2009年01月13日

うまい棒

 昨日、ブックオフで買い物をしたら、新年かなにかのキャンペーンだったらしく、くじを引くことになった。

 言われるがまま差し出された箱の中から4枚引くと、それを確認した店員が鐘を鳴らした。
 
 「おめでとうございます! 当たりです!」
 
 とのことで、手渡されたのが商品の割引券とうまい棒だった。

 うまい棒(たこやき味)一本である。

 しかも、とくに袋に入れるわけでもなく、そのまんま手渡しなのである。
 
 まぬけ。

 大のおとながうまい棒一本片手にブックオフの店内でただずんでいるような状況は、どう考えてもまぬけだ。たとえうまい棒を手渡されたのが田村正和やジェロム・レ・バンナだったとしても、まぬけな状況であることになんら変わりはないのである。

 というか、なんでうまい棒なのか。
 大のおとながうまい棒(たこやき味)を一本貰って喜ぶと思ったのか。
 
 いや、だからといって、「高級フカヒレ3食分」だの、「セブ島3泊4日の旅」だの、そんなような、なんだか豪華なやつをよこせと言うつもりはさらさらない。ブックオフにそこまで求めてどうするという話だからだ。
 
 ただ、じっさい、DVDを買いに行ったところに、いきなり、うまい棒を一本手渡されたら困るぞ。

 やっぱり一本というのがいけないと思う。
 一本では、やった、当たったぞ、という感じがどうもしない。
 せめて3本だろう。
 
 あと、味も選ばせるべきではないか。たこやき味も嫌いじゃないが、どちらかというとサラミ味が好きなのだ、俺は。

 しかし、よくよく考えたら、うまい棒で良かったのかもしれない。
 もしこれがうまい棒一本でなく古タイヤ一本だったとしたら、悲惨きわまりなかったはずだ。つーか邪魔だ。ただでさえ狭い部屋がますます狭くなるではないか。

 では3本だったらいいのかというと、当たりまえだがますます邪魔だ。もはや部屋には足の踏み場もなくなってしまうだろうし、といって、それがセブ島に捨てられていた古タイヤ3本だったとしてもおそらく喜べないのは、やはり邪魔であることになんら変わりはないからだ。

 ああ、うまい棒で良かった。

 みたいなことを考えつつ、帰宅後、当たったうまい棒を食った。
 うまかった。
posted by とんち番長 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

キャスティングの大切さをあらためて痛感する――『ネットワーク』

 
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 主要キャストであるピーター・フィンチ、フェイ・ダナウェイ、ウイリアム・ホールデン、ロバート・デュバルを筆頭に、出てくる俳優らが揃いも揃って暑苦しいほどに威圧感たっぷりの演技を繰り広げていて、思わず胸焼けしそうになった。

 自らの番組の低視聴率を気に病み、番組内で自殺予告したニュース・キャスターを中心に、テレビ界で生きる人たちのドロドロとした内幕を描いた社会風刺モノ。

 件のニュース・キャスターを演じたピーター・フィンチと、そんな情緒不安的気味な彼を利用し番組の高視聴率化を企てる冷徹女テレビマンを演じたフェイ・ダナウェイは、アカデミーの男優・女優賞をそれぞれ獲得したらしいが、それも納得だ。
 
 なにしろ、こんな特濃ソースばりに濃ゆい演技を見せつけられたら、アカデミー賞のひとつやふたつ差し上げないわけにはいかないだろう。仮に差し上げていなかったら、とんでもないことになったはずだ。この鋭くも威圧感たっぷりの眼差し(上画像参照)で、選考者は一生涯、睨まれ続けただろう。あと、ビデオテープのツメを勝手に折られたりとか、そんなようなこともされていただろう。

 嫌だ。
 そんな経験、誰だってしたくないに決まっているではないか。

 それにしても、本作に限った話ではないが、いろいろと映画を観ていて、あちらの映画は本当にキャスティングというものが的確だなあと、つくづく思う。べつにあちらの映画をことさら贔屓するつもりはないが、これが日本の映画となるとなかなかそういうわけにはいかないものである。

 たとえば、主役が、いわゆる「かっこいい人」だったとする。

 むろん、「かっこいい人」にもいろいろいる。

 かっこよくていい人もいれば、かっこよくて悪い人だって当然いる。さらには、かっこよくて面白い人、かっこよくてダメな人、等、「かっこいい人」にもいろいろなバリエーションがあるわけだ。

 で、じっさいあちら映画は、かっこよくていい人の役には、いかにもかっこよくていい人っぽい俳優を、かっこよくて悪い人の役には、これ以上ないくらいかっこよくて悪そうな俳優を、といったふうに、まさに適材適所な感じで見事にそれを果たしているケースが数多く見られる。で、その結果、「かっこいい」だけではない「なにか」を、映画を観終わった我々は、気持ちよくお持ち帰りすることができるのである。

 そこが、「とにかく、かっこよければすべて良し」みたいな、内容ではなく俳優ありきで作ったとしか思えない作品ばかりが横行する日本映画との、埋めたくても埋められない差であるような気がしてならないわけだ。

