2009年11月10日

ほっこりしたい時には

 某宗教団体の信者で、同じく某宗教団体の信者で元女子体操かなんかの選手であった方と結婚寸前になりながら、女性の方が某宗教団体を脱会したために結局、結婚自体も破談になってしまったっていう、そんなような話題でひところ世間を賑わせた「テシガワラさん」のことを隙あらばいまだに思い出して半笑いになってしまうアタシなの。
 とくにつらいときなんかは、とりあえず「テシガワラさん」のことを思い出せば、もの凄くほっこりしてとてもいい感じになるわ。

 といっても、「テシガワラさん」個人にほっこりするんではなく、「テシガワラ」っていう名前ね。
 とにかく「テシガワラ」っていう、この語感にほっこりのポイントがあるんであって、仮に「あの方」が「テシガワラさん」でなく、「スズキさん」とか「ムラカミさん」とかだったとしたら、ほっこりはおろか、まるっきり思い出しもしなかったと断言できるわ。

 ちなみに、ほっこりできる名前の代表格としては、ほかにも「キタベップ」「チョーシュー」「シムラ」「ヨモギダ」などが挙げられるわね。試しに2ちゃんねるの芸スポ&ニュース速報+板に今日上がっていたスレッドのタイトルの一部を「キタベップ」にしてみたわ。こんな感じよ。

・キタベップ氏、新グループ立ち上げへ 離党も視野に
・【経済】「キタベップ国債」大増発で金利上昇 家計、企業にダメージも
・【グラビア】「胸がないから…」大事なところがこんにちは? キタベップがDVD「SWINUTION」発売記念イベントを行う
・キタベップ、口パクコンサートに豪州のファンが激怒! 百人以上が途中退席
・【海外芸能】キタベップの父親のキタベップさん、キタベップさんの遺産から月々135万円の手当の支給を要求

 どう? 
 なんだかほっこりするでしょ? 

 ちなみに「シムラ」に関しては、当然志村けんの存在が100パー影響しているのは言わずもがなであって、そういった意味では、「キタノ」も「モリタ」も「マツモト」もてんでダメ。少なくともお笑い界の名前ほっこり度にかけては「シムラ」の独走状態と言えるでしょうね。

 そんなわけで、相も変わらず頻繁に報道されている例ののりぴー関連のニュースをテレビなどで見聞きするたび、惜しいな、って気がしてしまうアタシなの。
 
 「タカソー」って語感がね、どうもソリッド過ぎるっていうか、無駄に重苦しい雰囲気を醸していていけないわ。重苦しい名前の人間が犯罪を起こしたら、当然社会全体も重苦しくなるに決まっているじゃない。

 「ダイソー」

 そう。
 あれを「タカソー」じゃなく「ダイソー」だったらって想像してほしいの。
 どうかしら? 
 
 ね。微妙にほっこりしつつ、100円ショップ的な、やっすーい感じになるでしょ? 

 えっ? 犯罪を安く感じてどうするって? 
 いいじゃない、どうせ深刻な話題なんて腐るほどあるんだから。
 芸能人のことを考えるときぐらい、安い感じで行きたいわね、って話。

 というか、いっそのことみんな「キタベップ」や「チョーシュー」になったらいいのに。それだけで、かなりほっこりした社会ができあがる気がしてならないアタシなの。

 とかなんとか言いつつ、他人の名前で自分がほっこりするのはいいけど、自分の名前で他人にほっこりされるのはなんだか嫌なんだけどね。
 まったく不思議な話ね。
posted by とんち番長 at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

俺が読みたいブログ

 傑作漫画『サルでも描けるまんが教室』の著者のおひとりである竹熊健太郎先生が、自身のブログ上で「人気ブログ」について考察された記事をアップされており(→)、早速一読してみたところ、これがなかなかにためになる内容で面白かった。

