2008年09月05日

「デーブJAPAN」に断固反対!

 いよいよプロ野球のペナントレースも終盤戦に入ったわけだが、って、正直、まったくといっていいほど関心がないが、ただそれにしたって、こうして話題にしているとおり、個人的に気になることがないわけではない。

 現在、パ・リーグの首位に立っているのは西武ライオンズらしい。

 心配だ。
 デーブ大久保のことが、ともかく心配でならない。

 たしかあれはフジテレビの野球中継だったと思うが、たまに野球中継にチャンネルを合わせるとデーブ大久保が解説者として出演している時があって、で、そのデーブ大久保のなんだかさも得意げで自信満々といった調子の解説ぶりが、どうにも鼻について仕方がなかったのだ。
 
 簡単に言えば、
 「なんでデーブごときにこんなにえらそうにされなきゃならんのだ」
 といった感じだ。

 で、そのデーブが今シーズンから西武ライオンズの打撃コーチに就任したとのことで、ああやっと、やっとあの解説を聞かないで済む、いやめでたい、本当に良かった、と、安心しきっていたところに西武ライオンズ優勝という現実が迫ってきたのだからたまらない。

 もっとえらそうな態度を取るようになってしまったらどうするのだ。

 いや、もうこの際だから、元木がバラエティ番組とかでチャラチャラするのも許そう。
 なんなら、お昼の番組の司会に宮本が戻ってきても()全然オッケーだ。笑顔で迎えてやろうじゃないか。
 が、デーブ大久保がでかい顔するのだけは、なんだかとても嫌だ。
 ましてや、さらにもっとえらくなったりなんかして、それでWBCの監督にでも選ばれたら「デーブJAPAN」誕生だ。

  嫌だ。星野JAPANより、もっと嫌だ。デーブJAPANに比べたら、まだ「みつまJAPAN」の方がマシだ。そして、みつまJAPAN、どこいった?


※1998年4月よりTBSお昼の生番組の司会に謎の大抜擢(番組名「宮本和知の熱血!昼休み」)。むろん、視聴率は極端に低迷、1.4%という当時のワースト記録を更新してしまったため、結局6ヶ月で打ち切られてしまうという当然すぎる結末に。というか、誰かとめてくれる人はいなかったのか?
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2007年10月02日

僕が亀田を好きになれない理由2

 いよいよ亀田次男坊と現世界フライ級王者内藤による世界タイトルマッチの開催日(10・11)が目前に迫ってきた。性器の一戦、いや世紀の一戦まで、およそ一週間あまりである。
 
 とうの亀田はいうと、相変わらずパフォーマンスに余念がないようで、先日は三男坊がアマチュア・ボクシングの試合で判定負け。例の長男VSランダエタの試合で「疑惑の判定」という声が持ち上がったときは「審判の判定は絶対や(笑)」だののたまっていたくせに、いざ自分らが判定で負けるとすかさず猛抗議。数日後に判定が覆り無効試合にさせたかと思ったら、なんとその次に行われた試合までも判定負け。するとなんたることか、前の無効試合ともども「ほとんどなかったこと」にするという亀田家一世一代の一発ギャグを敢行したものの、そんなお笑いセンス0のギャグなんかで大衆が爆笑してくれるはずもない。
 
 ちなみに本日付のスポーツニュースでは、亀田関連の記事として

 「大毅VS内藤戦で前代未聞の乱闘保険」(スポーツナビ)
 
 とあり、なんでも亀田が所属している協栄ジムがファン同士の乱闘対策として、観客1万人に対し傷害保険をかけるらしい。
 またしても亀田流の一発ギャグを得意満面かましたつもりなのだろうが、正直、絶望的なまでにさっぱり笑えない。「笑いは諦めろ」と、こないだあれほど僕が忠告したにもかかわらずまだやるかと、呆れるばかりだ。

 そして、相も変わらず僕は亀田を好きになれない。
 いや、ここまで好きになれないのは、きっと、こないだ書いたこと以外にも、なにか理由があるからじゃないか。

 というわけで、僕が亀田を好きになれない理由を改めて考えてみた。

@3兄弟だから
 高嶋兄弟やマラソンの宗兄弟、おすぎとピーコなどを見ればわかるとおり、社会で大成するのはほとんど例外なく2兄弟である。やはり3兄弟だと、かなり中途半端な印象は否めない。いっそ5兄弟(ゴレンジャー)6兄弟(おそ松くん)くらいいってればまだなんとかなったかもしれないが、すでにオヤジは離婚しているそうだし、実現性は皆無に等しいだろう。残念だ。