 もちろん、そんなものは演じる役者の力量によってある程度はどうにかなるものではあるだろう。
 が、人間には本来から備わっているムードというか「色」みたいなモノがあるわけで、それは、演技とかいう、あくまでもかりそめの表現でしかないシロモノで乗り越えられるレベルの類では、おそらくない。
 その結果として、いわゆる「ミス・キャスト」というのものが生まれてしまうわけだ。

 たとえばの話、本作のニュース・キャスターを、ピーター・フィンチではなくエディ・マーフィ(とりあえず両者の生きている時代とかは無視して)が演じていたらどうか。あるいは、ウディ・アレンだったらどうか。おそらく作品内における重厚かつ硬派なムードも、かなり違ったものになっていたはずだ。
 むろん、エディ・マーフィやウディ・アレンが薄っぺらい演技しかできないグズグズな俳優と申しているわけではない。ただ、この映画の「色」にちょっとそぐわない、と、そういうことだ。
 
 だから、あちらの俳優さんといえば、企業のCMというやつにはほどんど決まって出演しないことになっている。むろん、出演することによって余計なイメージが付くことを避けるためなのだろう。

 じっさい、我が国では、シュワルツェネッガーといえば「やかん」(※1)、スタローンといえば「ハム」(※2)になりかけたことがあった。 
 
 
 ※1〜シュワルツェネッガー@「やかん」CM
 
 
 ※2〜スタローン@「ハム」CM

 まあ、おそらくギャラがバカ高いうえ、

 「どうせ極東の島国のみで流れるCMだからダイジョーV!」

 とかなんとか、安易な気持ちで引き受けたのだろうが、甘い。
 きっと映画のことなどよくわからない田舎のおじいちゃんおばあちゃん方なぞは、いまだに
 
 「あんだって? シュワルツェネッガーだあ? ああ、あのやかんの外人さんね」

 と、そういうふうに認識しているに違いないのだ。
 
 と、ここまで書いてみて思った。
 
 こんな古い映画について語ったところでいったい誰が読むというのだろうか? 
 
 大体、この映画自体、アカデミー男優&女優賞を取っているのに、そこまで知名度があるとは思えないし(じっさい、自分も中古DVDショップで発見するまでこの映画のことを知らなかったし、2ちゃんねるにもスレッドがなかった)。

 なので、わかりやすく説明するためにここはひとつ、『踊る大走査線』を例にして話を進めると、ようするに、織田裕二演ずる青島刑事役を渡哲也が、いかりや長介の役を石原裕次郎が、そしてユースケサンタマリアの役を舘ひろしが演ずるようなものだ。
 
 そんなものは『踊る大走査線』じゃない。
 つーか、それは『西部警察』だ。

 とまあ、ともかく我が国の映画(あとドラマ)はキャスティングに関して、もうちょっとデリケートに扱っていただきたい、と、最終的に言いたいことはようするにそういうことだったりする。

 といって、ハリウッド版『ドラゴンボール』のキャスティングも、あれはあれで相当ひどかったりするが。
 
 『ドラゴンボール』に相応しいキャスティングと言えば、やはりどう考えてもこれだろう。

 『“亀田版”ドラゴンボール』
 
 ぜひ、このキャストで早急に作り直していただきたいと、願ってやまない。
posted by とんち番長 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画を観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

映画ノオト――『僕らのミライへ逆回転』『ホーリーマン』『ミッドナイトクロス』

『僕らのミライへ逆回転』
ジャック・ブラック目当てで映画館へ(公式サイト→こちら)。ラストの場面で不覚にも泣きそうになり、エンドロールでは鳥肌が立った。映画っていいな、と、しみじみ思わされる良作。観たあと無性にモノを創作したくなったし、町外れのあまり流行ってなさそうなレンタルビデオ屋にも行きたくなった。
 
監督は数々の名作PVを世に出したことで知られるミシェル・ゴンドリーで、当然のことながら音楽のセンスも素晴らしい。

それにしても、映画館の窓口で
「すいません、えーっと……『僕らのミライへ逆回転』……」
と口にしたときは、見方を変えれば受付のねえちゃんにプロポーズしているようでもあり、なんだかもの凄く恥ずかしい思いをさせていただいた。まことに残念なことに、受け付けのねえちゃんへのプロポーズは叶わなかったものの、ただ、本当に素晴らしい作品であったことは間違いなく、そんなわけでとくに後悔はしていない。

『ミッドナイトクロス』
なぜだかわからぬが俺という輩は夜のシーンが多い映画が無性に好きだ。
なので、レンタルビデオ屋で借りる映画がとくに決まってないときなどには、タイトルに「ナイト(NIGHT)」または「夜」という単語が含まれてないか、あるいは、それらが含まれてないまでもどこか夜っぽいタイトルではないか、はたまた、パッケージに夜のシーンが大量に写り込んでないか、といったふうにして、俺好みの「夜的映画」を探すようにしている。
 