 竹熊先生曰く、まずブログの世界で4番目にアクセスを集めるのは

 「面白い記事を書く人」

 だという。
 
 とにかく笑えるとか、読んでためになるとかが基本とのことだ。

 続いて、3番目にアクセスを集めるのが

 「まめに更新する人」
 
 らしいが、これはパチンコ屋の光景を思い浮かべればわかりやすい、と思った。

 というのは、パチンコというのは基本的に台の中央にある数字の列を回転させなければ話にならず、なので、数字の列を回転させるための穴に玉がよく入る台を多く拵えているパチンコ屋には大勢の客がやって来るわけであり、逆に、数字の列を回転させる穴に玉がなかなか入らない台を多く拵えているパチンコ屋には当然客も寄りつかない、と、つまりはそういうことだ。

 と、ここまで親切に説明してあげているにもかかわらず、

 「いや、そんなふうに書かれても、自分はパチンコはやったことがないのでよくわからない」

 という輩に関しては、さすがにこれ以上説明するのは面倒なので、自分でパチンコ雑誌を熟読するなどして研究するか、もしくは、じっさいにパチンコを打ちに店のほうに行ってほしい。そして、その際大当たりしたら、どうかお金を恵んでほしい。

 で、竹熊先生のブログのほうに話を戻すと、2番目にアクセスを集めるのは
 
 「著名人」
 
 とのことで、たしかに、自分が興味を持っている著名人がブログをやっていたら、たとえたいしたことが書かれてなくともついつい頻繁に覗きに行ってしまうというものだし、ましてや、それが有名な「しょこたん」という人のブログのように、
 
 “元々売れっ子の芸能人で、なおかつ可愛い子ちゃんのオタクでもあり、しかも、そんな可愛らしい自分のリアルタイムの姿が掲載された記事を一日70回とか更新している所に人が来ないわけがない”

 などといったようなことも先生はおっしゃっているが、なるほどそれも納得だ。

 で、最終的に一番にアクセスを集める人はどんな輩であると竹熊先生はおっしゃっているのかと言えば、ズバリそれは

 「面白くてためになる記事を毎日3回以上更新し、著名人で自分の写真をバカバカ載せる可愛い子ちゃんのオタク」

 とのことで、なるほど、と、じつに納得したのは、

 「ひどくつまらないうえになんの得にもならない記事を大体2週間に一回程度、ひどいときには一ヶ月以上も放置し、無名のダメ人間で自分の写真を載せる必要が一切ないイカ臭さ満点の包茎男子」

 である俺のブログには人がまったく寄り付かないからである。

 本当に、人気ブログを作るのは大変だ。

 と思う今日この頃なわけだが、まあとりあえず自分のブログの問題は棚に上げて、もし人類の歴史に名の残している偉人がブログをやっていたとしたら、果たしてどんな感じであったろうか、という想像をしてみるのも楽しい。

 たとえば、戦国時代の覇者・織田信長がブログをやっていたらどうか。

 信長ブログの書き出しは毎回決まっている。こうだ。

 「儂が信長じゃ」

 そりゃそうだ、信長なんだから。

 と、誰しもが思うところだが、思いつつ同時に、えも言われぬ堂々たる迫力が感じられる気がするのは、やはり戦国時代の覇者たる所以か。

 なにはともあれ、信長のブログだが、

 「ついに義元(今川)を討ち取った也 」(記事タイトル:『桶狭間の戦い』)

 だの、

 「火縄銃の扱い方についてじゃが、儂の右に出る者はおらんのじゃ」(記事タイトル:『泣かぬなら殺してしまえホトトギス』)

 だの、さすが戦国時代の覇者らしく男気溢れる語り口のその文章と、ハリウッドの娯楽映画にも一歩も引けを取らぬ壮絶きわまりない日常について綴られた内容がウケて、あっという間にヤフートピックスにも頻繁に取り上げられるほどの超人気ブログとなるだろう。

 が、そんな戦国時代並びにブログ界の覇者たる信長もやはり人の子、ときにはこんな弱気な一面もブログの中で赤裸々に告白したりする。

 「思うに猿(※儂註→秀吉のことね。元・木下藤吉郎って言ったほうがみんなもわかりやすいかな?)って、子供時分には儂のわらじを知らないうちに胸元で温めてくれてたり、いろんな奉公やら戦やらを率先して引き受けてくれたり、じつに素晴らしい奴じゃ。それに比べて光秀(※儂註→無論、明智のことで或る)じゃが、あれはどうも好かん。というか、ぶっちゃけ、なにか良からぬことを奴は考えているような気がするのじゃが、読者の皆様はどう思われようか」

