパーであるジブラさんに対して周りがいくらつっこんでも、それはE・YAZAWAにつっこみを入れるのと同様、おそらく一切の無駄というものであり、そんなわけだから仮にジブラさんがE・YAZAWAの代わりにブルーレイのCMで

 「このDVDのジブラ、ハイビジョンじゃないの?」

などとやらかしたとしても、たぶんまったく違和感はないだろうし、ついでにイギリスを代表するナルシスヤンキーロッカーと言えばいわずもがなオアシスのリアム・ギャラガーさんなのであって、そんなわけだから仮にリアムさんがE・YAZAWAやジブラさんを差し置いてブルーレイのCMで

 「このDVDのリアム、ハイビジョンじゃないの?」

などとやらかしたとしても、たぶんまったく違和感はない。


※本家E・YAZAWAによる「このDVDのヤザワ、ハイビジョンじゃないの?」動画を見たい方はこちら
posted by とんち番長 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

「ジブラMTV批判動画」の3つの疑問

 ラッパーのジブラ氏が「YouTube」に投稿した動画がちょっとした話題になっているらしい。
 内容は、「MTVミュージック・アワード・ジャパン2008」への不満をお得意のラップ調で語ったもので、問題の動画は記事の末尾に貼るとして、とりあえずここでは2ちゃんねるの関連スレッドにアップされていたラップの全文を転載する。

YoYoYo! 調子はどう?
オレがZEEBRA the illskill
これがfirst time ever
YouTubeにいきなりダイレクトで生で挿入! Yeah!
先ほど行ってきたMTV AWARD
俺一言マジ言わせてもらうぜ
今までどんだけマジ日本の音楽業界
色んな奴らが 本気でやってきたと思ってんだよ?
You don't know shit, man? (お前ら何にもわかってねえだろ?)
You talk to the funking sponsor (お前らはスポンサーと話してばかり)
all the bull shit rap you wanna push (へなちょこラップばっかりプッシュしやがって)
誰が状況を作っているんだよ!
誰が音楽業界を作っているんだよ!
誰が音楽をやっているんだよ!
That's musician motherfucker! (それはミュージシャンだろ?くそったれ!)
スポンサーと話す時間があって
オレと話す時間が無いんだったら
Fuck all you, bitches! (死ね、くそったれ!)


 と、まあこんな感じである。

 で、その2ちゃんねるのスレッドをざっと眺めた感じ、どうやらジブラ氏不支持の声のほうが大きいようで、6・4か、もしくは7・3といったところだろうか。

 いずれにしろ、仮にジブラ氏の言っていることが、というか「ラップに乗せていること」が事実なら、このほどのMTV側の対応に非があるのは間違いないが、ただし、それでジブラ氏のほうには非がなかったのかというと、もちろんそんなことはない。
 というか今回の件に限れば、ジブラ氏のとった一連の行動の方がより多くの疑問を孕んでいた、と、やはり見るべきである。

 以下、ジブラ氏の疑問点を列挙してみた。

疑問@YouTubeに投稿
 まずこれがよろしくない。
 だってそんなの、MTVの関係者に直接言えばいいじゃないか。

 「動画サイトに投稿とか、ましてやその文句をわざわざラップ調にするなんて、なぜそんな七面倒臭いことをするのか」

 と、幼稚園児だって言うだろう。

 いや、やはりラッパーである以上、ラップというスタイルにこだわりがあるというのは理解できる。
 が、だったら、被告であるMTV関係者本人の目の前で直接ラップすればいいだけの話だ。

 「いや、社会に対して問題提起をするのがラッパーとしてのオレの役割であり、今回の件は社会的な問題として、より多くの人々に知ってもらおうと、それでYouTubeにアップしたのだ」

 と、あるいはジブラ氏は主張するのかもしれないが、この程度の問題ではせいぜいネット村を一週間かそこら賑わすぐらいであり、ならば先ほど提案したように、被告本人の目の前で自身がラップしたその様子を映像に収め、それをYouTubeなどの動画サイトに投稿すべきである。そうしたほうが被告のダメージも大きかったろうし、ラッパーとしての後々の評価にも繋がったはずだ。

