2010年03月09日

で、ハイパーメディア・クリエイターって、なに?

 沢尻エリカが2年半ぶりに芸能活動を再開させるそうね。まあ、例の“別に”騒動で一悶着あったけど、結婚というある意味での大人としての儀式を経験したことで、エリカ様にも社会人としての責任感、自覚が芽生えたはず。なので、女優として、そしてひとりの人間として大いに成長したであろうエリカ様の今後の活動をここは我々としても温かく見守って、って、そんなことはどうでもよくて、つーかハイパーメディア・クリエイターって一体なんなの? どんなハイパーなことしてメディアをクリエイトするの。本当にわけがわかんないわ。いいかげん教えてちょうだい。具体的に!
 
 あと、沢尻といえば芸能活動を再開させるにあたって、マスコミ向けに“誓約書”を突きつけたことでも話題になっているみたいね。その内容の一部を紹介すると、

@情報や声明は正確に伝える。わい曲や誤解を招くことを避ける。
A情報を公開する前にその信憑性を十分確認し、根拠のないうわさ話は公開しない。

 とのことで、まあ@はいいとして問題はAの、って、そんなことはどうでもいいわけで、だからハイパーメディア・クリエイターって一体全体なんなのよ? 「メディア・クリエイター」は、まあ、なんとなくわかるからいいとして、「ハイパー」つうのがさっぱり意味不明。ハイパーつったら、ハイパーオリンピックくらいしか知らないし。なんなの? ねえ。マジで教えてちょうだい。一刻も早く!

 というふうに、「沢尻エリカ」といえば脊髄反射で「ハイパーメディア・クリエイター」を思い浮かべてしまう。というか、今となっては沢尻エリカよりも、むしろハイパーメディア・クリエイターの方が存在がデカい。そんな輩はアタシ以外にも多いはず。

 ハイパーメディア・クリエイター。嗚呼、なんて甘美な響きなのでしょう。ハイパーメディア・クリエイターハイパーメディア・クリエイターハイパーメディア・クリエイター……何度言葉にしても飽きないわ。
 ハイパーメディア・クリエイターがあればご飯何杯でも食べられるし、なんなら自分もハイパーメディア・クリエイターになりたいくらい。
 でも、なれない。だって、どんなことする職業だか、さっぱりワケワカメだからなりようがない。ハイパーメディア・クリエイターになること――そう、それはけっして叶わぬ夢。
 こうして、人はハイパーメディア・クリエイターという名の底なし沼にはまっていくんだわ。まったく罪な言葉ね。

 アタシが思うに、これはきっと作戦なのね。「ハイパーメディア・クリエイターって、なに?」という、普通の思考回路を持った人なら2・3ヶ月に一度、バカは3日に一度は考え込まずにはいられないでっかい謎を提示することによって、結果、沢尻エリカ自体の存在が人々の記憶から消えることがないっていう、つまりはそういうことなわけ。2年半も音沙汰なしっていう、ある意味話題性が命の芸能人からしたら危険きわまりない行動を平然ととったのも、そういうふうに考えれば納得がいくわ。

 きっと今後も、ハイパーメディア・クリエイターの詳細をつまびらかにすることはないのでしょうね。うまいこと考えたわね。悔しいけれど脱帽だわ。まあ、ハイパーメディア・クリエイターがなんなのか、仮に明かされたところで、どうせ「ふーん。そうなんだ」でしまいな話なんだろうし。
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2008年06月20日

「ヨーデル調(ロカビリー調)」のあのCM

 まことに申し訳ないが、

 「♪ニ〜ッテレゴーゴー」

 だのと、藤井フミヤがなんだかやたら気持ちよさそうに歌っている日テレのあのCMは、気持ち悪いと思う。
 
 日テレや藤井フミヤの存在自体が気持ち悪い、ということではない。
 そうではなく、あのCMで藤井フミヤが

 「♪ニ〜ッテレゴーゴー」

 と来たあとのその終わり際に、

 「ゥゥゥア〜(←ビブラート気味で)」

 などと、なんかヨーデルふうというか、声を震わせながら歌唱している部分があって、あれがとにかく気持ち悪くてしかたない。

 むろん、あれがロカビリー・ミュージック特有の歌唱法を意識したものであろうことは、まあ、わかるが、藤井フミヤのあれは、なんというか、かなり不自然な感じというか、まあ俺は藤井フミヤの熱心なファンではないので氏の音楽のことはよく知らないと言うしかないが、単純に彼の本来のヴォーカル・スタイルには合ってないのではないか、と、よく知らないなりに思う。

 というか思うに、藤井フミヤに限らず、あのいわゆるロカビリー的な歌唱法は、外人が演歌の「こぶし」を模倣するのはおそらく困難であろうことと同じように、日本人が歌いこなすには相当な修練が必要なのではなかろうか。

 そう考えると、まあ演歌のことはよく知らないが、いわゆる「こぶし」を完璧に歌いこなしているのであろう、ジェロという演歌歌手の人は、相当に凄いが、藤井フミヤのあれは残念ながらその域には達していないように思われる。

 しかしそれよりも、「ロカビリー」といえば、やはり「陽気」とイメージが強い。藤井フミヤの詳しい性格は知らないし興味もまったくないが、少なくともテレビに映る藤井フミヤは「陽気」というイメージとは程遠く、むしろ「クール」という感じである。これは致命的欠陥と言わざるを得ない。

 で、「陽気」という言葉は、「うかうか」という言葉に置き換えることもできるだろう。
 
 なので、藤井フミヤはもっとうかうかするべきであろう。
 
 音楽番組に出演したとあればうかうかし、「フミヤート」だなんだと言ってはうかうかしまくるのだ。その先には、ロカビリー・スタイルを完璧にものにしたフミヤがきっといるに違いない。

 などと、フミヤへの期待が大いにやまぬ俺であり、というふうなことに免じて、いま流されているあの日テレのフミヤのCMだが、とりあえず即刻放送中止にしていただけないだろうか。

 いや申し訳ないが本当に気持ち悪いのである。


 
 (↑日テレ藤井フミヤの「ヨーデル調(ロカビリー調)CM動画」【※1:24あたりから】)
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2008年05月13日

テレビのチカラ

 それにしてもテレビに対して本格的に興味がなくなりつつある昨今なわけで、これは喜ぶべきことなのだろうか、それとも悲しむべきことなのだろうか。

 頭からしまいまでちゃんと見る番組といえばスポーツ中継を除けば『シンボルず』と『ザ!世界仰天ニュース』と『ロンドンハーツ』ぐらいなもので、これらにしたって毎週欠かさず見ているわけではない。
 かつて心酔しきっていたダウンタウンの番組もほとんど気にならなくなってしまったし、いやしかし『警察24時』といった類の番組もなぜだかわからないが好きでつい見てしまうが、それにしても『ロンハー』に『警察24時』って、この一貫性のなさは一体なんなのだ。

 なにしろ友達に遊びに誘われても、「今日はいろいろ忙しい」と嘘を言って家でテレビにかぶりついていたほどであり、フジロックの最中なんかでも

 「ロックもいいけど、ああ、帰ってテレビみたいなあ……」

 とじつはふと思ってたりなんかもしていたテレビ超好きっ子であったかつての自分が嘘のようだ。

 で、かわいさあまって憎さ百倍というか、近親憎悪というか、いずれにせよ言葉の遣い方が間違っているような気がするが、最近ではテレビのやることなすことがなんだかいちいちムカついてしかたがなかったりする。
 ともかく、いま、テレビに対して言いたいことがなにかひとつあるとすれば、「うるせえよ」ということだ。

