2008年08月25日

その男、卑猥につき――梅宮辰夫

 いまさら言うことでもないが、インターネットは便利だ。

 色々な情報が家にいながらにして簡単に手に入るようになったのはやはり便利この上ないと言うしかなく、たとえば音楽に関することだったら、好きなミュージャンの新譜情報やライヴの日程のみならず、ことによったら、その日一日なにをして過ごしていたかだとか、晩飯はなにを口にしたかだとか、あるいは最近見ているテレビ番組だとか、オリンピックはなんの競技に感動したかだとか、SMAPだったら誰が好きだとか、有り難いんだかどうでもいいんだか、とにかく細かな情報までなんら苦労せず得られるようになった。

 あとリスナーとしては、音源を試聴できるサイトがあるというのもでかい。

 気になるミュージシャンの音源は、とりあえずCDストアのサイトやYouTubeなどで試し聴きすることができるので、音楽雑誌の情報を鵜呑みにしてCDを買ってみたら中身が「う○こ」であった、という悲劇に陥ることはほとんどなくなったからだ。

 経験したことがある方ならわかると思うが、リスナーとしてさんざん期待して購入したCDが「○んこ」であったときほど悲しいことはない。むろん、だからといって「う☆こ」に100パーセント出会わなくなったわけではないものの、それでも「うん(^^)」との対面率が格段に減少したという意味ではもの凄くでかい。ちなみに俺の「野球んこ」はそんなにでかくはないが、基本やや固めだ。

 で、しかしながらただ、そのぶん、CDを購入するという行為が以前に比べてシビアになったのはやはり否めず、ということは、まあ計算とかしたわけではないのでよくわからないが、またそのぶん、CDを購入する機会も以前に比べかなり減っているのだろう。

 なにぶんレコード会社の人間にとってはきびしい時代であろう、大変だ、と思う次第であるが、単なるいちリスナーである俺がそんなことを気にしたってしかたがないし、むしろリスナーの目利きがシビアになったぶん、売れるべきミュージシャンがしかるべき代償を与えられる環境が以前に比べたら整いつつあるかもしれない、という意味では、まっとうに作品制作に取り組んでいるミュージシャンにとってはじつはとてもいい時代がやってきた、ということなのかもしれない。あるいはそんなことはないのかもしれないが、いずれにしても、俺には詳しいことはわからず、中村とうよう先生や湯川れい子先生ならたぶんそこらへんの事情に詳しいはずなので、訊いてみるのもいいかもしれない。何事も実行だ。健闘を祈る。

 なんてな感じで、ネットには音楽の情報が満載だ。

 たとえば、あのGAOが米国でギャングスタ・ラッパーに変身し、新人育成を兼ねたプロデュースを行いつつ自らのパフォーマンスを披露したところ、多くのローライダーやギャングの間でビッグママ的存在としてリスペクトされているだなんて、有益なんだかどうでもいいんだかよくわからない情報も、おそらくネットがなければ絶対に知ることはなかっただろう。

 先日は先日で、なんとなくYouTubeで動画を観ていたところ、こんなものを発見した。

 
 梅宮辰夫「シンボルロック」 

 梅宮辰夫がレコードを発表していること自体にも驚いたが、歌のその内容にも仰天した。

 「シンボルっ/シンボルっ/男のシンボル〜/こいつを使って/こいつで泣かせて/その上こいつが〜か〜ねを生むぅぅぅぅゥゥゥ……/まったくシンボルちゃん様々だぜ?」

 とのことで、ようするに「オレのちん$は凄いぜ」などと、つまりはそういうことを歌っているのである。
 「ち\(^o^)/ぽ」の歌なのである。
 「犬んぽ」なのである。

 4行も使うほどのことでもないと思うが、いずれにしても、

 「梅宮辰夫は、ちどんっ(衝撃)ぽの歌を歌っていた」

 というこの情報が、有益な情報なのか、もしくはどうでもいい情報なのかは、よくわからない。「ミュージシャンをコラムる」というカテゴリに、はたして梅宮辰夫を加えていいのか、ということも含めてよくわからない。ともかく、インターネットは情報が満載だ。
ラベル:梅宮辰夫
posted by とんち番長 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

国内唯一の「ガイジンロッカー」――氷室京介

 ファッキンライト!