 「でもそれって、ちょっと滑稽じゃねえ…?」

 と、あるいはまたもやジブラ氏は主張するのかもしれないが、ならば、DJ、映像技師、ダンサー等のバンド・クルーはもとより、ジブラ氏の主張に賛同するファンや音楽関係者、加えて、犬、猫、猿、きじ等を盛大に引き連れ、そのうえで被告本人に直接文句というかラップした映像を投稿すれば良い。それこそ大反響を巻き起こせただろうに、いずれにせよ今回のそれはなんとも軽率な行為であったと言わざるを得ない。

疑問Aラップ
 そもそもジブラ氏のラップ自体が意味不明である。
 上に挙げたとおり、問題の動画でのジブラ氏のラップは日本語と英語を混ぜ合わせたスタイルになっているが、デーブ・スペクターとか日本語と英語の両方を操れる特殊な例の人を除き、普段英語を日常会話として使用していない大多数の人々にジブラ氏の主張が充分に伝わっているとは、とてもじゃないが思えない。
 言われたMTV関係者にしてもおそらくそうで、「ファック」だの「ビッチ」だの罵倒されても、いまいちリアリティがないので、とくに傷つくようなことはなかったはずであり、

「この包茎野郎」
「このワキガ野郎」
「このコロッケ野郎」
「ハゲ」
「デブ」
「チビ」
「殺すぞ」
「死ね」
「お前のかあちゃんでべそ」

 等々、罵倒するに相応しい日本オリジナルの言葉がこれだけあるのになぜそれを使わなかったのか、まったく理解に苦しむ。

 「いや、オレはこの問題を日本国内はもとより、世界中の人々に表明しようと、それで日本語と英語を混ぜたのだ」

 と、あるいはジブラ氏は主張するのかもしれないが、だったら日本語、そして英語はもとより、ドイツ語やフランス語、中国語や韓国語、さらにスペイン語、ギリシャ語、アラビア語、タイ語、モンゴル語、ベンガル語、ヌベテレ語、ギャル語、ナメック語、金星語等、あらゆる言語をそのラップの中に取り入れなければならなかったはずで、なんとも中途半端であったと責められたとしてもこれは仕方のないことだ。

疑問B「ジブラ」というアーティスト名
 これに関しては人種とかそういうのは関係ない。
 世界中のあらゆる人間が口を揃えてこう言うだろう。

 「いやシマウマかよ!」

 そう。
 ジブラ氏の熱狂的な信者以外、

 「シマウマには言われたかねえよ」

 と、これはもう、誰だって思うに決まっているのであって、ならばトンビやモモンガだったらいいのでは、とか言う人があるいはいるかもしれないが、もちろんそういう問題でもないのである。

 というか、ジブラ氏だけでなく、
 
 「ILL-BOSSTINO a.k.a BOSS THE MC」
 
 だの、
 
 「MC仁義」
 
 だの、
 
 「ポチョムキン」

 だの、
 
 「ヤス一番?」
 
 だの、
 ヒップホップの方々はなぜに「ユニーク」な芸名を名乗る人が多いのか。
 
 まあ、若いうちは「ジブラ」や「ボス」でいいのかもしれないし、「やんちゃ」の一言で済まされるかもしれない。
 が、年をとったときのことを考えてほしい。
 いずれ、子供のひとりやふたり、できるだろう。

 とりあえず、俺の親父が「シマウマ」や「ボス」だったら、絶対に嫌である。

 
 (↑問題の動画)
posted by とんち番長 at 23:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事ネタを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

テレビのチカラ

 それにしてもテレビに対して本格的に興味がなくなりつつある昨今なわけで、これは喜ぶべきことなのだろうか、それとも悲しむべきことなのだろうか。

 頭からしまいまでちゃんと見る番組といえばスポーツ中継を除けば『シンボルず』と『ザ!世界仰天ニュース』と『ロンドンハーツ』ぐらいなもので、これらにしたって毎週欠かさず見ているわけではない。
 かつて心酔しきっていたダウンタウンの番組もほとんど気にならなくなってしまったし、いやしかし『警察24時』といった類の番組もなぜだかわからないが好きでつい見てしまうが、それにしても『ロンハー』に『警察24時』って、この一貫性のなさは一体なんなのだ。