 あと、テレビを見なくなってあらためて感じたのは、テレビの中の人らがよくやっている、顔の前で手を叩きながら大笑いする行為と、番組中に流される字幕スーパーの多用は気をつけたほうがいいということである。
 前者はテレビの中の連中が馬鹿に見え、後者は番組を見ている視聴者がおそらく馬鹿になるだろうからだ。

 では、テレビを見なくなってエンタメ的な情報をはたしてどこから手に入れているのかというと、なんのことはない、そのままネットの方に移行しただけである。

 で、「キムタクが総理大臣の役をやっているドラマが高視聴率を獲得」だのといったニュースもやはりネットで知ったわけで、キムタクの総理ドラマは俺は見ていないので内容云々はよく知らないというしかないが、それにしても、キムタクってどの役やらせても「キムタク」になっちゃうから、スゴイネ! 
 きっと電柱とか洗濯機の役やらせても「キムタク」になっちゃうんだろうネ! 
 天才だネ!

 それはさておき、高視聴率ゲットといえば『ごくせん』や『ルーキーズ』といった「教師モノドラマ」も何気にウケているらしい。

 しかしあれもどうも見る気になれないのは、

 「センコーなんてクソくらえだぜ」などと生徒が威勢よくのたまってたのが、教師と生徒が激しくしばきあったりしてたらいつのまにか互いに妙に認め合ったり、クラスの中でも特に威勢のいい生徒の一人が他校のラオウみたいな凶悪な生徒に殺されかけているところへタイミングよく登場した教師が助けてさらにお互いの信頼関係が深まったりなんかして、そうこうするうちついに卒業の時期がやってきて、

 「よっしゃ、みんなで頑張って卒業しようじゃないか!」
  ↓
 「色々あったけど、みんななんとか無事に卒業できたヨ! ヤッタネ!」
  ↓
 「センセー、アリガトー!」
  ↓
 「ジ・エンド」

 みたいな、なんかそんなような感じなんでしょ? 
 どうせ。

 と見る前から大まかなストーリーが容易に予測できてしまうからであり、たとえば、

 「火星に派遣された教師と、地球侵略をもくろむ火星人生徒との心の交流を描いた、感動スペクタクルふう教師ドラマ」

 だったり、もしくは、

 「教師も生徒もどちらも救いようがないほど最低最悪な人間で、男子生徒と女子生徒が盗んだ車の中で夜中にイチャついてたら斧を持った教師が突然襲いかかったり、負けじと生徒の方も教師の自宅にダンプで豪快に突っ込むだのした挙句、最後は登場人物が全員死ぬサイコサスペンスふう教師ドラマ」

 であったりすれば絶対に見てみたいと思うのだが、フジかテレ東あたり、やってくれないだろうか。

 で、テレビを見なくなってわかったのは結局、「見なくてもべつに困らない」ということである。

 ま、テレビなんてそういうものなんだろう。

 テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))
テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))
 (↑小田嶋隆氏によるテレビ一刀両断痛快本。これを読んでますますテレビ嫌いになってしまいました……)
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2008年02月02日

日曜深夜の憂鬱を吹っ飛ばす「ゆるさ」の魔力〜『シンボルず』

 どうもここ最近、具体的に言えば、ここ1、2年の間で、テレビというものをあまり観なくなった。歳をとったことが原因なのかなんなのか、詳しい事情は俺自身もわからないが、とにかくやたらとうるさい番組ばかりで、観ているだけでなんだかもの凄く疲れてしまうのだ。

 そういうわけで、最近はもっぱらテレ東の番組を観ている。
 というのも、遅まきながら最近になってテレ東の魅力を身に沁みて実感するようになったからである。

 ではテレ東の魅力・特色はなんであるかといえば、むろんそれは、番組内の空気が他の地上波民放局で放送されているそれに比べ抜群に「ゆるい」ことにほかならない。

 というのも、テレ東の番組は、基本的に、過剰な笑いや過剰な感動、あるいは過剰なBGMや過剰な宣伝告知といった、視聴者にとってときに押しつけがましく感じられるそれら「刺激物」でガチガチに固められていないからなのだろう。ともかく、フジだのテレ朝だのの番組に比べてガツガツしておらず、今の俺にとって、かの局の醸し出すゆるゆるなムードが、なんとも丁度良い塩梅に感じられるのだ。

 大体からして、かの局の看板番組と言える『TVチャンピオン』のこれまで放送されてきた企画からして、よく知られている

 「大食い王選手権」

 はもとより、

 「金魚すくい王選手権」

 だの、はたまた

 「ガラスアート王選手権」

 だの、よく考えたら地上波テレビの番組としてはおよそ似つかわしくないほど、なんともゆるくてかつおそろしく地味な企画ばかりだ。

 一方で、『田舎に泊まろう!』という番組では、田舎へ出向いたタレント自らに現地一般人の家にお泊りの交渉をガチンコでやらせるという、かつての『電波少年』だのよりもある意味よっぽど過酷とすら思えることをやってたりもしていて、なんだか凄い。

 たしかに、これらの番組で爆発的に面白いという瞬間はそうそう訪れはしないものの、安心して楽しめるという意味では、クオリティ的にひじょうに優れたものが多いと思う。
 ちゃんとエンターテインメントになっているし、コンテンツそのものだって意外に(?)しっかりしているのである。

 加えて、キャスト面の通好みな人選ぶりも、なかなかに味わい深い。

 たとえば、昨年末放送の

 『マモレ! 絶滅ニンゲン』

 というバラエティーの特番でバナナマンのふたりが司会を務めていたが、土曜の23時という時間帯にバナナマンに司会を任せるような地上波局は、(現時点で)テレ東以外には有り得ないだろう。
 
 たとえあったとしても、番組的な流れとしては日村という即効性に長けた強烈なキャラクターのインパクトに焦点を当てるばかりで、バナナマンの本来のブレーンである設楽に対してはほとんどスポットを当てない作りになっていたはずだ。事実、バナナマンが出演する他番組の収録では、設楽が面白いことをやったり言ったとしても、おそらくその多くは編集でカットされ、変わりにオモシロ顔をする日村をフレームインさせているのが現状だと思う(たぶん)。

 むろん、この『マモレ! 絶滅ニンゲン』という番組においてはそんな暴挙が犯されることなどなく、バナナマンというコンビの素材の面白さを丁寧に引き出していて、バナナマンのDVDを観賞して以来、彼らの本当の面白さを知った俺からしても、たいへん好感を持てるつくりになっていた。
 番組の企画自体も、「ジャイアンツ帽を被って昼間からふらふらしているオッサン」や、「胸の大きい女性を『ボイン』と呼ぶ輩」などを探し出し勝手に保護認定するという、なんとも痛快かつくだらない内容で、じつに面白かった。ぜひレギュラー化していただきたいものだ。

 たとえばテレ東だったら、旬真っ盛りの芸人(たとえば今だったら小島よしおとか)、つまり現在一過性的に盛り上がっている「商品」を安易に起用したりはしないのではなかろうか。いや、けっして起用しないということはないだろうが、少なくともむやみやたらに乱用し、視聴者に飽きられた途端、ポイ捨てするような無慈悲なことはしない。ような気がする。
 