なぜいきなりそんなことを書いたのかといえば、むろんこの作品の題名が『“ミッドナイト”クロス』(※原題『BLOW OUT』)であり、おまけにパッケージにも夜のシーンが多く写り込んだ、まさしく俺が好む「夜的な映画」であるからで、そんな大量の夜のシーンに加えて、洗練されたカメラ・ワーク、いかにも80年代っぽいちょっぴりチープなムード、悲痛きわまりない物語が混じり合った、独特の哀愁、せつなさが表現された唯一無二の傑作、であると思う。

で、早速、ネットでいろいろ調べてみたら、デ・パルマ先生の最高傑作は、曰く、この『ミッドナイトクロス』と、そして『殺しのドレス』という題名の作品である、とする一部の右翼民、というか右翼か左翼かよくわからないのでようするにファンということだが、とにかくそんなようなことをあーだこーだと主張している輩が結構いるらしい。なので、今度『殺しのドレス』という作品も観てみようと思う。

ミッドナイトクロスミッドナイトクロス
ジョン・トラボルタ, ナンシー・アレン, ブライアン・デ・パルマ

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2008年09月17日

ロシア人兄弟力士

 で、昨日、つまり『ZAZEN BOYS 4』リリースという(正確にはリリース日前日だが)記念すべき日に(ちなみに、CDはなんだかもったいない気がしてまだ聴けてない。ユニオン特典のDVDだけ観た)、例のロシア人兄弟力士が「大麻吸引はまったくの事実無根である」とする旨の記者会見をまたしても行ったわけだが(@日刊スポーツ)、いやもういいでしょ。

 つーか飽きた。
 って、飽きたとかいう問題ではないだろうが、まあそうはいってもあれだけしつこくやってるんだから飽きるよ。

 それにしても、なんなのか。なにをどうしたいのか奴らは。

 まあ俺も相当に疑い深い人間だが、このほどの一連の検査は、オリンピックでも実施されているような信頼できる機関によって行われたとのことで、となれば、基本反体制的で若干精神分裂症気味でもあるさすがの俺も大方の国民のみなさんと同様、ロシア人兄弟力士の主張には甚だ懐疑的にならざるを得ないわけだ。であるのに、あれほど意固地なまでに潔白を主張しているのもまた不思議な話で、目的として考えられるのは、やっぱり金か、はたまた相撲協会並びに日本国民全体に対する壮大な嫌がらせか、なんなら『ジャンクSPORTS』に出てダウンタウンの浜田に「ハッパ吸ってたんかい!」って突っ込まれるまでとりあえず頑張るつもりとか、なにかそういう大きな野望を人知れず抱いているとしか思えない。

 まあ実際問題、当の本人らは、自らの潔白と名誉の回復を主張しているらしく、
 「イヤ、マ、吸ッタハ吸ッタケドネ。デモ、日本人ノチビドモニコケニサレタママ、オメオメト帰国スルノハ、我慢ナランヨ」
 と、やや穿った想像すると、あるいはそういうことなのかもしれない。

 たしかに、チビで狭量で陰険で差別的でおまけにうんこが猛烈に臭い日本人にあれやこれやと言われるなんて屈辱以外のなにものでもないだろう。意固地になるのはごもっともだ、とも思う。

 ただ、なにしろこれだけことをこじらせてしまったわけで、心証的にかなりよろしくない状況に向かってしまったのは間違いない。
 
 少なくとも発覚した時点で素直に認めてさっさと国に帰っていれば、半年後ぐらいにはみんないい感じに忘れていたはずだし、時たま思い出すにしても大方の人間は、
 「ああ、ハゲてたな〜あいつら」
 程度の感慨しか湧かなかったのではなかろうか。

 じっさい、織田裕二、吉田栄作、加勢大周というかつての「いい男枠」に大鶴義丹が無理矢理入れられそうになっていた時代とか、昼の生番組の司会をなぜか巨人の宮本がやってた件とか、そういった数々の「間違い」にしても大半の人間はとうの昔に忘れているのであって、過去に起こった問題をわりかし簡単に忘れるのが日本人の長所にして短所というか、いわば良くも悪くも日本人のタチであるからだ。
 
 きっとあのまま結果を受け入れてすぐに帰っとけば、2年後ぐらいには普通に「あの人は今」に出ていたのではないかと思うし、なんなら番組内で、
 「マジブッチャケルト、ジツハホボ毎日、吸ッテタヨ(笑)」
 なんて白状したとしても、たぶんその頃にはもうみんな怒ってないだろうし、よしんば笑って許してさえくれるんではないかと思う。

 でも、なんだかんだ言って今一番気になるのは、あの兄弟がふたりっきりになった時、いったいどんな会話をしているのだろう、ということで、

 「マ、吸ッタネ(笑)」
 「ウン。バリバリ吸ッタネ(笑)」

 なんてなことを話してるのかな、とか、あるいは

 「テユーカ、吸ッテナイワケネージャン!」
 「ヨッシャ! モーコーナッタラ、日本中ヲ大混乱ノ渦二オトシイレテヤローヨ兄貴!」

 みたいな感じでなぜか逆ギレしてたら、これもまた興味深い。

 誰か、弁明の席を与えてやるとかなんとか適当な嘘をついて、控え室と称した隠しカメラ入りの部屋に呼び出してみてはと思う。どっきり系の企画で、『ロンドンハーツ』あたりどうか。生中継したら、視聴率50パーセントは固いはずだ。どっきりだとバレた途端、半殺しにされそうだが。
ラベル:白露山 露鵬
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2008年09月05日

「デーブJAPAN」に断固反対!