 そんな信長の告白に対して読者の声も様々だ。

 「いや、信長さんには悪いっすけど、光秀さんはそこまで悪い人じゃないと思いますよ」

 「あ? なに言ってんだお前? 信長さんの言うとおりだろ。信長さんのことをたいして知りもしないニワカのくせにテキトーなことぬかすなボケが」

 などといった具合に、コメント欄も爆発的な賑わいを見せることになるだろう。
 しまいには

 「VIP板から来ますた」

 といったふうな、騒ぎを聞きつけ面白半分でやってきた野次馬読者からのコメントも相次ぎ、結局ブログは、自身の最期と同様、炎上することになる。

 ブログのタイトルは『信長の野望』。
 後に信長を主役に添えたシュミレーションゲームが制作されたが、そのソフトのタイトルをここから拝借したのはあまりには有名な話だ。

 また、ロック・リスナーとしては、かつてのロック・スターがブログをやっている様を想像するのも楽しいものだ。

 たとえば、もしジミヘンがブログをやってたら、こんな感じであろうか。

 「なんでも日本だと僕の名前は“ジミ(地味)”“ヘン(変)”っていう意味になるらしいね! 「変」っていうのはアーティストとして褒め言葉になるけど、「地味」はちょっと心外かな?!(;_;)ともあれ、来週はいよいよモントレー・ポップ・フェスティヴァルに出演! メンバー全員で力を合わせて一生懸命演奏するよグッド(上向き矢印) 日本にもいつか必ず行くので、楽しみに待っててね(^▽^)/では。Jimi」

 まさか顔文字&絵文字連発とは、ギターの革命児なる異名も形無しだ。

 ガチャピンだってやっているぐらいなんだから、人間以外の生物がブログをやっている様を想像したって全然おかしくないだろう。

 平成の怪物ホース、オグリキャップのブログの書き出しはこんな感じだ。

 「ちわーっす☆ オグリでーす!!!!」

 そんなブログ、あったら読みたい。
posted by とんち番長 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

まだケツが痛い

 発症から既に4日ほど経つが、ケツの痛みが(※尾てい骨のあたり。痔、ではない)一向におさまる気配がなく、つらい。

 というか、日を追うごとにむしろ痛みが増している。
 ような気がする。

 医者にケツを見られたくないので、もちろん病院に行くつもりはさらさらないが、せめて患部にエアーサロンパスを吹きかければ少しはマシになるのではないか、と迷っている。
 
 問題は、尾てい骨に向かって一ミリもずらさずにエアーサロンパスを吹きかけなければならない、ということで、万が一ポイントがずれて、金玉及び肛門付近にエアーサロンパスが付着したら、金玉及び肛門周辺がスースーし、結果的に今以上の危機的状況に陥ってしまうことだ。

 「ここ一ヶ月間の疲労の皺寄せか、先日から尾てい骨あたりに痛みを感じるようになったので、患部に向かってエアーサロンパスを吹きかけたのだが、誤まって金玉及び肛門付近にもエアーサロンパスが付着してしまい、結果的によりひどい状況に陥ってしまった。とにかく、尾てい骨が痛いうえに、金玉及び肛門付近がスースーしてかなわない。なので、今日は仕事を休ませてほしい」