 なにしろ友達に遊びに誘われても、「今日はいろいろ忙しい」と嘘を言って家でテレビにかぶりついていたほどであり、フジロックの最中なんかでも

 「ロックもいいけど、ああ、帰ってテレビみたいなあ……」

 とじつはふと思ってたりなんかもしていたテレビ超好きっ子であったかつての自分が嘘のようだ。

 で、かわいさあまって憎さ百倍というか、近親憎悪というか、いずれにせよ言葉の遣い方が間違っているような気がするが、最近ではテレビのやることなすことがなんだかいちいちムカついてしかたがなかったりする。
 ともかく、いま、テレビに対して言いたいことがなにかひとつあるとすれば、「うるせえよ」ということだ。

 あと、テレビを見なくなってあらためて感じたのは、テレビの中の人らがよくやっている、顔の前で手を叩きながら大笑いする行為と、番組中に流される字幕スーパーの多用は気をつけたほうがいいということである。
 前者はテレビの中の連中が馬鹿に見え、後者は番組を見ている視聴者がおそらく馬鹿になるだろうからだ。

 では、テレビを見なくなってエンタメ的な情報をはたしてどこから手に入れているのかというと、なんのことはない、そのままネットの方に移行しただけである。

 で、「キムタクが総理大臣の役をやっているドラマが高視聴率を獲得」だのといったニュースもやはりネットで知ったわけで、キムタクの総理ドラマは俺は見ていないので内容云々はよく知らないというしかないが、それにしても、キムタクってどの役やらせても「キムタク」になっちゃうから、スゴイネ! 
 きっと電柱とか洗濯機の役やらせても「キムタク」になっちゃうんだろうネ! 
 天才だネ!

 それはさておき、高視聴率ゲットといえば『ごくせん』や『ルーキーズ』といった「教師モノドラマ」も何気にウケているらしい。

 しかしあれもどうも見る気になれないのは、

 「センコーなんてクソくらえだぜ」などと生徒が威勢よくのたまってたのが、教師と生徒が激しくしばきあったりしてたらいつのまにか互いに妙に認め合ったり、クラスの中でも特に威勢のいい生徒の一人が他校のラオウみたいな凶悪な生徒に殺されかけているところへタイミングよく登場した教師が助けてさらにお互いの信頼関係が深まったりなんかして、そうこうするうちついに卒業の時期がやってきて、

 「よっしゃ、みんなで頑張って卒業しようじゃないか!」
  ↓
 「色々あったけど、みんななんとか無事に卒業できたヨ! ヤッタネ!」
  ↓
 「センセー、アリガトー!」
  ↓
 「ジ・エンド」

 みたいな、なんかそんなような感じなんでしょ? 
 どうせ。

 と見る前から大まかなストーリーが容易に予測できてしまうからであり、たとえば、

 「火星に派遣された教師と、地球侵略をもくろむ火星人生徒との心の交流を描いた、感動スペクタクルふう教師ドラマ」

 だったり、もしくは、

 「教師も生徒もどちらも救いようがないほど最低最悪な人間で、男子生徒と女子生徒が盗んだ車の中で夜中にイチャついてたら斧を持った教師が突然襲いかかったり、負けじと生徒の方も教師の自宅にダンプで豪快に突っ込むだのした挙句、最後は登場人物が全員死ぬサイコサスペンスふう教師ドラマ」

 であったりすれば絶対に見てみたいと思うのだが、フジかテレ東あたり、やってくれないだろうか。

 で、テレビを見なくなってわかったのは結局、「見なくてもべつに困らない」ということである。

 ま、テレビなんてそういうものなんだろう。

 テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))
テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))
 (↑小田嶋隆氏によるテレビ一刀両断痛快本。これを読んでますますテレビ嫌いになってしまいました……)
posted by とんち番長 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

ヂョーヂ高橋のオールナイトニッポン〜第7夜

 THE 虎舞竜 SUPER BEST

 Yeah! ひさしぶり! ヂョーヂだYO!