 いよいよプロ野球のペナントレースも終盤戦に入ったわけだが、って、正直、まったくといっていいほど関心がないが、ただそれにしたって、こうして話題にしているとおり、個人的に気になることがないわけではない。

 現在、パ・リーグの首位に立っているのは西武ライオンズらしい。

 心配だ。
 デーブ大久保のことが、ともかく心配でならない。

 たしかあれはフジテレビの野球中継だったと思うが、たまに野球中継にチャンネルを合わせるとデーブ大久保が解説者として出演している時があって、で、そのデーブ大久保のなんだかさも得意げで自信満々といった調子の解説ぶりが、どうにも鼻について仕方がなかったのだ。
 
 簡単に言えば、
 「なんでデーブごときにこんなにえらそうにされなきゃならんのだ」
 といった感じだ。

 で、そのデーブが今シーズンから西武ライオンズの打撃コーチに就任したとのことで、ああやっと、やっとあの解説を聞かないで済む、いやめでたい、本当に良かった、と、安心しきっていたところに西武ライオンズ優勝という現実が迫ってきたのだからたまらない。

 もっとえらそうな態度を取るようになってしまったらどうするのだ。

 いや、もうこの際だから、元木がバラエティ番組とかでチャラチャラするのも許そう。
 なんなら、お昼の番組の司会に宮本が戻ってきても()全然オッケーだ。笑顔で迎えてやろうじゃないか。
 が、デーブ大久保がでかい顔するのだけは、なんだかとても嫌だ。
 ましてや、さらにもっとえらくなったりなんかして、それでWBCの監督にでも選ばれたら「デーブJAPAN」誕生だ。

  嫌だ。星野JAPANより、もっと嫌だ。デーブJAPANに比べたら、まだ「みつまJAPAN」の方がマシだ。そして、みつまJAPAN、どこいった?


※1998年4月よりTBSお昼の生番組の司会に謎の大抜擢(番組名「宮本和知の熱血!昼休み」)。むろん、視聴率は極端に低迷、1.4%という当時のワースト記録を更新してしまったため、結局6ヶ月で打ち切られてしまうという当然すぎる結末に。というか、誰かとめてくれる人はいなかったのか?
posted by とんち番長 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(1) | スポーツを観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

その男、卑猥につき――梅宮辰夫

 いまさら言うことでもないが、インターネットは便利だ。

 色々な情報が家にいながらにして簡単に手に入るようになったのはやはり便利この上ないと言うしかなく、たとえば音楽に関することだったら、好きなミュージャンの新譜情報やライヴの日程のみならず、ことによったら、その日一日なにをして過ごしていたかだとか、晩飯はなにを口にしたかだとか、あるいは最近見ているテレビ番組だとか、オリンピックはなんの競技に感動したかだとか、SMAPだったら誰が好きだとか、有り難いんだかどうでもいいんだか、とにかく細かな情報までなんら苦労せず得られるようになった。

 あとリスナーとしては、音源を試聴できるサイトがあるというのもでかい。

 気になるミュージシャンの音源は、とりあえずCDストアのサイトやYouTubeなどで試し聴きすることができるので、音楽雑誌の情報を鵜呑みにしてCDを買ってみたら中身が「う○こ」であった、という悲劇に陥ることはほとんどなくなったからだ。

 経験したことがある方ならわかると思うが、リスナーとしてさんざん期待して購入したCDが「○んこ」であったときほど悲しいことはない。むろん、だからといって「う☆こ」に100パーセント出会わなくなったわけではないものの、それでも「うん(^^)」との対面率が格段に減少したという意味ではもの凄くでかい。ちなみに俺の「野球んこ」はそんなにでかくはないが、基本やや固めだ。

 で、しかしながらただ、そのぶん、CDを購入するという行為が以前に比べてシビアになったのはやはり否めず、ということは、まあ計算とかしたわけではないのでよくわからないが、またそのぶん、CDを購入する機会も以前に比べかなり減っているのだろう。

 なにぶんレコード会社の人間にとってはきびしい時代であろう、大変だ、と思う次第であるが、単なるいちリスナーである俺がそんなことを気にしたってしかたがないし、むしろリスナーの目利きがシビアになったぶん、売れるべきミュージシャンがしかるべき代償を与えられる環境が以前に比べたら整いつつあるかもしれない、という意味では、まっとうに作品制作に取り組んでいるミュージシャンにとってはじつはとてもいい時代がやってきた、ということなのかもしれない。あるいはそんなことはないのかもしれないが、いずれにしても、俺には詳しいことはわからず、中村とうよう先生や湯川れい子先生ならたぶんそこらへんの事情に詳しいはずなので、訊いてみるのもいいかもしれない。何事も実行だ。健闘を祈る。