Aボクサーだから
 辰吉、畑山といったかつてのカリスマ・ボクサーたちが表舞台を去り(辰吉はまだかろうじて現役だが)、テレビ視聴率は軒並み低下。スポンサーを獲得するのにも一苦労という現在のボクシング界で、カリスマのカの字もない亀田ごときがスターになるなんて、小学校低学年程度の学力があれば土台無茶な話だと、あまりよく考えなくとも普通わかるはずだ。
 なぜプロ野球選手を目指さなかったのだろうか。ボクシング同様、人気が下降気味とはいえ、まだまだプロ野球は国民的スポーツの地位を得ているはずである。
 関西人なのに、なぜ甲子園を目指さなかったのだろうか。
 なぜプロに入り、打点王を目指さなかったのか。
 まあ打点王は無理としても、亀田ほどの逸材ならベイスターズで一軍ベンチ(代打の切り札)くらいは狙えたはずである。残念だ。

Bオトコだから
 やはり男子たるもの、求めるのはオトコよりもオメコであろう。

C日本人だから
 せめてコンガ人あたりであったなら、と思う。

D沢尻エリカじゃないから
 いまもっとも旬で注目すべき人物といえば、亀田ではなく、この人だろう。

E吹石一恵でもないから
 いや何気に好きなの僕。

F亀田だから
 結局のところ、これに尽きると思った。
 いろいろ考えたが、これしかないだろうと。
 というか、考えるまでもなくわかってた。
 ともかく、生理的にダメなのである。

 亀田でなければ、それでいい。
 顔を整形し、禅寺に入るなどし心を清め、いっそのこと名前も「苫篠」あたりに改名してくれれば、個人的には有り難い。
タグ:亀田
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2007年09月10日

僕が亀田を好きになれない理由

 次男坊の世界タイトル戦、しかも一家にとってはプロ初となる日本人選手との試合が近づいてきたためか、ここ最近は比較的おとなしかった亀田家に関する話題が新聞紙面等でまたぞろ眼にするようになってきた。

 そして、亀田一家がメディアで大々的に取り上げられるようになってからもうかなり経つというのに、僕は相変わらず亀田を好きになれない。
 っていうか、むしろ嫌悪感のほうが日ごとに増すばかりだったりする。

 なぜだろう。

 亀田にまつわる重要なキーワードとして「生意気」があると思うが、じつのところ、生意気なスポーツ選手なんて、いくらだっている。っていうか、純粋実力主義のスポーツの世界で一流としてやっていくためには、常人離れした強靭な精神力、つまり、ある程度の生意気さが必要なのだ。

 じっさい、同じボクシングで言えば、辰吉や畑山もじゅうにぶんに生意気だったし、野球だったら野茂やイチロー、サッカーのカズや中田、格闘技の魔袈斗や山本KIDなど、いちスポーツの頂点に属する一流アスリートたちは、ほとんど揃いも揃って生意気だ(だった)。

 亀田と同様、僕は彼らが嫌いだった。

 「まだ新人のクセに、なんて生意気なオ○ンコ野郎なんだ!」

 と、スポットライトを浴びてからまだ日も浅い彼らが活躍するたびに苦々しい思いをしていたわけだが、ある程度の年月が過ぎ、気づけば彼らの生意気さがまったく気にならなくなっていた。
 というのも、その「生意気」と「実力」が等価値であるということを、その後の彼らの輝かしい活躍ぶりを観せられるにつけ、実感させられるからだ。
 そうして、嫌悪を感じていた彼らの「生意気」ぶりも、いつの間にか「かっこよさ」だったり「頼もしさ」だったりに心境変化せざるを得なくなるわけである。