 というわけで誰も聴いてもいないのにかかわらずおよそ一年半ぶりの再始動と相成ったわけだけど、…どうかな? またやっちゃてもいいかな? 

 って問いかけても

 「いいとも!」

 なんつったレスポンスなぞいくら待ったところで返ってこないことは、これはもう、わかりきっているわけで、

 「髪切った?(そうですね!)」

 なんつったレスポンスもましてや返ってこないだろうことは、これはもう、じゅうにぶんに了解しているわけで、いやしかし誰も聴いちゃいないのはわかりきってはいてもまあアレだ。

 かなりの久方ぶりとあってさすがのオレ様も緊張しちゃうね。リアルな話。
 もうヂョーヂタ〜イヘン。

 ってなことで早速お話させていただきたいと思うんだけども、あのね、ぶっちゃけいって、ないの。とくに話題が。

 いや、ラジオやるっつって話題がないってそれって人としてどうなのよ、みたいなふうに言う方が当然ながらいらっしゃることと思われますが、まあしかしないものはないわけ。もうこれは仕方がないわけ。

 で、まあ、そうはいっても喋らないわけにもいかないからね。なもんで喋るかわりに屁ね。さすがに無音となると放送事故なんてのになっちまってまずいだろうから、とりあえずオンエアの間、ずっと屁ぶっこいてればまあ許してもらえるじゃねえかってわけだ。

 という感じでね、まっ早速おっぱじめたいわけだけども……あっ!

 ようやく話題が思いついたYO!

 というわけで、ばばあの話をしたいと思う。

 あのね、こないだ道歩ってたら急に雨が降り出したんですわ。俗に言う夕立ってやつだね。で、当然

 「こいつはたまらん!」

 ってことで道行く人らは折り畳み傘出したり手に持ってたカバンを頭の上にもってきたり、各々が突然の雨に知恵を絞って対処していたわけなんだけど、そこに登場したのがチャリンコに乗ったばばあですわ。

 目を疑ったね。なにしろ頭にビニール袋かぶってたからね。マルエツとかそこいらへんの。手さげの部分、鼻のほうに持ってきて、そんで結わってたからね。

 もう、マジスゴ。
 震えたね、オレは。

 だもんで今まで人生で目撃してきた数々のもの凄いばばあに思いを巡らすオレがいるわけで、今でも忘れられないのはアレだね、ピンク・フロイドのTシャツ着たばばあが老人ホームに入っていく光景を目撃したことだね。プログレ界の王様が老人ホームに入ってくというこの異常きわまる光景ね。これぞまさにプログレッシブでごわすなあってなぜか力士口調で感涙よ。

 マリファナのイラストがプリントされたTシャツを着たばばあ、これもパンチがあったね。ましてや、あきらかにノーブラでTシャツ越しから乳首ガン透け状態で歩いてるばばあを道端で目撃したときなんかはもう即死よ。

 いやもう、一体全体なんなのよ! 凄すぎでしょ、奴ら。

 で、いやしかしばばあってなんであんなに己に対して自信満々なんだろうってオレなんかは疑問に思うわけだけど、どうだろう? なぜか? って考えてみるに思ったのはアレだな、女を捨ててるんだな。

 つまり、若い頃は男どもからチヤホヤされたわけじゃない? ところが年くってばばあになると夫しか相手してくれないわけじゃない? 基本的に。

 で、その基本となる夫にしても妻として見ているわけで、ようするに大半の夫は女として見てくれてないと。女として見てもらえなくなったばばあがどうなるかというといわずもがなやりたい放題よ。ビーチクが透けてようがパンツからマン毛がはみ出ていようがもう関係ねえわけ、基本。ようは恥じらいの問題よ。恥じらいを捨てた女ほど怖ろしいもんはねえと。つまり、ある意味ゴリラということですわ、あの人らは。もうリアルゴリラですわ、基本。

 ああ、オレもばばあみたく自信満々に生きたい!