 まあ、さすがにこれはちょっと褒めすぎなような気がしないでもないが、ともあれ、少なくとも才能を持った人間を大事に育てていこうという配慮、ようするにタレントへの大いなるリスペクトがあまたのテレ東番組を観るにつけ、感じられるのだ。
 
 で、そんなテレ東番組の中でも俺が好んで視聴しているのが、日曜深夜にレギュラー放送されている『シンボルず』で、いやこの番組が本当に良い。好きだ。

 メイン出演のみうらじゅんの芸風も相俟って、とにかく番組に漂っている空気がこのうえなくゆるゆるなのである。

 内容自体も、「確珍犯」だのという、町中にある「ちんぽの形をしたポール」を見つけに行ったりだの、相当にくだらない。
 そんなまことに馬鹿馬鹿しいことばかり言ったりやったりするMJや番組そのものに対して、持ち前の頭の回転の良さで的確につっこむ役割を見事にこなしているMEGUMIも、何気に良い。個人的にはこの番組を観て、MEGUMIへの好感度が上がった。というか、ちょっと好きになった。

 なんというか、胸焼けしない程度に笑える、というか、日曜深夜という憂鬱な時間にこれほどおあつらえ向きな番組もそうそうないように思うが、いかがなものか。

 と……そんなような感じで、どこかのコラムニストとかがすでに取り上げていそうなネタを気持ち真面目にもっともらしく書いてみた。
 とはいえまあ、このまま真面目に終わらせてもなんだかこそばゆい感じがするので、

 うんこ君Ver.2.jpg

 と、とりあえずこのうんこ的な画像でもって、本日のくだらないテキストを締めさせていただこう。

 
 シンボルず
シンボルず
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2008年01月17日

「かっこいい織田裕二」と、「面白い織田裕二」

 最近テレビでよく見かける織田裕二のモノマネをする人が異様に面白い。
 
 なにしろ、テレビに彼が登場すると自然と顔がほころび、胸躍るほどだ。
 本当に面白い。
 
 織田裕二のモノマネをする人間といえば、これまでそう多くはなかったように思うが、たしかにいることはいた。しかし、大概があまり似ていなかったり、かなり似ていたとしても微妙にポイントがずれていて、個人的にどうも物足りなさを感じていた。

 では、織田裕二のモノマネをする際のポイントとはなんだろう。

■ドラマなどでクールな演技を見せてくれるのが「かっこいい織田さん」。世界陸上でハイテンションに司会を務めているのが「面白い織田さん」。

■『事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起きてるんだ!』が「かっこいい織田さん」。『霊長類なめんなよ(半笑い)』が「面白い織田さん」。

■びしっとスーツを着こなすのが「かっこいい織田さん」。ワイシャツを第二ボタンまで豪快に外し、胸をはだけさせた格好でいるのが「面白い織田さん」。

■満面の笑みを浮かべながら室井さんと話しているのが「かっこいい織田さん」。満面の笑みを浮かべながら気持ちよさそうに歌を歌っているのが「面白い織田さん」。

 むろん、この「面白い織田さん」をいかに上手くマネるかが、織田裕二を「面白くマネる」際のきわめて重要なポイントであるのは、言うまでもない。

 今まで見てきた織田裕二のモノマネに僕が物足りなさを感じていたのは、大概の人間が「かっこいい織田さん」のほうをマネていたからであり、その点、「今回の彼」は「面白い織田さん」のポイントをしっかりカバーしており、これはもう面白くないわけがなかろうというものだ。

 加えて、ぱっと見似ているようでいて、よく見たらまるで似てないのもおかしい。本物に比べて小太りであり、そのうえ足が異様なほどに短い。ドラえもんで、泉に「きたないジャイアン」、というか要するに「通常のジャイアン」を投げ入れると、中から泉の精が出てきて「きれいなジャイアン」に取り替えてくれるという話があったが()、本物の織田裕二が「きれいな織田裕二」なら、モノマネの彼はまさしく「きたない織田裕二」だ、って、もちろんこれは褒め言葉である。

 
 ※「きたないジャイアン」→「きれいなジャイアン」

 で、モノマネといえばもうひとり、個人的に待望しているのが渡哲也だ。
 これも、これまで意外にいそうでいなかった。

 ちなみに、渡哲也をモノマネする際のポイントは以下のとおりである。

■ドラマで良き父親役を演じるのが「かっこいい渡哲也」。スーツ&レイバンのグラサン姿でライフル片手に単車に跨り、犯人と豪快にカーチェイスを繰り広げるのが「面白い渡哲也」。

■石原プロモーションの代表取締役社長が「かっこいい渡哲也」。西部警察の団長が「面白い渡哲也」。
 
■巨人軍にエールを送るのが「かっこいい渡哲也」。石原軍団の連中と一緒に民衆に炊き出しを配ってエールを送るのが「面白い渡哲也」。
 
■『こんばんは。渡哲也です』が「かっこいい渡哲也」。『マグロ。ご期待下さい』が「面白い渡哲也」。
 
 この「面白い渡哲也」のほうを上手くマネれば良いわけだ。

 じっさいに「面白い渡哲也」のモノマネをする芸人さんが出てきたら、少なくとも一ヶ月間は面白がれる自信があるのだがどうだろう。腕に自信のあるモノマネ芸人さんがいたら、ぜひともチャレンジしていただきたいものだ。

 あと、個人的には猪木のモノマネは、春一番と、くりぃむしちゅ〜の有田で充分だ、とも思う。


・「マグロ。ご期待下さい」の詳細は→こちら
・織田裕二関連記事→「徹底考察〜『織田裕二はなぜ歌をうたうのか』」
・渡哲也(というか「団長」の)関連記事→「アルバム全曲レヴュー『西部警察PARTTVol.1〜コンクリートウエスタン・みんな誰かを愛している』」
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2007年11月02日

パブリック・イメージ・リミテッド

 2・3週間前にテレビで「どっきり」の番組がやっていたので見ていたら、和希沙也がターゲットにされていた。

 ニセの子供向け番組(もちろん、ニセの番組だと和希本人はわかってない)のため、スタジオでアフレコ録音をしていた和希が、後からやって来た俳優の今井雅之におもっきりダメ出しされるという内容のドッキリであり、番組の趣旨としては当然

 「今井の理不尽ともいえるダメ出しにうろたえ、あわよくば泣き叫ぶ和希」

 という図を狙っていたのだろう。

 ところが和希は泣き叫ぶどころかダメ出しをする今井に対して「うぜえな、このオヤジ」みたいな、口にこそ出さぬものの終始不遜ともいえる態度を崩さず、さしものコワモテ俳優である今井もお手上げ状態といった感じでこのドッキリは終了した。

 で、それ以来、和希沙也が怖くてしかたがない。
 
 なにしろ、ほかの番組なんかでいかにもアイドルっぽくかわいこぶっている和希を見ても、そんなタマじゃないことは重々わかっているわけで、とてもじゃないが微笑ましい気分になれるはずがないからだ。