 だなんて、とてもじゃないが言えない。

 なんてな感じで、ケツのことを考えるたびひどく落ち込む日々を送っているが、落ち込むと言えば、世界的な経済の落ち込みようは相当なものだと言われている。

 具体的には、物が売れない。
 つまり、商売が成立しない、ということで、商売が成立しなければ、当然、世の中に金が流通せず、その結果、経済が潤わない。大変だ。

 では、この危機的状況を打開するためにはどうすればいいか。

 まあ、それは経済アナリストだとか有名霊媒師だとか、それ相応の専門家に相談するのが一番手っ取り早いのだろうが、俺的にもっとも効果的だと思う打開策がないではない。

 つまり、「○○似の店員がいる店」を多くの企業が展開すればよい、と俺は思う。

 ちなみに、○○の部分には、芸能人やスポーツ選手など、各界の著名人が入る。もちろん、○○に入る著名人は日本人に限らないし、マンガのキャラクターなんかでも全然OKだ。

 具体的な例を挙げよう。

 以前、しょっちゅう通っていた古本屋にラーメンマンによく似た店員のおっさんがいた。
 まあ、じっさいはラーメンマンというより、つり目で長髪の単なる太ったおっさんだったが、とりあえずラーメンマンにしといたほうが面白いので、まあ、そういうことにしておいた。

 で、もちろん、しょっちゅう通っていたのは古本屋に通うのが俺の日課だからというのがあるが、それ以上に、ラーメンマンによく似た店員のおっさんを見たいという欲望が俺の中にあったこともたしかなのである。

 ちなみに、ラーメンマンによく似た店員のおっさんだが、現在はなぜか店から姿を消し、長らく行方不明の状態が続いている。きっとモンゴルに行っていてそのうちモンゴルマンとなって帰ってくるのだろうが、ともあれ、以降、俺がその古本屋にほとんど足を運ばなくなってしまったのは書くまでもないだろう。

 もちろん、いま挙げた例は俺個人に限った話ではない。

 「とにかく有名な人と触れ合いたい。出来れば本人がいいが、まあ、この際、似ている輩でもかまわないから、触れ合いたい!」

 と誰しもが思っているはずだ。

 その証拠に、物真似タレントがショーをするパブみたいなのが巷でかなりの賑わいを見せているというではないか。

 ようするにあれも、

 「ニセモノでもなんでもいいから、とりあえず有名な人と触れ合いたい」

 という人々の欲望の表れなのである。

・吉田栄作似の皿洗いのバイトがいるバーミヤン
・天龍源一郎似のカリスマ美容師がいる美容院
・周富徳似の店員がいるジーンズメイト
・モーガン・フリーマン似の店員がいるローソン
・阿修羅マン似の板前がいる寿司屋

 とりあえず例としていくつか挙げてみたが、誰もが思わず足を向けたくなったことと思う。

 この未曾有の経済不況を打開するためにも、会社を経営している偉い方々にはぜひとも検討していただきたいものだ。


 ともあれ、正直、そんなことはどうでもいいほどにケツが痛く、まあそれにしても、こんなことを書いて本当になんになるのだろうか。
posted by とんち番長 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

疲労

 ケツが痛い。
 
 痔、ではない。
 具体的に言えば、尾てい骨のあたりが痛い。

 痔は、なったことはないのでよく知らないが、たしか、尻の穴がヒリヒリとかジクジクとか、なんかそんなような感じで痛い。イコール痔。

 であったはずで、であるから、症状的にいえば、俺は、痔、ではない。

 ここ一ヶ月ほど、ひじょうに慌しい日々を送っており、どうも、その皺寄せが尾てい骨のほうに来ているらしい。

 歩いているときも多少痛いが、とくに夜、眠るときに仰向けに寝っ転がり、布団に尾てい骨が触れた瞬間が、かなり痛い。

 とはいえ、いまのところ、病院に行くつもりはない。
 ほっときゃ自然に治るだろうし、第一、万が一、医者にケツを見せなきゃならない事態になったら嫌だからだ。

 にしても、疲労でケツが痛くなるとは。はじめて知った。

 まあしかし、これも不幸中の幸いだ。
 ケツが痛い程度で済んで良かった、と思わねば。

 これが

 「金玉が痛い」

 であったら最悪だ。

 疲労で金玉が痛くなるなんて有り得るのかと、甚だ疑問に思うが、絶対にないとは言いきれない。

 上にも書いたとおり、俺はいま、ケツが痛い。
 正直、つらい。

 しかし、別の言い方をすれば、たかがケツの痛みだ。ケツが痛いだのなんて、そんなのほっときゃ自然に治るだろうし、最悪、取り返しのつかない事態となり、結果として手術で尾てい骨を取り外すようなハメになったとしても、まあなんとか生きていけるだろう。