 ところが、いまだ連戦連勝し続ける亀田家の一挙一動を観ても、僕はまったく心が動かされないでいる。
 なぜか。

@試合がつまらないから
 プロ入りしてから長男次男ともいまだ負けなしの亀田家であるが、僕の記憶上、これまでスカっと胸のすくような試合をしてくれたことは一度もない。
 なんだか対戦相手が弱そうな奴ばかりだったり(本当は強いのかもしれないが、そういうふうにしか見えない)、「おっ、今回の相手は、珍しく強そうだな」というパターンもあるにはあったが、そういうときの場合は「亀田とKOはセットや(笑)」とか言っているわりに、結局判定決着で終わってしまったりする。
 まあ、対戦相手を「必要以上に弱く見せる」のは、じつは亀田の高等技術なのかもしれないが、いずれにせよ、ある程度目が肥えたボクシング・ファンを唸らせる試合はまだ見せられていないのではないだろうか。

Aギャグがつまらないから
 亀田による一連の「パフォーマンス」を挙げてみよう。

亀田、ランダエタのニックネーム、“ベイビー”にあやかって、キューピーちゃんの人形を渡す!(ランダエタ戦)
亀田、サマン倒してさんまに来場アピール!? 前日計量をパスし、“亀田節”ますます好調(サマン・ソーチャトロン戦)
亀田、「カエル」のおもちゃで「ノエル」アランブレットを挑発(ノエル・アランブレッド戦)
亀田、「キットカットできっと勝つ!?」(ランダエタ戦←2戦目)

 なんてな感じで改めてピックアップしてみたわけだが、いやあまりのつまらなさに改めてびっくりしてしまった。
 もう、なんというか、違った意味で「相当なもの」だと言わざるを得ないだろう、これは。
 
 まあ、いわずもがな亀田はボクサーであり、たとえギャグがつまらなくても職業的にはなんら問題ないはずなのだが、彼らの出身地といえば笑いの本場・大阪、それがことをきわめて深刻にしているのは間違いない。
 
 「吉本なのに……」
 
 いや、べつに亀田はお笑い芸人じゃないので吉本興業に所属しているわけはないと思うが、やはり「関西=お笑い」である。
 「関西人のくせに」と、その「尋常でないつまらなさ」に、つい毒づいてしまいたくなるのだ。
 じっさい笑いという観点で亀田を評価できるものとしては、『君が代』をT-BOLANに歌わせたことぐらいだろうが、これにしたって「ボラン頼み」であり、正直、「笑いのセンスはゼロ」と断言するほかないだろう。
 
 小さいころにいじめられていたという亀田だが、それは大阪にいながらにして彼の笑いのセンスがゼロであったことが原因であり、有名になったその特権として、「己のお笑いセンスが間違っていなかった」ことをかつてのいじめっこたちに証明しようと、いまになって躍起になっているのではないか。
 
 しかし、亀田よ。
 
 キミが注目されているのはボクシングをやっているおかげであり、
 
 「どんなもんじゃい! ワシは笑いの実力も世界一じゃい!(笑)」
 
 と、もし考えているのならば、それは見当違いも甚だしい。
 
 そんな憶測さえ立ててしまうほど、つまらないギャグを連発する彼の行動は、異様な不可解さに満ちている。

 二兎を追うものは一兎を得ず。

 さんざっぱらバッシングは浴びたのだから、真の人気者・亀田として飛躍するため、ここらでいいかげん「笑い」を捨てるべきではないだろうか。

 というか、ぜひ捨ててほしい。心底そう願う。
 だって、「本当につまらない」のだ。
 このままだと僕は、未来永劫、亀田を好きになれないではないか。
タグ:亀田
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2006年07月18日

今日のスポーツ報知2面

  20060718@報知
 アリアスに何があったのだろう。


 
  アリアス
 「アッ! 原カントク二頼マレタ本場モンノ無修正DVD、袋二入レテクルノ忘レテタ!!」

  アリアス
 「犯人ガゲロル寸前ダッテ?! ヨッシャ、アトハコノ紙袋ノ中デ温メテイルカツ丼ヲ犯人二食ワセレバ……!!」

  アリアス
 「ナゼオレノ紙袋ニ、木根尚登カラノ不幸ノ手紙ガ!!」

  アリアス
 「『貴殿を日米グラサン親善大使に任命す〜木根尚登&バブルガムブラザーズ&ルクプル(夫)』ト書カレタ封書ガ紙袋ニ!! ッテユーカ、別ニオレ、イツモグラサン掛ケテネーシ!!」