 ちなみに、もう10年以上前だと思うが、たしか『ホットドッグプレス』かなんかのインタヴュー記事の中で

 「俺、茶髪似合わないんだよね。やっぱ日本人なら黒髪でしょ」

 とかなんとか言ってたのに、その数年後、見事なまでの茶髪ヘアーを披露していたTOKIOの長瀬や、あと

 「頑張って100キロ、ダイエットするよ。もう現役を退いたし、体にも悪いからね」

 みたいなことを引退した直後に語りながらそれから一向に痩せる気配がない小錦は、いまだに俺の中で「信用ならん奴」というイメージが少なからずあったりもする。

 俺が過去の言動にとらわれすぎているのだろうか。
 
 まあ、もしかしたら役作りのために仕方なく茶髪にした長瀬なのかもわからないし、痩せた小錦に価値があるのかと言われれば否定的にならざるを得ないわけだが、でもそういうふうに思ってしまうのも仕方がないだろう。
 なんせ俺は彼らの実像を知らないからであり、彼らのことはメディアを通してのものでしか判断せざるを得ないからだ。そして、それがメディアの力であり、また恐ろしさでもあるのだろう。

 一足早くメキシコの地に武者修行へと向かった亀田三男だが、来月には長男・次男もようやくトレーニングを再開するという。
 一度貼られたレッテルを剥がすことは容易でないのは亀田にしても同じなわけで、これからの道のりはおそらく本人らが思っている以上に過酷であろう。

 それにしても例の謝罪会見で一連のパフォーマンスについて記者がネチネチいびったりしてたが、あれってもう、今後一切パフォーマンスはやるなということだろうか。優等生キャラの亀田なんて痛々しいだけだろうし、パフォーマンス抜きの亀田なんてじっさい、ほとんど価値がないのではないか。
 対戦相手に対してゴキブリだの挑発するのはむろんやり過ぎだが、ハンバーガー食うくらい、いいじゃないか。
 ちなみに俺はチーズバーガーが好きだが、あまりにチーズバーガーが好きなため、来日時にゴルフコース内にマクドナルドの店ごと作らせるタイガー・ウッズ並みに大好きだが、そんなことはどうでもいいが、ともあれ、せめて試合に勝利したあとに行われる次男のあのうんこみたいな歌謡ショーだけは、ぜひとも続けてほしいものだ。

 あのダサくてうすら寒いパフォーマンスがあればこそ、我々は改めて、悪意でも憐れみでもないニュートラルな視線で亀田一家を見られることが出来るような、なんだかそんなような気がしないでもない。
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2006年04月11日

去年からずっと胸に抱いてきたこの想い……「彼女」に伝えたい

 俺の記憶が正しければ、彼女のことをしばしば意識するように――いや、「意識せざるを得なく」――なったのは、去年からだったろうか。思えばそのときから俺は彼女に対して複雑な想いを胸に抱いていたものだ。
 
 いや。たしかに、「そのとおり」ではあるさ。一際ボディラインが強調された服装から覗ける、ふくよかな胸元、キュっと引き締まったヒップは、大きさ形ともに申し分などあろうはずもない。もしも万が一、彼女の一糸纏わぬ生まれたままの姿を目にする機会があったならば――絶対にそんなことはないだろうけれど――それこそ男として欲情せずにはいられないだろう。

 「ダイナマイッッッ!!」

 もしかしたら、思わず、こう感嘆の声をあげてしまうかもしれない。俺も男だ。そこらへんは素直に甘んじて受け入れようじゃないか。

 けれど――けれども……どうにも心の奥底にモヤモヤっとしたものが残ってしまう俺がいる。なんていうか、そう――その「続き」に納得できかねない俺がいるのだ。仮にこの「続きの部分」を認めてしまったら、俺の男としての女性観が根底から覆されてしまうだろう。それだけはひとりの男として、いや、ひとりの人間として、どうしても譲れないものだ。

 もちろん、君は俺にとって文字どおり雲の上の存在だ。俺のこの気持ちが君に伝わるなんて、たとえ地球がひっくり返ったとしてもありえない話。けれど、それでもいい。「そのこと」に彼女がなんとはなしにでも気づいていてくれさえいれば、俺はそれで満足だ。

 ところが――。どうやら世の中、そううまくはいかないらしい。相も変わらず人々は「その言葉」でもって彼女という存在を煽り立てるばかりだし、なんなら彼女自身、「その言葉」を当然のこととして受け止めている感すら見受けられる。はっきりいってしまうと、これは俺にとってとてもじゃないが受け入れがたい問題なのだ。

 いや、その、なんていうか……だって「あきらかに違う」だろう。そう、おそらく君は、そんな人じゃないはずだ。俺のこの想い、なんでわかってくれないんだ…?  けれども、俺のそんな心の叫びが彼女に届くわけがない。いや、もしかしたら――もしかしたら「俺のこの想いが間違っている」ということなのだろうか? あるいは、俺は狂ってしまったのでは――?

 悩みに悩んだ末、俺は思いきって友人にこのことを話してみることにした。ひょっとしたら変人に見られるんじゃないか、と不安で仕方がなかったが、この想いを押さえつけておくことなど土台無理な話だった。そしたら、どうだろう、……友人もこうした俺の想いに全面的に同意してくれるというではないか!

 「いや、俺も前々からそう思ってたんだよ。やっぱおかしいよなぁ……って」

 「だろ? お前もそう思うよな? よかった、俺だけじゃなくて……」

 「けど、100%間違ってるってわけでもないんだよな。なんというか、この、『後の半分』が……」

 「そう、そのとおりなんだよ。あの『半分』が問題なんだよ。なんていったらいいんだろう、あれは……」

 「う〜ん、なんだろう……」

 「……あ。…ひょっとして……いや、たぶんこれなんか、ちょうどしっくりくるんじゃないか?」

 「え? なになに……?」

 
 そして俺は、あるひとつの結論に達したのだった。

  「エロゴリラ」

 「倖田來未は『エロカワイイ(かっこいい)』でなく『エロゴリラ』――」

 
 古畑任三郎でした。
posted by とんち番長 at 22:07| Comment(2) | TrackBack(1) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

21世紀、日本のテレビ界を救う男……その名は「M・J」

 なんちゃら弁護士って、いるね。去年、日テレの24時間テレビでマラソン走った弁護士のおっさんのことだよ。そう。丸山弁護士って、おっさん。

 あのオヤジ、ヤバいよ。マジヤバ。やっぱ24時間テレビの影響なのだろう、最近はもっぱらテレビに出まくり状態であり、ついでに歌も出しちゃうわ、挙句の果てに「俳優を目指します!」なんて語ってたりなんかもしてるわけで(@「『スポーツ報知』情報)、取り返しのつかないことになる前に、これだけは言っておきたい俺なわけだ。

 ……じゃあ、いい…? ズバリ言うわよ(ここからの2行は細木数子ふうな感じをイメージしつつお読みいただければ、より一層お楽しみいただけることかと存じ上げます)。

 「あのオヤジ……このままだと、とことん調子に乗るわよ」

 …え? なんでそんなことがわかるのか、って? わかるよ。丸わかりよ。「わたくし、ちやほやされると、どんどん、調子に、乗りますよ」って顔だよ、あれは。俺が見たところ「わたくし」が目で、「ちやほやされると」が口、「どんどん」が鼻だろ、でもって「調子に」が耳、「乗りますよ」が髪、ってな感じでつくられてる顔だよ。「あれ? 声が、遅れて、聞こえて、くるよ」ってなつくりなわけだよ、ようするにあの顔は。