 なんてな感じで、ネットには音楽の情報が満載だ。

 たとえば、あのGAOが米国でギャングスタ・ラッパーに変身し、新人育成を兼ねたプロデュースを行いつつ自らのパフォーマンスを披露したところ、多くのローライダーやギャングの間でビッグママ的存在としてリスペクトされているだなんて、有益なんだかどうでもいいんだかよくわからない情報も、おそらくネットがなければ絶対に知ることはなかっただろう。

 先日は先日で、なんとなくYouTubeで動画を観ていたところ、こんなものを発見した。

 
 梅宮辰夫「シンボルロック」 

 梅宮辰夫がレコードを発表していること自体にも驚いたが、歌のその内容にも仰天した。

 「シンボルっ/シンボルっ/男のシンボル〜/こいつを使って/こいつで泣かせて/その上こいつが〜か〜ねを生むぅぅぅぅゥゥゥ……/まったくシンボルちゃん様々だぜ?」

 とのことで、ようするに「オレのちん$は凄いぜ」などと、つまりはそういうことを歌っているのである。
 「ち\(^o^)/ぽ」の歌なのである。
 「犬んぽ」なのである。

 4行も使うほどのことでもないと思うが、いずれにしても、

 「梅宮辰夫は、ちどんっ(衝撃)ぽの歌を歌っていた」

 というこの情報が、有益な情報なのか、もしくはどうでもいい情報なのかは、よくわからない。「ミュージシャンをコラムる」というカテゴリに、はたして梅宮辰夫を加えていいのか、ということも含めてよくわからない。ともかく、インターネットは情報が満載だ。
ラベル:梅宮辰夫
posted by とんち番長 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

国内唯一の「ガイジンロッカー」――氷室京介

 ファッキンライト!

 というわけで冒頭からいきなりぶちかましてしまいましたが、そう、我らが押尾先生がついに音楽活動を再開させるそうなのである。

 俳優で歌手の押尾学が18日午前、およそ5か月ぶりに公式ブログを更新し自身がボーカルを務めるロックバンド・LIVを再始動させるため準備段階に入ったことがわかった。
 「お久しぶり」というタイトルで押尾は新たな活動メンバー2人を写真で紹介し「LIVを再始動させる為にゼロから創り上げています。第二章のLIVが新しいメンバーと始まります」とコメント。現在は新曲の制作に入っているとして「この二人はメンバーの二人ですとっても才能があるかも!?(笑)またLIVを応援してやって下さい。ではまた」と締めている。(ヤフートピックス)


 とのことで、大変めでたい、良かった、と思う次第であるが、ただそんなめでたいニュースに水を差すつもりはまったくないが、「5ヶ月ぶりのブログ更新」ってのは、いやちょっとどうなのだろう、と思わないでもなかったりする。
 というか、どう考えてもまずいだろう、これは。

 移り変わりが激しいこの世の中において、5ヶ月もの長期間に渡ってブログを放置するなんていうのは、厳しい言い方をさせてもらえば、言語道断と言っても差し支えないレベルではなかろうか。押尾先生の頭の先から尻の穴の皺の数まで熟知しているコアなファンはともかくとして、

 「押尾先生って結構かっこよくない?」
 「最近ちょっと押尾先生のこと気になっているだよね〜」

 ぐらいな感覚の人たちにとって5ヶ月もの間ノーリアクションなんていうのはあきらかに長すぎであり、すでにそういったライト層は、いきものがかりとか鼠先輩とか、ややもすればBerryz工房あたりに流れているに違いなく、逃した魚の数はあまりにも多かった、と言わざるを得ないだろう。

 いや、たしかに、毎日更新するほどネタがない、面倒だ、などといった至極もっとも理由があったのかもしれない。が、先生には「ファッキンライト!」という必殺の言葉があるじゃないか。毎日ブログに一言「ファッキンライト!」と投稿するだけでも

 「ああ先生、元気にやってるんだな〜」

 とファンは安心するものであり、ましてやそれらの投稿をまとめたブログ本(当然、中身の文面は「ファッキンライト!」のみ)を出版すれば大きな話題になるかもしれないじゃないか。
 もちろんそんなふざけた本を出版するなんて社会では通常許されることではないが、押尾先生ならばきっとみんな笑って許してくれるはずであり、心配はする必要はまったくない。
 と思う。

 今からでも遅くはない。本当に、頑張ってほしいと思う。

 まあしかし、ブログの更新うんぬんを抜きにしても、押尾先生の再ブレイクはちょっと厳しいんじゃないかと、正直、思わないでもない。
 やっぱり一度付いてしまった負のイメージはそう簡単には覆せないだろうし、そのうえ最近一部の人間の間では
 
 「DAIGOとキャラがかぶってるんじゃないか」
 
 という声が上がっていたりもするからだ。

 たしかに両者ともイケメンであり、「DAIGO→明るいバカ」、「押尾先生→勘違いバカ」という点でもややかぶりぎみである。同じイケメンのバカでも、DAIGOの方がいろいろ応用がききそうだし、勢いがあるしで、押尾先生にとってきびしい時代がやってきたということか。人生、諸行無常である。