 が、金玉はこうはいかない。

 なにしろ、金玉が痛かったら不安だ。
 
 ケツみたく、ほっときゃ治るだろ、なんて大きく構えてなんか、とてもじゃないがいられない。最悪、金玉を取り外すようなハメになろうものなら、間違いなく、発狂するはずだ。金玉なしの生活なんて考えられない。

 となると、即刻病院に行ったほうが良い、ということになるが、ここでも大きな問題が発生する。

 つまり、病院に行くのだから、当然、外科だか内科だかの医者に向かって

 「金玉が痛い」

 と言わねばならない。

 言えない。そんな大それたセリフ、とてもじゃないが言えそうにない。

 しかも、医者というのは職業上、患者の症状を詳しく訊かねばならないわけで、となると当然、患者であるこちら側は具体的な症状を話さねばならなくなってくる。

 つまり、

 「ここ一ヶ月ちかく、慌しい日々を送っていたせいで疲労が溜まったためか、どうも金玉が痛い。とくに左の玉が痛い。おとついからズキンズキンとした痛みが止まらない。どうやら熱もあるようだ。なんとか治してほしい」

 とかなんとか、言わねばならない。
 
 で、まあ、なんやかんやあって、とりあえず医者に金玉を直接診てもらうことになるのだろう。念には念を入れて、レントゲンも撮ってもらい、それを医者と一緒に真剣ににらめっこ、ということにもなるのだろう。
 いずれにしても、じつにマヌケな絵面だ。最悪である。

 ああ、そう考えると、ケツが痛い程度で本当に良かった。

 
 と、いいかげん更新が滞っていたのでとりあえず書いてみたが、こんなことを書いてはたしてなんになるのだろうか。
posted by とんち番長 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月14日

またブックオフ

 連日の寒波が嘘のように本日はTシャツ一枚で過ごせるほど清々しい陽気であったわけで、春だ、花粉だ、ブックオフだ、などといった勢いで、相変わらず、気がつきゃブックオフに足を運んでいる。

 ま、しかし、ここまでひんぱんにブックオフに行ってどうしたこうしたと書いてるんだから、まあ、読んでいる人がいるのかわかりませんが、仮にいるとして、テレビでラーメンを食うシーンを見てラーメン屋に行きたくなるのと同じ理屈でもって、俺のブログを読んでじっさいにブックオフに足を運んだ人だって多少なりとも存在するはずで、そろそろブックオフから感謝状のひとつでも貰わねばわりに合わんな、と本気で思い始めている春うららかな今日この頃。

 で、ブックオフといえば、まあ、このブログを読んでいる人がいるのかどうかはわかりませんが、仮にいるとして、例の無駄なほどに元気いっぱいの接客を行う店員をイメージする人がやはり読者諸兄の中にも多いのではないでしょうか、と問いかけつつ話を進めますと、我が住まいたる町のふたつ隣の駅に立ち構えるブックオフ。
 ここの店員の一人がとにかく異様に声のとおりがいいのである。

 まあ、読んでいる人がいるのかさっぱりわからないが、仮にいるとして、威勢のいいがなり声を響かせているアメ横のおっちゃんらの光景をイメージしてくださりますれば読者諸兄もわかりやすいかもしれない。

 とにかく、あんなような、半径50メートルぐらい離れていてもはっきりと認識できそうなほどの、ひじょうに「とおる声」の持ち主なのであって、で、これがとても困る。

 もちろん困るのは、

 「いらっしゃいませ(異様にとおる声で)」

 などと彼が店内で声を発するたびに、商品を物色中である俺の意識が遮断されることだ。

 「ありがとうございました(異様にとおる声で)」

 「なにかいらないCDや本がございましたら、ぜひ当店のほうまで……(異様にとおる声で)」

 とにかく「彼」の声ばかりに気がいって全然買い物に集中できないのである。

 それだけならまだいいが、次第に意識が朦朧とまでしてきて、結果、絶対にいらない女子十二楽坊のCDや、おなじく絶対にいらない『竜也 いまの俺』などというタイトルの藤原竜也の写真集を思わずレジに持っていってしまったことは一度や二度の話ではない。
 嘘。
 