 「いいかげんにしろ!!」

 そろそろあのオヤジに言ってあげるべきでは、と思うし、それが本当の優しさってもんじゃないか、とも思うのである。

 しかし、だ。一般庶民たる我々がいくら声を大にして訴えても、所詮テレビのなかの奴らに届くわけなどないのであるから、こんなときこそ、普段クソの役にも立たない「ご意見」ばかりをまき散らしている「芸能界のご意見番」こと和田アキ子や美川憲一あたりが真っ先に言ってやるべきではないか。

 「調子に乗んな馬鹿野郎!」と。

 そう。いまに『丸山弁護士の朝まで生テレビ!!』だの『丸山弁護士のクイズ・ヒントでピント!!』なんていう、まったくもってわけのわからぬ番組がいつ産声を上げるか、ひじょうに危うい状況に我々は晒されているのである。いけない! 早くあのオヤジの暴走をとめねば。

 とはいえ。『電車男』だの『実録鬼嫁日記』といった素人発のメディアが脚光を浴びる現在、まして「発見」されてから10年も経つというのに、いまだ芸能人なのか素人なのか素性がまったく掴めずじまいである「姉妹」がヘアヌード写真集の発売で巷をにぎわせているわけだ。そう。もはやテレビ向けに洗練されきった「芸能人」からでは大した刺激を受けられなくなった我々は、丸山某しかり、いわゆる業界人的な洗練がなされていない「芸能人のまがいモノ的輩(限りなく素人的な輩)」が醸す、粗野で原始的な魅力を求めている、ということなのだろう。

 しかしながら、である。…ひとり重要な男をみなさんお忘れではないだろうか。紛れもない「芸能人」であるにもかかわらず、洗練という言葉を頑なに拒みきった「異才の男」。そう。そんじょそこらの「素人的な芸能人」なぞには体現できるはずもない、「いったい、なにをやらかすんだ?」的な、あたかも平和な都市に打ち込まれた「核」のごとき光を放ちながらも、時代という狭間に埋もれてしまった「あの男」を――。

  みつまJAPAN.jpg

 そう、「みつまJAPAN」、その人である。

 覚えているかたも多くいらっしゃるのではないだろうか。なにしろ、あの規格外というべき圧倒的な存在感、テレビのなかを一瞬にして氷の世界へといざなう悪魔のごときインパクトだ。「ぜってーキテるよ、この人…」とおそらく誰しもが思ったことだろうし、じっさい俺自身、みつまをテレビのなかで「目撃」した刹那、これは果たして笑うべきなのか、それとも即座にチャンネルを変えるべきなのか、どうにも判断が下せず、結局いまになってもその答えはわからずじまいである。

 思えば、彼を「目撃」しなくなってから、随分と月日が経ってしまった。

 ああ、いったいどこへ行ってしまったのだろう、みつま。あのときの衝撃を、いま一度味わいたい…。

 刺激を求めぬいた末、もはや後戻りが出来なくなってしまった「刺激狂」の視聴者たち。そんな我々にとって、「みつまJAPAN」、彼こそが我々の救世主たる存在としていま一度現れるべき人物なのではないか? と、ひたすら頑強なまでに思うのである。

 じゃあ、アレだ。みつまに適切なポジションを与えるべく、真っ先に抹殺されるべき存在とは、果たして誰なのだろうか。そう。言わずもがな、ゆるい空気を垂れ流すだけでもはや時代から取り残されつつあるタモリ、こいつしかいないのである。

 『みつまJAPANの笑っていいとも!!』

 『みつまJAPANのミュージックステーション!!』

 『みつまJAPANのトリビアの泉!!』

 『毎度お馴染み〜流浪の番組、みつま倶楽部!!』

 絶対面白いと思うのだが(絶対ありえないと思うが)。
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2006年03月12日

で、神田うのってなに? おいしいの?

  神田うの.jpg

 そういえば最近、神田うのをテレビで見ない。

 「神田うのの朝まで生テレビ!」

 「神田うののクイズ年の差なんて!」

 なんていう冠レギュラー番組こそいまのいままであった記憶はないが、それでもバラエティー系をはじめとする番組には連日のようにゲスト出演していたはずだし、コマーシャルなどにも割合ひんぱんに出ていたように思う。たしかに、テレビ画面でうのに遭遇した瞬間、即座にチャンネルを変えてしまう私がいるのだが、見なけりゃ見ないでちょっと寂しい気もしてしまうのだから、人間とは勝手なものだ。

 というか、そもそも神田うのの芸能界でのポジションとはいかなるものか。

 「女優」。ということだろうか。

 たしかに、かつて『ナースのお仕事』でその演技っぷりを拝見したことはあるが、その後本格的に女優業を勤しんでいるというわけではどうやらなさそうだし、ではドラマを飛び越し映画界に進出したのかというと、やはりそういうわけでもなさそうだ。いや、『ナースのお仕事』での演技っぷりは悪くはなかったと思うし、むしろ「個性派」といってもいいくらい良くも悪くも目立った演技っぷりだったが、世間的にそういうふうに評価されているというわけではなさそうだし、評価されていたらいたで、それもそれでなんだかムカついてしまいそうだ。

 では、「歌手」ということなのかというと、少なくとも私の記憶においては、うのがCDを出したという記述はないし、ひょっとしたらマキシ・シングルあたり過去にひっそりと発表していたのかもしれないが、「オリコン・チャート2週連続首位!」みたいな一大ムーヴメントが巻き起ったという事実があるわけではない。いや、歌わせたら歌わせたで案外うまいのかもしれないが、それはそれでムカつくだろうし、かといって下手なら下手で、それもムカつくに越したことはないだろう。

 ってことは、まさか神田うのって……「お笑い芸人」…? そういや、オンバトに美川憲一とコンビ組んで出てたような…。…いや、そんなはずはない! たしかにあの嫌でも耳につくうざいしゃべくりは芸人向きといえなくもないが、仮にそうだったとしたら、うのの得意げな漫談話にいよいよムカつきをおさえられなくなった心あるヒットマンの手によって、おそらく今頃は闇に葬られているはず。いずれにせよ、ありえない話だ。

 え? じゃあ、なんなの? 神田うのって。…ハッ!……ひょっとして……デザート? うのが…? では、フルーチェとうの、どっちがフルーティなのか? 

 …という話でも、おそらくないだろう(当たりまえだ)。

 そう――それは、ある日のワイドショー。あるいはスポーツ新聞。はたまた女性週刊誌。

 おい、今日は取り立てて話題ねえぞ。困ったなあ。どーすんだよ、おい! ここままだと、放送時間(記事スペース)あまっちまうぞ。あ。…そうだ。神田うのって、今日、なにかのイベントのゲストに出てなかったっけ…? そうそう、これこれ。よし、野郎ども、こいつを差し込んどけ!