 というわけで冒頭からいきなりぶちかましてしまいましたが、そう、我らが押尾先生がついに音楽活動を再開させるそうなのである。

 俳優で歌手の押尾学が18日午前、およそ5か月ぶりに公式ブログを更新し自身がボーカルを務めるロックバンド・LIVを再始動させるため準備段階に入ったことがわかった。
 「お久しぶり」というタイトルで押尾は新たな活動メンバー2人を写真で紹介し「LIVを再始動させる為にゼロから創り上げています。第二章のLIVが新しいメンバーと始まります」とコメント。現在は新曲の制作に入っているとして「この二人はメンバーの二人ですとっても才能があるかも!?(笑)またLIVを応援してやって下さい。ではまた」と締めている。(ヤフートピックス)


 とのことで、大変めでたい、良かった、と思う次第であるが、ただそんなめでたいニュースに水を差すつもりはまったくないが、「5ヶ月ぶりのブログ更新」ってのは、いやちょっとどうなのだろう、と思わないでもなかったりする。
 というか、どう考えてもまずいだろう、これは。

 移り変わりが激しいこの世の中において、5ヶ月もの長期間に渡ってブログを放置するなんていうのは、厳しい言い方をさせてもらえば、言語道断と言っても差し支えないレベルではなかろうか。押尾先生の頭の先から尻の穴の皺の数まで熟知しているコアなファンはともかくとして、

 「押尾先生って結構かっこよくない?」
 「最近ちょっと押尾先生のこと気になっているだよね〜」

 ぐらいな感覚の人たちにとって5ヶ月もの間ノーリアクションなんていうのはあきらかに長すぎであり、すでにそういったライト層は、いきものがかりとか鼠先輩とか、ややもすればBerryz工房あたりに流れているに違いなく、逃した魚の数はあまりにも多かった、と言わざるを得ないだろう。

 いや、たしかに、毎日更新するほどネタがない、面倒だ、などといった至極もっとも理由があったのかもしれない。が、先生には「ファッキンライト!」という必殺の言葉があるじゃないか。毎日ブログに一言「ファッキンライト!」と投稿するだけでも

 「ああ先生、元気にやってるんだな〜」

 とファンは安心するものであり、ましてやそれらの投稿をまとめたブログ本(当然、中身の文面は「ファッキンライト!」のみ)を出版すれば大きな話題になるかもしれないじゃないか。
 もちろんそんなふざけた本を出版するなんて社会では通常許されることではないが、押尾先生ならばきっとみんな笑って許してくれるはずであり、心配はする必要はまったくない。
 と思う。

 今からでも遅くはない。本当に、頑張ってほしいと思う。

 まあしかし、ブログの更新うんぬんを抜きにしても、押尾先生の再ブレイクはちょっと厳しいんじゃないかと、正直、思わないでもない。
 やっぱり一度付いてしまった負のイメージはそう簡単には覆せないだろうし、そのうえ最近一部の人間の間では
 
 「DAIGOとキャラがかぶってるんじゃないか」
 
 という声が上がっていたりもするからだ。

 たしかに両者ともイケメンであり、「DAIGO→明るいバカ」、「押尾先生→勘違いバカ」という点でもややかぶりぎみである。同じイケメンのバカでも、DAIGOの方がいろいろ応用がききそうだし、勢いがあるしで、押尾先生にとってきびしい時代がやってきたということか。人生、諸行無常である。

 で、DAIGOといえば、氷室京介のことが好きだという話を以前、耳にした。
 じっさい、こないだなんとなくテレビを見てたらキンキキッズとかと一緒にBOOWYの「マリオネット」を気持ちよさそうに歌っていたので、相当好きなのだろう。