 でも、絶対にいらなかったチャゲ&飛鳥のカラオケCDを今日思わず購入してしまったのは、きっと、あの「異様にとおる声」の店員のせいに違いない。

 ブックオフの「異様にとおる声」の店員は危険だ。
タグ:ブックオフ
posted by とんち番長 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

うまい棒

 昨日、ブックオフで買い物をしたら、新年かなにかのキャンペーンだったらしく、くじを引くことになった。

 言われるがまま差し出された箱の中から4枚引くと、それを確認した店員が鐘を鳴らした。
 
 「おめでとうございます! 当たりです!」
 
 とのことで、手渡されたのが商品の割引券とうまい棒だった。

 うまい棒(たこやき味)一本である。

 しかも、とくに袋に入れるわけでもなく、そのまんま手渡しなのである。
 
 まぬけ。

 大のおとながうまい棒一本片手にブックオフの店内でただずんでいるような状況は、どう考えてもまぬけだ。たとえうまい棒を手渡されたのが田村正和やジェロム・レ・バンナだったとしても、まぬけな状況であることになんら変わりはないのである。

 というか、なんでうまい棒なのか。
 大のおとながうまい棒(たこやき味)を一本貰って喜ぶと思ったのか。
 
 いや、だからといって、「高級フカヒレ3食分」だの、「セブ島3泊4日の旅」だの、そんなような、なんだか豪華なやつをよこせと言うつもりはさらさらない。ブックオフにそこまで求めてどうするという話だからだ。
 
 ただ、じっさい、DVDを買いに行ったところに、いきなり、うまい棒を一本手渡されたら困るぞ。

 やっぱり一本というのがいけないと思う。
 一本では、やった、当たったぞ、という感じがどうもしない。
 せめて3本だろう。
 
 あと、味も選ばせるべきではないか。たこやき味も嫌いじゃないが、どちらかというとサラミ味が好きなのだ、俺は。

 しかし、よくよく考えたら、うまい棒で良かったのかもしれない。
 もしこれがうまい棒一本でなく古タイヤ一本だったとしたら、悲惨きわまりなかったはずだ。つーか邪魔だ。ただでさえ狭い部屋がますます狭くなるではないか。

 では3本だったらいいのかというと、当たりまえだがますます邪魔だ。もはや部屋には足の踏み場もなくなってしまうだろうし、といって、それがセブ島に捨てられていた古タイヤ3本だったとしてもおそらく喜べないのは、やはり邪魔であることになんら変わりはないからだ。

 ああ、うまい棒で良かった。

 みたいなことを考えつつ、帰宅後、当たったうまい棒を食った。
 うまかった。
posted by とんち番長 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

車の「自己アピール」に翻弄される

 車に関して俺はことごとく無知だ。

 高校に上がり免許が取れる時期が近づいてくると、仲間内でにわかに車の話題が振られるようになるのは男子のいわば宿命であろう。続々と振られる車関係の話題にいちいちうなづいたりなんかしていた俺だが、正直話の90パーセントはワケワカメだった。

 免許を所持してからかなりの時間が経過した現在にしてもそれは同様で、具体的な車種名やらなにやらを言われてもさっぱりわけがわからない。

 車種名ではないが、たとえば「ステーションワゴン」というものがあり、「ワゴン」というのは、まあ、なんとなく意味はわかるが、しかし、「ステーション」というのはあれのどのあたりを指して「ステーション」であるのか、車無知な俺にはよくわからないし、あと、前々から疑問に思っていたのが「スポーツカー」というやつで、あれら車のどこがどう「スポーツ」であるのかもまったくもって意味不明だ。