 「神田うの、パチンコ店御曹司と交際順調宣言! 夏にも結婚か?!」

 そう。取り立てて大きなニュースがなくて困ったとき。うのは「ちょうどよい具合に収まる芸能ミニミニ・ニュース」として、ワイドショーのコーナーに、あるいはスポーツ新聞の芸能欄の隅っこに、突如として現れる。いわば「芸能界のすき間産業」。それが、芸能界での神田うののポジション、などと思うのもあながち考えすぎだろうか。

 束の間の休日。友人、恋人とのひととき、あるいは彼女を嫁にもらうため、郷里にいる義父を尋ねたときでもいい。会話がとぎれたその刹那、ふと、うのの話題を振ってみる。というのはどうだろう。


 「あ。…そういえばお義父さん、神田うの、例のパチンコ屋の御曹司と順調だそうですね」

 「な……出て行けーーーっ!!」

 無茶。それはあまりにも無茶だ。神田うのについて語りたがる人間は、日本中探して、たぶん4・5人しかいない。どこにあっても煙たがられてしまう、突出した個性。かわいさなくて、憎さ100倍。それが神田うの、ともいえようか。

 しかし、だ。ムカついてムカついてしょうがない、でもなんだかやけに気になる、この感覚。なにかに似てるような。そう。恋。うのを思う――つまりそれは、恋の感覚そのもの、ともいえるわけで。

 そんな神田うののような存在に、私はなりたい(嘘)。
タグ:神田うの
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2005年10月01日

細木数子と愉快な仲間たち〜『ズバリ言うわよ! SP』

 ズバリ言うわよ!SP.jpg

 今週の火曜日、TBSで放映された『ズバリ言うわよ! SP』をぼんやりと見ながら、細木数子のこの人気ぶりはなんなのだろうと私は考えていた。

 「細木数子がブッタ斬る 女子高生&男子高正&現役教師! 総勢250人 炎の4時間大バトル!!」と題されたこの日の特番は、現役の女子高生、男子高生、教師、さらにゲストタレントらを交え、現在の教育問題について細木と徹底討論を繰り広げるという趣旨で展開された。

 番組中、学校や社会について自分なりの意見や不満を述べる女子高生、男子高生、教師、そしてゲストタレントら。むろん、序盤こそ威勢の良かった彼らも、次第に細木のペースに呑み込まれ、いつしか従順なるしもべへとなってゆくというセオリー通りの展開だったわけだが、細木から出たこの言い分には思わず舌を巻かされた。

 「誰か、生きるってなんだか、わかるひと、いる?」

 そんな究極とも思える議題をスタジオにいる者たちに問う細木に対して、ひとりの勇気ある男子高生が手を挙げ、こう答えた。

 「…えっと、生きるって、…幸せになることだと思います」

 「なに言ってんだよ! アンタなんかに、生きることについて語る資格なんてないよ!」

 いきなり一喝する細木。では彼女が出した正しい答えはなんだったのかというと、こうだ。

 「いい? …生きるってことは、幸せに死ぬことなの」

  いや、なんというか、まあ、だいたい一緒なこと言ってるのではないでしょうか。目を吊り上げて怒る問題でもなかったでは。
 
 などと、私は思ったものなのでした。

 さて、こんな感じで、とにかく自分の意に反する答えをいった者を徹底的に腐し、そして手懐ける細木。かと思えば、司会のタッキーやゲスト出演の魔裟斗には、すこぶるあまい細木。さらに『スイス一億円買い物旅』と称したコーナーでは、数々のブランド品を買いあさり満面笑みの細木だ。

 冷静に考えれば、色欲旺盛で成金な、いんちき臭いばばあによる、言いたい放題の説教番組といえるだろう。だいたい、細木が自信たっぷりに論じる話も、あのくらいの年齢になれば誰しもが考えうるだろうことで、けっして高尚なものでも、まして斬新さに富んだものでもないように思える。誰がこんなやつの番組を好き好んで見るというのだろうか。とも思える。にしても、なんでこのババアずっとプルプル震えてんだ。とさえも思える。

 だが、それでも大衆は細木を見たがる。なにしろ、いまの時期はちょうどテレビの特番シーズンで、当然、この日のゴールデン・タイムも、日テレの『踊る!さんま御殿』が19時〜22時の3時間、フジの『ウォーターボーイズ選手権』が19時〜21時30分のの2時間半、テレ朝の旅番組は19時〜22時の3時間放送をしていたのだが、細木の『ズバリ言うわよ! SP』だけが19時から23時、堂々の4時間放送である。こういったことから見ても、細木の勢いは一向に陰りが見られないどころか、日を追うごとに加速しているといっても、あながち過言ではあるまい。

 ひょっとしたら、私たちは、誰かに怒られたいのではないだろうか。年金問題、対アジア政策問題、清原の移籍問題、押尾学と矢田亜希子のファンクラブ解散問題と、いまだ先行きが見えない不透明な時代である。そうした時代にあって、明確な指針を誰かに示してほしい。もちろんその役割は政治家たちにあるのだろうが、いまやあいつらなどアテにならない。だが、いわれるとなれば、どうせなら偉い人がいい。その点、細木なら、うさん臭くて、どこにその根拠があるのかわからないが、ともかく、なんだか、偉そうだ。しかも、男性にはない、女性ならではのおおらかさもある(と思う)。さあ、今日も言ってくれ、細木! いいぞ、細木! フレーフレー数子! 
 
 という心理が大衆の内に働いているのかもしれない。

 そうとなれば、ここは細木に続く人材が待たれるところだ。急先鋒は、やはりデヴィ夫人か。近頃はテレ朝『愛のエプロン』で確立しつつある「お茶目なおばさん」というキャラで猫をかぶりつつあるが、もともとは細木に勝るとも劣らない自我、強欲の持ち主である。彼女の前ではさすがの細木でさえも、たじろがずにはいられないのではないか。ここに野村沙知代が絡んでくると、面白い。一連の経歴詐称疑惑などで近年は表舞台から遠のいてはいるが、彼女の馬力、底力は、けっしてあなどれるものではない。ファンの間で、依然復帰待望の声が根強いのも頼もしい。むろん、こうなると浅香光代だって黙ってはいないだろう。以前『ズバリ言うわよ!』で細木と一時的に休戦協定を結んだ和田アキ子にしたって、いつその刃を向けてくるかわからない。そんななか、大穴として期待されるのが十勝花子ではなかろうか。先に名が挙がったサッチーVSミッチー騒動に絡んできて一躍時の人となった十勝であるが、あのときに本領が発揮されていたとは到底言い難い。彼女が電撃参戦を表明しても、なんら不思議ではないはずだ。

 いずれにせよ、視聴者たる我々にとっては予断の許さない状況が続くだろう。

 芸能界でしゃばり強欲ばばあたちの戦国時代。その火蓋が、いま、切って下ろされた――。
タグ:細木数子
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2005年09月23日

徹底考察〜『織田裕二はなぜ歌をうたうのか』

 どうやら芸能界という世界には

 「とにかく、誰彼かまわず歌を歌わせる」

 という鉄の掟がまかり通っているらしいが、これははたしていかがなものなのだろう。

 いや、もちろん、ミュージシャンがCDをリリースするのは一向に構わない。
 なぜなら、CDをリリースしないミュージシャンはおそらくミュージシャンとは呼べないからだ。
 さらに言うなら、アイドルが同様のことをするのも、芸能界を生き抜くための戦略のひとつとして、まあ理解はできる。

 しかし、たとえばお笑い芸人が歌を出すような事態は、あれはどうなのか。
 いや、ネタとして出すぶんにはまだ許されるが、中にはあろうことか「本気」で歌ったものを出している輩も少なからず見られ、いずれにしてもリリースした数ヵ月後にはブックオフの激安コーナーに大量に陳列されているのは目に見えていることではないか。
 