 まあ、気持ちはよくわかる。

 DAIGOはもとより、GLAYにしてもT-BOLANのヴォーカルにしても、あるいは意外なところでユニコーン初期の奥田民生とか、売れてないころのT.M.Revolusionの西川貴教とか、あと反町っスとか、BOOWY&ヒムロックから相当な影響を受けたとおぼしきミュージシャンは日本の音楽界にそれこそ山のようにいるのはいまさら俺が言うまでもないだろう。

 で、大体そういった話になるとBOOWYやヒムロックの音楽面による影響について語られることがもっぱらだが、たしかにそういった部分も多かれ少なかれあるにせよ、もっと影響として大きな爪あとを残したと言えるのが、やはりヒムロックの圧倒的なヴィジュアルであろう。

 なにしろ、あれほど「日本人離れ」という言葉に正しく合致する顔立ちがあるだろうか。背がさほど高くないのが欠点といえば欠点だが、それを補ってあまりあるほど顔面レベルが異常に高い。じっさい外人と並んでも顔面レベル的にまったく見劣りしない日本人ロッカーはヒムロックぐらいであろう。
 で、この完璧とも言える「ガイジンフェイス」が、日本人が無意識に抱えている外人(白人)コンプレックスをちくちくと刺激したのである。

 つまり、

 「物理的に考えて『外人(白人)』にはなれそうもないけど、ヒムロックのような「ガイジン」になら同じ日本人なのでどうにかなれるんじゃないか」

 なんてなふうに、外人(白人)コンプレックス持ちの若者男子の心を大いに刺激したのではないかと思うのである。

 が、先述したようにヒムロックの顔面レベルは「異常」であり、むろん誰もがヒムロックになれるわけがない。というか、誰もなれてない。「ファッキンライト」にしろ、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン」にしろ、あるいは亀田戦における君が代独唱にしろ、みんなヒムロックになれずに死んでいった亡骸である。「悲しい亡骸」ならいいが、あいにく「面白い亡骸」なので、口にした者にとってこれほど始末が悪い状況もないに違いない。

 「大変ですね」

 と、抱きしめてあげたいとすら思う。正直、それは嘘である。

 ともかく、

 「ウグイス坊やのヒムロです」
 「ライヴハウス武道館へようこそ!」
 「ここは東京だぜ?」
 「夢を見ている奴らに贈るぜ! …ドリーミン!」


 なんていった数々の「名ゼリフ」はヒムロックが口にするからこそ許されるのであり、のみならず

 「ダンカンこの野郎!」

 とか

 「♪雪国もやしはぁ〜め〜ちゃめちゃ高いからあ〜」

 とか、「ステキ」とは100億光年離れた位置にあるセリフなんかにしても、ひとたびヒムロックが口にすればなんだかもの凄くかっこよく聞こえるに違いない、と、BOOWY&氷室のリリース全作品コンプはもちろん、ネットがない時代にBOOWY&氷室関連の海賊盤を大量に収集していた元ヒムロック信者の俺なんぞは思う。

 ちなみに、CDは大人になってからなんか持っているのが恥ずかしくなったので全部売っぱらったが、当然海賊盤は売ることができなかったので、供養の意味を込めて段ボールにひとまとめにして近くの川に流した。後日、川へ洗濯にやって来たおばあさんが拾い家に持ち帰っておじいさんと一緒に封を開けたところ、中から元気な桃太郎が出てきたらしい。というのはバリバリ嘘であるのは言うまでもない。
posted by とんち番長 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

「芸能界2大謎」の偉大さを思い知る――卍LINE

 俳優の窪塚洋介がレゲエ・シンガー「卍LINE」としてリリースしたデビュー・アルバムを、つい先日、友人が手に入れたらしく、そのCDを、べつにこちらから頼んだ覚えは一切ないのだが、貸してやる、という。

 聴け、ということらしい。

 ちなみに、先にCDを聴いた友人曰くは「全然良くなかった」とのこと。

 で、貸してやる、などと、ぴっかぴかの笑顔でもって言い寄ってくる人の厚意を無碍に断ることが出来るほど俺は冷酷な人間ではないので、まあ、ありがたくお借りしたわけですが、それにしても、だ。
 「全然良くない」CDをなぜ貸すのか。
 そんなものを貸されても困るしかないではないか。
 馬鹿か!
 