  アリアス
 「ナンダッテ! ワイフガ横浜銀蝿ノライヴニ?!(早ク止メナイト…!!)」
 
  アリアス
 「ナント! グリコ森永事件ノ犯人ガアソコニ!!」

  アリアス
 「ヨシ! オレガ中田ニ引退シナイヨウ二説得シテクルカラ!!(ツイデニ前園モ!!)」

  アリアス
 「シマッタ!! EXILEノヴォーカルオーディション、今日デ締メ切リダッタ!!」
 

 
 ラクだな。このやり方。
posted by とんち番長 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツを観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月09日

終わりなき日常を生きるデブたちに学ぶ〜『04・8・7〜K-1 WORLD GP2004 in ラスベガス観戦記』

  曙VSルーファス.jpg

 デブ。またはデヴ。もしくはDEBU――。
 
 太った人物を表す言葉であるのは自明であるが、その語源の由来には様々な諸説があるという。

 デブの語源は、『Double Chin(二重あご)』が『デブちん』となり、『デブ』となったとする説や、『Death and Burst(死と爆発)』からとする説がある。
 『デブ』という名詞は、明治時代以降に使われ始めた言葉であるため、英語語源説は完全に否定できない。しかし、江戸時代に『でっぷり』や『でぶでぶ』という言葉が存在するため、『出っ張り』から派生した擬態語『でっぷり』や『でぶでぶ』が、名詞化されたと考えるのが妥当であろう。
 また、日本語説では『出不精(でぶしょう)』の略とする説もあるが、ただの俗説である。
『語源由来辞典』
 
 いずれにしても差別用語でしかない「デブ」という言葉。若輩者ながら、私も今までの人生の中で何人かの「デブ」と遭遇してきたが、実際の「デブ」当人は、食べるためにはおそらくはなんでもしてしまうのではないだろうかと思えてしまうほど食べ物に異常な執着を見せる。夏場はおろか、冬場に至っても自明の理であるかのように汗をダラダラと掻く。よって臭かったりもする。仕舞には何処でも寝たりする。かようにしてイビキもうるさい。そして、その動きはとてつもなくスローリーだ。
 
 なんでも筆者が訊いたところによると、世界のリーダー国アメリカでは、

 「デブの者は自己管理が出来ていない証拠であり、社会参加する資格などない」

 とまで言われているらしく、デブにまつわる話はとかくネガティヴなことばかりなのである。
 
 だがしかし、それでも私にはデブがとても愛らしく思えて仕方がない。
 
 そのゆったりとした立ち振る舞いは、

 「そんなにせかせかしてどうするんだ? もっと大らかにいこうじゃないか」

 という、他人のことなど顧みず我先と生き急ぐばかりである現代人への警鐘に思える。
 
 その一見みすぼらしく脂肪分の塊にしか見えない体躯は、

 「そんなに澄ましてどうするんだ? 所詮、人間なんて欲望の塊じゃないか」

 という、格好ばかりを気にしたり見かけだけの体裁に翻弄されている現代人への示唆にさえも私には思える。
 
 「いや、デブなんて百害あって一利なしだ」

 そう異論を唱える読者諸君。思い浮かべてみて欲しい。
 
 なんといってもデブが食べている時の笑顔、あれは最高ではないか。
 
 そう、この笑顔さえあれば必ず世界が平和になる。デブは社会に絶対的に必要なのだ――私はそう考えると、もうデブのことを全面肯定してしまうのである。
 
 なにより我が国家である日本は、世界中を見渡しても稀有の如く、デブにとてつもなく優しい国のはずだ。
 
 そう、日本の国技、大相撲である。

 デブなのに強い。強いのにデブ。チャンコを喰らうデブ。食べれば食べるほど強くなるデブ。なによりも、国民から賛辞され尊敬さえされるデブ。さらには年末年始のテレビ番組を見ればお分かりかと思うが、デブ、いや力士は、おそろしく芸達者なのに気付かされる。とにかく歌がやたら上手い。プロも形無しである。時には著名タレントのモノマネをしながら巧みに歌を披露する力士(デブ)さえもいる。
 しかし力士(デブ)は、どんなに熟練された芸を披露しようとも、奢ることなどなく、いつ何時もにこやかな笑みを絶やすことはない。そう、かような力士達(デブ達)と同じように、実のところ一部の例外を除いて大半のデブ達は、己の欲望に従い食物を貧欲に吸収しながら、持ち前の悠然とした気質を巧みに用い、我々が知らないところでマイペースに努力しているのだ。そこにはスピード主義・現代人の卑しさなど欠片もない。デブを侮ってはいけないのである。
 