 とはいえ、こんなのはまだまだ序の口であろう。たとえばプロ野球選手(原辰徳等)、プロレスラー(藤波辰巳等)、ボクサー(竹原慎二)、F1レーサー(中嶋悟)、ホモ(カルーセル麻紀等)、しまいには一般人(きんさんぎんさん等) までをも捕まえ歌を歌わせるような状況をはたしてどのように受け止めればいいのか。さらに意外なところでは大家政子(資産家)、結城貢(料理万歳)、オスマン・サンコン(ガーナ)なども同様にレコードを発表しているが、彼らが歌を出す必然性がはたしてどこにあるのか、まったく理解が出来ないのだ。
 
 もちろん、俳優が歌を出すケースもひじょうに多い。吉田栄作、江口洋介、河相我聞、反町隆史、藤木直人、玉木宏、押尾学etc……と、ざっと挙げただけでもこれだけの輩がCDをリリースしているが、おそらくそこには

 @所属しているタレント事務所から「歌を出さないか」と話を持ちかけられる。
 A自分自身、歌は好きなので、まんざらでもない。
 B幸い、学生時代にバンドを組んでいたので、歌にはめっぽう自信があるし、ギターも弾ける。なんなら、やろうと思えば作詞作曲も可能だ。
 Cでも、俳優の俺が歌なんてうたうべきなのだろうか。
 D悩む。
 E事務所の先輩俳優に相談。「俺も昔、出したなあ。やってみろよ」と言われるも、いまいちふんぎりがつかない。
 F悩む。
 Gすべてが面倒になり、ブラジルあたりに放浪の旅へ
 H我に返り、田舎の両親に相談の電話を入れる。
 I「やってみればいいんじゃないの」両親はすこぶる乗り気のようだ。
 J「やります!」
 K「そうか」
 Lレコード・デビュー決定。

 というようなカラクリが働いているのだろう、と思われる。
 
 このように出したがり、欲しがりの俳優・芸能事務所らであるが、だがしかし、こういった状況は長続きしないのが世の常である。
 
 当たり前だ。
 
 しょせんは俳優業の片手間、ミュージシャンという職業をまさしく生業としている者たちが群雄割拠にひしめく音楽シーンにおいては、どうしたって生き残れるはずはないからだ。

 たしかにデビュー曲や、さらにその後にリリースされる3曲目ぐらいまではそれなりに話題にはなるだろう。が、その後も懲りずにレコードを出したとしても、デビュー時のような話題は集めるのはきわめて稀なケースである。結局、そのレコードはいつしかコアなファンだけのお宝品となってしまい、彼らが俳優としての道を着実にステップアップしていくにしたがい、レコードを発表していた時代は暗黒の記録として、やがて闇の中に葬り去られてしまうことになるのだ。

 しかしながら、そういった荒波の中で、俳優・歌手という二束のわらじを長きに渡って両立し、しかも一部の好事家たちの間では彼のレコードのリリースがあたかも「恒例行事」、あるいは「夏の風物詩」めいた出来事して認知されている類まれな人物がいる。いわずとしれた織田裕二、そのひとである。
 
 織田が歌手デビューしたのは1987年、「BOOM BOOM BOOM/Hold Your Tight」というシングル・レコードで、だ。
 
 「なんつうタイトルだ」
 
 という話はともかくとして、じつは織田が歌手デビューしたのは俳優としてデビューした年と同年とのことである。そして、ドラマ『東京ラブストーリー』でブレイクした91年には「歌えなかったラヴ・ソング」をリリースし、大ヒット。その後もやはりドラマ『踊る大走査線』の主題歌「Love Somebody」、さらに2年おきに開催される陸上のビックイベント『世界陸上』では、中継番組の総合司会を務めるとともに番組のテーマ曲「All My Treasures」を提供するなど、その足取りに衰えはまったく見られない。
 
 だが、織田の歌手活動が順風満帆といえないのはいわずとしれたことだろう。
 たしかに「歌えなかった〜」やその後にリリースされた何枚かのシングル曲、さらに『踊る大走査線』の主題歌である「Love〜」などはドラマ自体の大ヒットもあってかなりのセールスを記録したようだが、そのほかの曲はだいたい「初登場23位」などと、どうも中途半端な印象が否めず、しかも次の週にはその順位はランク外か良くて「57位」みたいな位置が関の山である。先に挙げたとおり、やはり固定ファンのための贈り物、というような現状に甘んじているように受けとれてしまう。

 そして、織田はあまり歌が上手くないのもまたいわずとしれたことだろう。音程はじつにおぼつかない感じであるし、リズム感があるとも到底いえない。なにより声量がまるでないのが致命的である。熱心なファンの間でも歌の評判はけっしてかんばしいとはいえないのではなかろうか。
 
 しかし、そういった現状であっても、あたかも雪山に籠る修行僧のごとく黙々と歌を出し続ける織田。ひょっとして織田は、そういった周囲の声に気づいていないのだろうか。
 
 いや、大衆の声はなによりも強力である。そんなことはないだろう。第一、仕事を共にしている仲間たちのあいだでも
 
 「おい、お前。……どう思う?」
 「いや、織田さんはすごくいい人だし、演技もの面でもとても尊敬している。けど、やっぱ、歌がなぁ……」
 「そうだよなぁ……」
 
 という声が囁かれているはずだし、織田自身、こういった評判を訊くとはなしに訊いているはずだ。
 
 だが、それでもなお、歌うことをやめない織田。いったいなぜか。
ここで僕は、ある仮説を打ち立ててみた。
 
 「何者かに脅迫されている」
 
 僕の愚かな妄想だろうか。
 いや! これしか考えられないではないか。
 
 1987年某日。デビュー間もない織田のもとに、ある一本の電話がかかってきた。
 
 「はい、もしもし?」
 「クックックッ……織田か?」
 「ん? 誰だお前は?」
 「ガキは預かった。返してほしければ、俺の要求をのめ」
 「……なんだと!」
 
 織田は現時点で結婚はしていないそうだし、あまつさえデビュー時で子供がいるわけがないのはわかりきったことだ。だが、たとえ誰の子であっても未来ある宝、それは織田とて同じことである。
 
 「要求はなんなんだ!」
 「クックックッ……まあそう慌てるんじゃない。要求をのめばガキは無事に返してやる」
 「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」(←おそらくこのときに偶然この言葉が出て、のちのあの有名なシーンにつながったのだろうと思われる)
 「クッ……貴様! いったい、どうしたらいいんだ!」
 「歌を出せ……」
 「……えっ?」
 「歌を歌って、それをレコードで発表するんだ。俺がいいと言うまでな」
 「は……?」
 「それじゃあな、楽しみにしてるぜ(ガチャ、ツーツーツー…)」
 「…なっ……ジーザス! なんてこった!」
 
 「ジーザス」なんて言うとは思えないが、翌日、織田は事務所の社長に相談、未来ある子供のためならと社長も快諾し、かくして現在にいたるのだった。
 
 あれから18年――。

 今年もまた、あの季節がやってきた。前回のパリ大会から2年、フィンランド・ヘルシンキで開催された世界陸上2005の中継番組で、お馴染みの総合司会、そして番組の挿入歌『All My Treasures』をリリースし、その大役を無事果たした織田。その笑顔の裏に、織田の血のにじむような想いが隠されていることを、我々は察してあげるべきなのかもしれない。