 とはいえ、ま、借りてしまった手前、聴かないわけにもいかず、なので、とりあえず聴いたみたわけですが、いやこれはまずい。
 
 サウンドが全体的に平坦でいかんせん間延びして聴こえる、どの曲も似たり寄ったりで一本調子、という問題もあるにはあるのだが、それ以上に深刻なのは卍LINE(窪塚洋介)のヴォーカルである。

 なんだか地声がそのまま歌声になってしまったようなというか、若干小島よしお似の軽い感じのハスキーボイス調というか、とにかくそんなようなヴォーカルに強烈な違和感を覚える。
 ちなみに小島よしおはクリスチャーノ・ロナウドとそれからレミー・ボンヤスキーにも似ているが、それはまったく関係ない話なので、とくに気にしなくて良い。

 で、この強烈な違和感、なにかに似ているなと思ったら、「栗田貫一のルパン三世」だった。

 山田康雄のルパンに慣れ親しんだ人間にとって栗田貫一のルパンはあくまで「モノマネ」でしかなく、なので、「クリカン=ルパン」という図式はいまだにどうにもリンクしがたいものだが、「窪塚=俳優」という認識に対する「窪塚=レゲエ・シンガー」というカウンターパンチもそれに負けないくらいの違和感だ。
 とにかくこのメガトン級ともいうべき違和感が、CDを再生している間、頭の中でぐるぐる回ってしかたがなく、いちミュージシャン「卍LINE」の作品として純粋に受け止めるのにはかなりの困難を要する。

 しかもこの卍LINEのヴォーカルがまたもの凄く「陽気」な調子というか、ややもすればひどく「ノーテンキ」な調子にさえ聴こえ、それがレゲエ特有のまったりとしたムードをいかんともしがたく助長しているのだから、なおさらまずい。
 というのは、なにしろ本作並びに卍LINEにとっての音楽活動とは、

 「『バビロン』(“社会”という意味らしい)に対する『レベル(“反抗”という意味らしい)ミュージック』である」

 とかなんとか、ご本人がそうおっしゃっているからであり、そんな「社会」に対する「反抗」たるべき代物がよりにもよって「ノーテンキ」だったり「まったり」に聴こえるなんてのは、どう考えてもまずいに決まっている。

 というわけで、おなじ芸能の世界に籍を置いているとはいえ、俳優とミュージシャンはあくまでも似て非なる業種であり、やはり違和感を覚えないほうが難しい、と、改めて感じた次第であって、じっさい、俳優のみならず、プロレスラーや元プロ野球選手、さらには超能力者といった具合に、さまざまな似て非なる業種の者らの音楽作品をべつのブログでレヴューしてきた俺だが、どれもが違和感バリバリだった。

 今後も音楽活動を継続していくことでそういった違和感は徐々に払拭されていくのかどうかはよくわからないが、とりあえずわかったのは、いつ聴いても違和感ありまくりの歌なのに、本人はまったくそんなことは気にもしてない様子で何年にも渡って音楽活動に異様なほど積極的に取り組み、しかもCDを出したら出したでなぜかそれなりにヒットする織田さんと、俳優業も音楽活動もバリバリこなしているのに、そのどちらもまったく違和感を感じさせない福山雅治はきわめて特種な例である、ということだ。

 芸能界の2大謎、と言えるかもしれない。

 
卍LINE卍LINE
卍LINE

BMG JAPAN Inc.(BMG)(M) 2008-06-25
売り上げランキング : 409

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
ラベル:卍LINE 窪塚洋介
posted by とんち番長 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