 で、DAIGOといえば、氷室京介のことが好きだという話を以前、耳にした。
 じっさい、こないだなんとなくテレビを見てたらキンキキッズとかと一緒にBOOWYの「マリオネット」を気持ちよさそうに歌っていたので、相当好きなのだろう。

 まあ、気持ちはよくわかる。

 DAIGOはもとより、GLAYにしてもT-BOLANのヴォーカルにしても、あるいは意外なところでユニコーン初期の奥田民生とか、売れてないころのT.M.Revolusionの西川貴教とか、あと反町っスとか、BOOWY&ヒムロックから相当な影響を受けたとおぼしきミュージシャンは日本の音楽界にそれこそ山のようにいるのはいまさら俺が言うまでもないだろう。

 で、大体そういった話になるとBOOWYやヒムロックの音楽面による影響について語られることがもっぱらだが、たしかにそういった部分も多かれ少なかれあるにせよ、もっと影響として大きな爪あとを残したと言えるのが、やはりヒムロックの圧倒的なヴィジュアルであろう。

 なにしろ、あれほど「日本人離れ」という言葉に正しく合致する顔立ちがあるだろうか。背がさほど高くないのが欠点といえば欠点だが、それを補ってあまりあるほど顔面レベルが異常に高い。じっさい外人と並んでも顔面レベル的にまったく見劣りしない日本人ロッカーはヒムロックぐらいであろう。
 で、この完璧とも言える「ガイジンフェイス」が、日本人が無意識に抱えている外人(白人)コンプレックスをちくちくと刺激したのである。

 つまり、

 「物理的に考えて『外人(白人)』にはなれそうもないけど、ヒムロックのような「ガイジン」になら同じ日本人なのでどうにかなれるんじゃないか」

 なんてなふうに、外人(白人)コンプレックス持ちの若者男子の心を大いに刺激したのではないかと思うのである。

 が、先述したようにヒムロックの顔面レベルは「異常」であり、むろん誰もがヒムロックになれるわけがない。というか、誰もなれてない。「ファッキンライト」にしろ、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン」にしろ、あるいは亀田戦における君が代独唱にしろ、みんなヒムロックになれずに死んでいった亡骸である。「悲しい亡骸」ならいいが、あいにく「面白い亡骸」なので、口にした者にとってこれほど始末が悪い状況もないに違いない。

 「大変ですね」

 と、抱きしめてあげたいとすら思う。正直、それは嘘である。

 ともかく、

 「ウグイス坊やのヒムロです」
 「ライヴハウス武道館へようこそ!」
 「ここは東京だぜ?」
 「夢を見ている奴らに贈るぜ! …ドリーミン!」


 なんていった数々の「名ゼリフ」はヒムロックが口にするからこそ許されるのであり、のみならず

 「ダンカンこの野郎!」

 とか

 「♪雪国もやしはぁ〜め〜ちゃめちゃ高いからあ〜」

 とか、「ステキ」とは100億光年離れた位置にあるセリフなんかにしても、ひとたびヒムロックが口にすればなんだかもの凄くかっこよく聞こえるに違いない、と、BOOWY&氷室のリリース全作品コンプはもちろん、ネットがない時代にBOOWY&氷室関連の海賊盤を大量に収集していた元ヒムロック信者の俺なんぞは思う。

 ちなみに、CDは大人になってからなんか持っているのが恥ずかしくなったので全部売っぱらったが、当然海賊盤は売ることができなかったので、供養の意味を込めて段ボールにひとまとめにして近くの川に流した。後日、川へ洗濯にやって来たおばあさんが拾い家に持ち帰っておじいさんと一緒に封を開けたところ、中から元気な桃太郎が出てきたらしい。というのはバリバリ嘘であるのは言うまでもない。
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2008年07月25日

「芸能界2大謎」の偉大さを思い知る――卍LINE

 俳優の窪塚洋介がレゲエ・シンガー「卍LINE」としてリリースしたデビュー・アルバムを、つい先日、友人が手に入れたらしく、そのCDを、べつにこちらから頼んだ覚えは一切ないのだが、貸してやる、という。

 聴け、ということらしい。

 ちなみに、先にCDを聴いた友人曰くは「全然良くなかった」とのこと。

 で、貸してやる、などと、ぴっかぴかの笑顔でもって言い寄ってくる人の厚意を無碍に断ることが出来るほど俺は冷酷な人間ではないので、まあ、ありがたくお借りしたわけですが、それにしても、だ。
 「全然良くない」CDをなぜ貸すのか。
 そんなものを貸されても困るしかないではないか。
 馬鹿か!
 