 ってなわけで、よっしゃ! 恒例の曲紹介だね。再始動一発目の記念すべき曲ってことで、そうさな、とりあえずこの人に関してオレから言えるのは「復活おめでとう」ってところだね。

 それじゃ本日の1曲目、聴いてください。倖田來未で『エロゴリラの逆襲』――。


posted by とんち番長 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ラジオを聴く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

「鼻毛トリマー」に萎える

 「スチュワーデス」という呼称が「キャビンアテンデント」なるものにいつのまにやら成り代わっていることを、つい最近、知ったわけで、ああ、俺は本当に時代についていけてない男だなあ、と改めて実感した。

 で、そういえば、と思い出したのは、「看護婦」や「助産婦」といった呼称も、何年だか前に「看護士」「助産士」などという呼び名に変更されたということで、たしか女性差別に繋がるとかそういう理由だったように記憶しているが、べつにそこまで神経質になることもないのでは、と思いつつ、しかしまあ時代の流れとして仕方のないことなのだろう、と一方で思う。

 言葉に対して敏感にならざるを得ない時代。

 そんなことを徒然なるままに考えてしまったのは、先日、テレビの通販番組を見たからで、というのは、その番組で紹介されていた「鼻毛トリマー」なる呼称の商品に、僕自身、強烈な違和感を覚えたからである。

 「鼻毛トリマー」

 よくよく考えればじつにぞんざいな呼称である。
 「トリマー」はまあいいとして、

 「鼻毛」
 
 これはありえない。

 言葉に多大な神経を遣わなければならない時代において、「鼻毛」という言葉はあまりにもダイレクトかつ剥き出し感満載でデリカシーがなさすぎじゃないか。

 まあ、おやじなんぞはとくに気にはしないだろうが、一方では鼻毛が育ち盛りな乙女だって当然いるわけで、そんな鼻毛が育ち過ぎて困っている乙女が

 「スイマセーン! 今やってた鼻毛トリマーっていうやつ、欲しいんですけど!」

 などと電話越しのオペレーターに注文するなんて、よっぽど恥知らぬな乙女以外、まず無理だと思う。

 「ノーズヘアートリマー」

 どうだろうか。
 単に英語にしただけだが、これなら鼻毛が育ってやまない乙女も

 「スンマセーン! ノーズヘアートリマーくださーい!」

 と、なんら躊躇せず注文できるのではないだろうか。

 「ウルフ由伸」

 なんていうのも良いかもしれない。

 「あっ。カナちゃん、ウルフ由伸出てるよ」

 と万一ボーフレンドから指摘されたとしても、ものが「ウルフ」なだけに、なんだかよくわからないがさほど傷つかないような気がする。

 で、こうやって考えると、是正すべき呼称はまだまだ一杯あるようだ。

 たとえば、「うんこ」という呼称もやはり今の時代にはそぐわないのではないだろうか。

 「愛のバクダン」

 ファニーな感じで良いと思う。

 「あっ。ごめん、……愛のバクダン、落っことしちゃった(←「漏らした」の意)」

 というふうにオフィスで隣のデスクに座っている同僚から告白されたら、まあ笑って済ませてやろうじゃないか、という気になろうというものである。

 「ハゲ」

 これも、そういった特徴を持った男性に対する差別に繋がるのでよろしくない。

 「荒鷲」

 むしろ積極的にハゲたいとすら思う。

 「包茎」→「HO-K」
 「短小」→「スモール・ベースボール」
 「ワキガ」→「野菜ソムリエ」
 「童貞」→「ハイパーメディアクリエイター」
 「デブ」→「エネルギー」
 「デブニート」→「エネルギー充電中」
 「タンポン」→「おたまじゃくしちゃん」
 「金玉」→「元気玉」
 「まんこ」→「スターシップ・トゥルーパーズ」

 まだまだ色々あるような気がするが、なにはともあれ、こんなくだらないことを一生懸命考えている自分はやはり早急に死ぬべきだと思った。
posted by とんち番長 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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