不良の人には逆らえません――中村達也

 「まったく不毛なことだが、私の悪いクセは、外国のタレントを理解しようとするときに、『この人は日本でいえば誰なのか』と考えてしまうことだ」

 なんてなことを書いたのはナンシー関であるが、俺もまったく同じことをよく考える。

 たとえばついこないだ、サッカー界の王様・ペレが母国ブラジルの街を車で移動中に強盗に襲われたが、強盗はペレだとわかった途端、彼に謝罪すると、そのままなにも盗らずに逃走した、という騒ぎがあったらしい。
 
 で、このニュースを聞いて俺が考えたのはむろん

 「ペレを日本人に置き換えると誰になるのか」

 ということで、頭に思い浮かんだのは長嶋茂雄もしくは王監督であった。

 強盗しようとした相手がミスターや王監督だったら、そりゃあ誰だって尻尾を巻いて逃げ出すに決まっている、と勝手に納得した次第である(まあ、実際には長嶋さん王さん共に、過去に窃盗の被害に遭っているわけだが)。

 ちなみにこのニュースには続きがあって、元ブラジル代表FWのロマーリオもペレと同じような感じでかつて強盗に遭い、やはり途中でロマーリオだと気づかれたらしいが、それでも強盗はひるむことなく高級車を奪って逃走した、とのことで、ではロマーリオは日本の誰にあたるのかというと、これはズバリ前園さんではなかろうか。
 前園さんに例えるのはロマーリオに対してちょっと失礼なような気がしないでもないが、

 「ま、前園(ロマーリオ)だし、いっか」

 と強盗が思ったとすれば、俄然納得できるというものだ。

 先月(6・25@恵比寿リキッドルーム)、モーサム・トーンベンダーのライヴを観に行ったところ、ライヴの途中にゲスト・ミュージシャンとして元ブランキー・ジェット・シティの中村達也が登場した。
 全身にタトゥーを彫りまくった中村氏は、トランペットを吹きながら終始不敵な笑みを浮かべてらっしゃった。
 中村氏を生で見るのははじめてであったが、音楽雑誌などで拝見したときに感じていたとおりの、とても怖そうなお方であった。

 なにより一切のギャグが通じなさそうな感じがつらい。
 というか、ギャグなんか言ったら殴られそうだ。
 といって、中村氏のツボにはまるようなギャグをかましたとして、

 「うはははは。おいおめぇ、なかなかおもしれぇじゃねえか」

 みたいな感じで異様に気に入ってくれそうだが、またそれもそれでなんだか怖い。

 中村氏というと、やはり「不良」「荒くれ者」というある種のロックの典型的なイメージが強い。
 「革ジャン」&「革パン(もしくは穴のあいたジーンズ)」&「なんかやたらつま先の尖ったブーツ(もしくはコンバースのスニーカー)」、そして「バイク」という感じだ。
 立ち位置はちょっと異なるが、スタイルとしては、若いころのエルヴィス・プレスリー、シド・ヴィシャス、ジェームス・ディーンあたりが適当だろうか。

 で、そういった世界観を見るにつけ、
 
 「ああ、俺とは100億光年離れたキャラだ。これは無理」

 と毎度のように実感させられる。

 ミッシェル・ガン・エレファントなんかもそうだったが、ああいうユーモアの介在が一ミリも許されぬようなガチガチな不良タイプのロックは、いくらサウンドがかっこよくても、ちょっと苦手だ。

 「♪ガソリンの香りがしてる〜その中に落ちていた人形が、マッチ売りの少女に見える」

 と歌われても、正直どうしたらいいのか困ってしまう。
 まあ、どうする必要もないわけだが。

 ライヴの帰り際、バイクに乗った中村氏が突如目の前に現れ、

 「おい小僧。ガソリンがあと少ししかないんだけど、財布持ってくるの忘れた。ちょっとカネ貸してくれや」

 などともし声をかけられようものなら、絶対に断れないんだろうな、そしてカネ貸しても返してくれないんだろうな、と妄想したら震えた。

 じつに不毛である。
posted by とんち番長 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュージシャンをコラムる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。