 とはいえ、ま、借りてしまった手前、聴かないわけにもいかず、なので、とりあえず聴いたみたわけですが、いやこれはまずい。
 
 サウンドが全体的に平坦でいかんせん間延びして聴こえる、どの曲も似たり寄ったりで一本調子、という問題もあるにはあるのだが、それ以上に深刻なのは卍LINE(窪塚洋介)のヴォーカルである。

 なんだか地声がそのまま歌声になってしまったようなというか、若干小島よしお似の軽い感じのハスキーボイス調というか、とにかくそんなようなヴォーカルに強烈な違和感を覚える。
 ちなみに小島よしおはクリスチャーノ・ロナウドとそれからレミー・ボンヤスキーにも似ているが、それはまったく関係ない話なので、とくに気にしなくて良い。

 で、この強烈な違和感、なにかに似ているなと思ったら、「栗田貫一のルパン三世」だった。

 山田康雄のルパンに慣れ親しんだ人間にとって栗田貫一のルパンはあくまで「モノマネ」でしかなく、なので、「クリカン=ルパン」という図式はいまだにどうにもリンクしがたいものだが、「窪塚=俳優」という認識に対する「窪塚=レゲエ・シンガー」というカウンターパンチもそれに負けないくらいの違和感だ。
 とにかくこのメガトン級ともいうべき違和感が、CDを再生している間、頭の中でぐるぐる回ってしかたがなく、いちミュージシャン「卍LINE」の作品として純粋に受け止めるのにはかなりの困難を要する。

 しかもこの卍LINEのヴォーカルがまたもの凄く「陽気」な調子というか、ややもすればひどく「ノーテンキ」な調子にさえ聴こえ、それがレゲエ特有のまったりとしたムードをいかんともしがたく助長しているのだから、なおさらまずい。
 というのは、なにしろ本作並びに卍LINEにとっての音楽活動とは、

 「『バビロン』(“社会”という意味らしい)に対する『レベル(“反抗”という意味らしい)ミュージック』である」

 とかなんとか、ご本人がそうおっしゃっているからであり、そんな「社会」に対する「反抗」たるべき代物がよりにもよって「ノーテンキ」だったり「まったり」に聴こえるなんてのは、どう考えてもまずいに決まっている。

 というわけで、おなじ芸能の世界に籍を置いているとはいえ、俳優とミュージシャンはあくまでも似て非なる業種であり、やはり違和感を覚えないほうが難しい、と、改めて感じた次第であって、じっさい、俳優のみならず、プロレスラーや元プロ野球選手、さらには超能力者といった具合に、さまざまな似て非なる業種の者らの音楽作品をべつのブログでレヴューしてきた俺だが、どれもが違和感バリバリだった。

 今後も音楽活動を継続していくことでそういった違和感は徐々に払拭されていくのかどうかはよくわからないが、とりあえずわかったのは、いつ聴いても違和感ありまくりの歌なのに、本人はまったくそんなことは気にもしてない様子で何年にも渡って音楽活動に異様なほど積極的に取り組み、しかもCDを出したら出したでなぜかそれなりにヒットする織田さんと、俳優業も音楽活動もバリバリこなしているのに、そのどちらもまったく違和感を感じさせない福山雅治はきわめて特種な例である、ということだ。

 芸能界の2大謎、と言えるかもしれない。

 
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ラベル:卍LINE 窪塚洋介
posted by とんち番長 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

不良の人には逆らえません――中村達也

 「まったく不毛なことだが、私の悪いクセは、外国のタレントを理解しようとするときに、『この人は日本でいえば誰なのか』と考えてしまうことだ」

 なんてなことを書いたのはナンシー関であるが、俺もまったく同じことをよく考える。

 たとえばついこないだ、サッカー界の王様・ペレが母国ブラジルの街を車で移動中に強盗に襲われたが、強盗はペレだとわかった途端、彼に謝罪すると、そのままなにも盗らずに逃走した、という騒ぎがあったらしい。
 
 で、このニュースを聞いて俺が考えたのはむろん

 「ペレを日本人に置き換えると誰になるのか」

 ということで、頭に思い浮かんだのは長嶋茂雄もしくは王監督であった。

 強盗しようとした相手がミスターや王監督だったら、そりゃあ誰だって尻尾を巻いて逃げ出すに決まっている、と勝手に納得した次第である(まあ、実際には長嶋さん王さん共に、過去に窃盗の被害に遭っているわけだが)。

 ちなみにこのニュースには続きがあって、元ブラジル代表FWのロマーリオもペレと同じような感じでかつて強盗に遭い、やはり途中でロマーリオだと気づかれたらしいが、それでも強盗はひるむことなく高級車を奪って逃走した、とのことで、ではロマーリオは日本の誰にあたるのかというと、これはズバリ前園さんではなかろうか。
 前園さんに例えるのはロマーリオに対してちょっと失礼なような気がしないでもないが、

 「ま、前園(ロマーリオ)だし、いっか」

 と強盗が思ったとすれば、俄然納得できるというものだ。

 先月(6・25@恵比寿リキッドルーム)、モーサム・トーンベンダーのライヴを観に行ったところ、ライヴの途中にゲスト・ミュージシャンとして元ブランキー・ジェット・シティの中村達也が登場した。
 全身にタトゥーを彫りまくった中村氏は、トランペットを吹きながら終始不敵な笑みを浮かべてらっしゃった。
 中村氏を生で見るのははじめてであったが、音楽雑誌などで拝見したときに感じていたとおりの、とても怖そうなお方であった。