 デブによるデブのためのデブの祭典・大相撲は、力士(デブ)の愛嬌に満ち溢れんばかりのオーラによって、他の格闘技で感じられるような異常なほどの殺伐感はなく、どこかゆったりと長閑な空気が流れているように思う。
 観客の大半としてやってきているお年寄りや子供も、そういった雰囲気を最大限に楽しむかのように、観戦するその表情は白熱・真剣ながらも隠すことなど出来るはずもない嬉々とした笑みが光り輝いている。勝者・敗者を讃えるのは勿論、ブーイングする者など、ついぞ見かけることはない。デブは世界に平和をもたらす。ビバ・デブ。グレート・デブ。
 
 昨日における第64代横綱・曙太郎、K−1・4連敗というニュース――。僭越ながら私もテレビで観戦した。大方の諸君と同様に、私も戦前から「もう曙ダメかな」と思っていたクチである。いや、もっというと「ていうか、そもそもあんなデブ勝てるわけねーじゃん」と身も蓋もないことさえ思っていた。
 だが、前言を撤回しよう。
 相変わらずノロい。パンチもほとんど当たりはしない。しかし、気づいた。なかなかにしてパンチ力があるではないか。そして、いくら打たれても倒れず、前進を決して止めることはなかった曙に、私は一抹の感動さえも覚えていたのだ。

 「(曙のパンチは)もっとストレートを出せれば、パワーはあるので効果的な攻撃になると思う。もっとパンチワークを頑張ってもらいたい。わたしはヘビー級の中でも軽い方なので足を使った戦い方になるが、もっと体が大きく動かない選手と戦えば、きっと上手くいくだろう」
 〜この日の対戦相手であり言わずもがな勝者となった米国出身キックボクサー、リック・ルーファス、試合後の弁〜 
 
 いみじくも彼のこの言葉こそが全てである。
 次回は同じデブでありながらやはりK−1選手として奮闘しているヤン“ザ・ジャイアント”ノルキアと拳を交えてみるのがいいだろう。現在7連敗中、言うまでもなく動きがノロい身の丈2メートル11センチのノッポ・デブだ。おそらく曙ならなんとか勝利を手中にすることが出来る相手であろうと思う。
 プロボクシングのチャンプという華々しい遍歴を引っさげK−1に参戦したバター・ビーンも、脂肪分200%のジューシー極まりないミラクル・デブだ。ここまでの戦歴は全く名崩れの1勝4敗(+総合格闘技戦1敗)。曙でも十分勝機があると思う。
 レスリング米国代表選手として96年のアトランタ五輪で見事銀メダルに輝いたマット・ガファリというデブに至っては、今をときめく小川直也と格闘技世界一決定戦との名目で02年、総合格闘技ルールによる決戦を果たし、未知なる強豪との戦前の評判を大いに覆すテクもスタミナもあったもんじゃないファイトを繰り広げ、最終的に小川のパンチが顔面にコツンと入ったため戦意喪失、結果1ラウンド1分56秒レフェリーストップという無残過ぎる大失態を犯した筋金入りの白ブタ、もとい白デブだ(現在はプロレスラーとして活躍中とのこと)。このデブこそが相手ならばさすがの曙も余裕の勝利であろう。
 
 こうなったらなんとしても曙を勝たせるため、マッチメーカーには是が日にも知恵を絞っていただきたいと切に願う私である。

 ここで私は昨夜のK−1放送を再度思い浮かべる――。
 
 たしか曙は、インタビューでこんなことを言っていた。

 「出場している選手もみんなそうだと思うけど、K−1選手として戦っている以上はチャンピオンになりたいし、その自信もある」

 あのね、そいつはムリだあ。そりゃあスモーはデブによるデブのための格闘技だけどもね、K−1(キックボクシング)はデブにゃあ到底ムリ。さっきも説明したとおり、妥協して同じようなデブ選手探せ、と。そんだったらたぶん勝てるんじゃねーの、と。それでもどーしてもチャンピオンになりたいってゆーんだったらね、せめて50キロは痩せやがれ、と。ほんとにダメだな、デブは――。
 
 日本の片隅で、ボノ(デブ)にさけぶ、私なのであった。
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