 We can be Heroes
 01年発表、織田渾身の23枚目のシングル。この笑顔の裏に、織田の血のにじむような想いが隠されている(かもしれない)。

タグ:織田裕二
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2004年10月09日

テレビは嘘か真か〜『藤岡弘、探検隊』

 藤岡弘、探検隊.jpg

 ある呑み会に参加したときのことだ。

 ちょうど私の席の隣に座ったかたは昔、あるテレビ番組に出演したことがあるようで、そのおりに彼から「テレビ番組のほとんどはやらせである」との衝撃的な発言を訊かされた(ちなみにこのかたは、俗にいうテレビ・タレントなどではない)。
 
 もちろん、ニュースの報道番組などは除いての話なのであろうし、日々テレビを拝見しながらそういった部分を薄々とは感じていた私であったが、「…むう。そうか、やはりな…」と、そのときはテレビ業界の恐ろしさをつくづくと実感したものであった。
 
 そんなこんなの先日である。

 「“ちがった意味で”面白いから見てみろや」
 
 友人にそう言われるとともに、私はあるテレビ番組が録画された一本のヴィデオ・テープを渡された。中身は、先月頃にテレビ朝日系列で放映されたらしい『藤岡弘、探検隊』という番組であった。
 
 ご存知の方も多いだろう、その昔に同局で放映され当時の子供たちや一部のマニアの間で絶大な人気を誇った『川口浩探検隊』、そのリメイク番組である。
 
 この番組は私も幼少期に拝見した覚えがあり、うっすらとだが記憶に残っている。
 
 やたら大仰な身振り手振りを繰り出す探検隊が、壮大なナレーションにのって、人類未開なる触れ込みのジャングルや洞窟などへ行き、人類の大いなる謎の解明のため、かの地の探索に挑む。やがて、この世の物とは思えぬ謎の生命体の噂を訊きつける探検隊。行く手を阻むは、現地の猛獣達。だが、散々騒いだ挙句に結局、真相を突き止めることはできない探検隊。いや、あと一歩らしきところまではいくのだが、なぜか最後の最後に綺麗さっぱりと諦める探検隊。そして、無駄足だったにも拘らずやたら前向きに成果を強調するナレーションが流れ、撤収・終了――たしか、そんな番組である。

 「…そうか、懐かしいな」
 
 家に帰った私は、早速くだんのVTRを拝見することにした。

 二代目隊長にして俳優・藤岡弘率いる探検隊の「目的」は――

 「アマゾン河口付近で猛威をふるっているという吸血コウモリの調査のため、藤岡弘探検隊が、かの地へ。ところが、調査を続けるうちに未確認生物“イプピアーラ”の情報を掴み、急遽目的を変更。彼らの決死の捜索やいかに…?!」
 
 と、予想通りの「ストーリー」である。
 
 ジャングルにて毒グモに襲われたり底なし沼に落ちたりのいきなりの(?)事件事故に遭う探検隊、それらの瞬間をじつにタイミング良くとらえる絶妙な(?)カメラワーク、些細な出来事でも往年の大映ドラマのごとき大仰な身振り手振りを繰り出す探検隊、よく考えれば別にたいしたことなど起こってないのにやたら扇情的に語るナレーター、そしてやはりなんだかんだ騒ぎに騒いで結局とくになにか発見できるわけもなく終了……と、全体的な展開もまさに予想通りの代物であった。
 
 まあそういった様を「あくまでもドキュメンタリータッチで」追っていくのだが、実際はいわゆる「台本通りの筋書き」なのは、間違いないだろう。良識な視聴者ならまず怒ってもよいところであると思いはしたが、そのあまりにも予定調和でありながらとてつもなくグダグダな展開は、まるで出来損ないでありながらもなんだか愛らしい寸劇を見ているようで、画面に向かって激しくつっこみを入れつつ、苦笑いしつつ、なるほど、私はそこはかと残る郷愁を感じるとともに、たしかに「違った意味で」楽しめた次第である。

 しかしながら――。VTRを見終わっても結局、最後まで判別のつきかねることが、私にはあった。
 
 問題のシーンは、これである。
 
 ボートで探索中のこと。藤岡弘、いや隊長がなんと、ボートが木に引っかかって進めないからといって、ピラニアやワニらが巣喰うアマゾン河になんら躊躇することなくダイブを敢行するのである。いうまでもなくビショ濡れの隊長。なんだか誇らしげでさえある隊長。この常人には容易くできない隊長の勇気ある行動に、私はただただ仰天した。
 
 いや、うんにゃ。たしかに隊長は、初代仮面ライダーとして一世を風靡した一流俳優である。隊長持ち前の「迫真の演技」であったのは疑いの余地がない――普通に考えれば、そう言い切ってしまえるものであろう。
 
 しかしながらである。
 
 たとえ番組上の「演出」であったとしても、たとえ「スタッフに頼まれた」としても、だ。フツーそこまでやるか、と。
 
 あと隊長、目が怖すぎ。番組中始終、「世界を揺るがすほどの国家的犯罪を企てている人の目」状態なのである。いや、うんにゃ。これは私の誇張がいささか過ぎているとしても、だ。「エベレスト山脈を側転のみで登りきろうと決意した人の目」――そんなふうに形容しても大袈裟ではない、尋常ならざる「本意気であると思われるもの」が隊長の目にあふれていたのである。
 
 私は思った。

 「……うん?…いや、待てよ……ハッ!!……いわゆる“天然系”に属されている隊長のこと……もしや隊長だけ番組の趣旨を飲み込めていないのでは…?つまり隊長だけ“ガチ”……?…いや、うんにゃ、まさか、そんな、ねえ……」

 そう、そんな筈は、ない。
 
 私が調べたところによると、藤岡弘、いや探検隊二代目隊長殿は、なんでも『川口弘探検隊』番組開始当初から実はスタッフとして現場に関わっていたらしく、しかも当時、番組の「演出家」であったという恩田光晴とかなんとかいうやつが「この番組はドキュメンタリーではなく、あくまでも娯楽番組です」と、あからさまに公言しているらしいのだ。さらにはあろうことか、「これはドキュメンタリーだとは言わないし、作り物だとも言わないし、別にいいじゃん、と――」と、身も蓋もないことまでコイツは言っているらしいのである。当然、元スタッフの藤岡、いや隊長(二代目)も、そのことを熟知し参加していたのは間違いないと、容易に想像できる。
 
 だが、しかし、それでもである。
 
 私、そしてひいては視聴者全員に、「隊長だけはガチ」と、ある種のファンタジーを夢見させてくれるような、それこそ、最近の軟弱な若手俳優など足元にも及ばない「なにか」が隊長(二代目)の一挙一動に宿っていたのも、また紛れもない事実だったのである。
 
 私はこの番組の長期放映化を、断固として望む。

 
 (…あ。つうか“本当は”あの河自体、アマゾンじゃなかったのかも――。これだからやはり、テレビは恐ろしい)


隊長(二代目)の“本意気”な姿を拝むことが出来る、探検隊番組HP
隊長の“本意気度”が否応なしに感じられる、公式HP『SAMURAI−DO』
posted by とんち番長 at 00:40| Comment(4) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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