 なにより一切のギャグが通じなさそうな感じがつらい。
 というか、ギャグなんか言ったら殴られそうだ。
 といって、中村氏のツボにはまるようなギャグをかましたとして、

 「うはははは。おいおめぇ、なかなかおもしれぇじゃねえか」

 みたいな感じで異様に気に入ってくれそうだが、またそれもそれでなんだか怖い。

 中村氏というと、やはり「不良」「荒くれ者」というある種のロックの典型的なイメージが強い。
 「革ジャン」&「革パン(もしくは穴のあいたジーンズ)」&「なんかやたらつま先の尖ったブーツ(もしくはコンバースのスニーカー)」、そして「バイク」という感じだ。
 立ち位置はちょっと異なるが、スタイルとしては、若いころのエルヴィス・プレスリー、シド・ヴィシャス、ジェームス・ディーンあたりが適当だろうか。

 で、そういった世界観を見るにつけ、
 
 「ああ、俺とは100億光年離れたキャラだ。これは無理」

 と毎度のように実感させられる。

 ミッシェル・ガン・エレファントなんかもそうだったが、ああいうユーモアの介在が一ミリも許されぬようなガチガチな不良タイプのロックは、いくらサウンドがかっこよくても、ちょっと苦手だ。

 「♪ガソリンの香りがしてる〜その中に落ちていた人形が、マッチ売りの少女に見える」

 と歌われても、正直どうしたらいいのか困ってしまう。
 まあ、どうする必要もないわけだが。

 ライヴの帰り際、バイクに乗った中村氏が突如目の前に現れ、

 「おい小僧。ガソリンがあと少ししかないんだけど、財布持ってくるの忘れた。ちょっとカネ貸してくれや」

 などともし声をかけられようものなら、絶対に断れないんだろうな、そしてカネ貸しても返してくれないんだろうな、と妄想したら震えた。

 じつに不毛である。
posted by とんち番長 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

『ゲゲゲの鬼太郎』実写版第二弾映画のキャスティングにもの申す

 『ゲゲゲの鬼太郎』の実写版映画第二弾が完成し、本日から全国の映画館で公開されているらしい。

 正直、ふざけるなという感じだ。

 以前に公開された第一作目のとき、「キャスティングがなってない」と俺がブログでダメ出ししたにもかかわらず、その教訓がまったく生かされてないのはどういうことなのか。

 まあ、誰も読んでなかったから教訓にもなんにもならなかったのだろうことは容易に想像できるところだが、それにしてもなんだかなあ、と思う。

 なぜウエンツ瑛士が鬼太郎なのか。
 どう考えても鬼太郎は小室哲哉に決まっているではないか。
 なぜTKを起用しないのか、さっぱり理解できない。

 むろんそれは

猫娘=田中麗奈
ねずみ男=大泉洋
砂かけばばあ=室井滋
子泣きじじい=間寛平


 という、前作をそっくりそのまま踏襲した配役にしても同様で、あまりのむごたらしい惨状に怒りを禁じえない。
 一言でいって、最悪である。

 まあしかしだ。以前ダメ出しした上で俺が提案したキャストは、いや考えてみたら、たしかにあれはちょっと無理があったかもしれないな、とは思う。

 猫娘役ににしおかすみこだなんて、今にしてみると、なんて安易きわまりない配役なんだ、と、じっさい思うし、目玉のおやじ=西川きよしって、単に「目玉」なだけじゃないか。言った俺自身、ありえないと思う。
 挙句には、適当な人間が思いつかないからといってTK繋がりというそれだけの理由で子泣きじじい役にマーク・パンサーを推したりしたわけで、さすがにこれはふざけすぎだと叱られたとしても、正直、返す言葉がない。

 というわけで、今回は真剣に本気出して考えてみた。
 以前提案したキャストを大幅に修正したもので、これこそが『ゲゲゲの鬼太郎』のパーフェクト・キャストであると断言する。第三弾を作るときはぜひ参考にしていただきたい。

鬼太郎=小室哲哉
猫むすめ=千秋
ねずみ男=さだまさし
砂かけばばあ=野村沙知代
子泣きじじい=坂口なんとかっていう元厚生労働大臣の人
ぬりかべ=デビッド・クルサード(千野なんとかという女アナウンサーでも可)
目玉おやじ=CG(声=クロちゃん)


 ついでなので、『スラムダンク』という漫画なんかも昔かなり人気があったはずなのになぜかいまだに実写映画化されないのは、やはり適当なキャストがなかなか思いつかないからなのだろう。
 というわけで、『スラムダンク』の実写版キャストも考えてみた。

桜木花道=照英
流川=ガクト
赤木キャプテン=チェ・ホンマン
赤木晴子=(思いつかなかったので適当な人気グラビアアイドルで)
宮城=m.c.A.T(ジブラさんでも可)
三井=お塩先生
安西監督=岸部シロー



 照英.jpg
 (↑いつまで経っても桜木花道役に内定せず、悲しみのために号泣する照英さん)
posted by とんち番長 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画を観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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