 で、かろうじて知識にある代表的な車種が「ベンツ」であるが、「かっこいい」などと思ったことはとくになく、俺にとっては「なんかやたら角ばったやつ」でしかない。

 とにかく、車のことはよく知らないし、興味も持てないのだから、仕方がない。

 そんな車部外者の俺だが、それにしても、車の、えーっと、なんていうの? 
 「リア周り」? 
 ようするに車体の後方部分のことであるが、あれがどうやらとんでもない状況になっているらしいということに最近気づいた。
 
 あれは「自己アピール」のつもりなのだろうか。

 たとえば、主に商業車の場合だが、リア周りに

 「□□運送」

 だの、

 「△△引越しセンター」

 だのという文面を掲げ、自社の社名を大々的に「アピール」している光景は当たりまえのように目撃される。
 これはよくわかるし、じっさいある程度の宣伝効果があるのだろう。

 また、
 
 「安全運転宣言カー」

 だの
 
 「低ガスクリーン車」

 だの、そんなような文面入りのステッカーをリア周りに貼り付けた車もよく見かけられ、それを「アピール」したところでなんの効果をもたらすのかはよくわからないが、それでも言わんとすることはまあ理解できる。

 が、さらに一般の乗用車によく見られる光景で、

 「CHILD IN CAR」

 だのと口を大きくして(かどうか知らないが)「アピール」しているものになると、これが一気にわからなくなってくる。

 「子供が乗ってます」

 という意味であろうことはもちろんわかる。
 それはわかるが、だからなんなのか。

 「子供がビックリするんで、私の車に向かって極力クラクションは鳴らさないでください」

 ということなのか。
 あるいは、

 「アメ、あげてください。子供に」

 「喜ぶんで」ということなのだろうか。

 どちらにしても、したところで同乗している子供らがなんの恩恵も受けていないだろうことは間違いないと思う。

 あと、

 「熊出没注意」

 というのもいまだによく見かけるが、なんだか「フォー」だの「○○ですからあ! 残念!」だのといった一昔前のギャグを得意満面かまされているようで、ひどく悲しい気分になってしまうのは俺だけだろうか。
 そういえば巨人のラミレスがホームランを打った際、いまだにカメラに向かって「ゲッツ」をやっているが、あれもなんだかとても悲しい。

 ここはやはり例の不倫騒動のみそぎとして、
 
 「もう流行ってないから、それ。やめたほうがいいよ」

 と二岡が言ってあげるべきだと思う。

 「誰か・見てるぞ」

 だのという文面の、目のイラスト入りのステッカーを貼った乗用車も、意味がさっぱりわからなかった。
 車上荒らしに対する「警告」という意味での「アピール」なのだろうが、

 「む。誰かに見られてるのか。やべえやべえ。今日はズラかるとしよう」

 なんておずおずと引き下がるような人間がいるのかという話だ。
 そんな奴はそもそも車上荒らしなんか計画しないのではないか。

 かと思えば、ステッカーを8つだか9つだかリア周りに貼った「アピール過剰」な車にこないだ遭遇し、さすがに全部は覚えきれなかったが、その内確認できたのが

 「I LOVE FISHING」
 「Hawaii94」
 「シャネルのロゴマーク」


 この3つである。

 つまり、大の釣り好きで、94年ごろのハワイになんらかの思入れがある、シャネルを愛してやまないドライバー氏だ。
 だからなんなのだ。

 ちなみに、今までに遭遇した「アピール」でもっとも意味がわからなかったのが

 「英二、夢をありがとう」

 だ。

 「夢をありがとう」て。
 いきなり感謝されても困るではないか。

 まあ俺にではなく、「英二」に感謝しているのだろうが、それにしても「英二」ってどこのどいつだ。
posted by とんち番長 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

PV(邦楽編)

 というわけでPV邦楽編であるが、先日エントリの洋楽編における、ある程度知識を持った人が見たらあまりに芸がないと思われるであろうあの選曲はいかがなものか、という気がしないでもないが、しかしあれは評価されてしかるべきPVは当然しかるべき評価がされるべきだ、という趣旨で執り行ったからあのような選曲になったわけであり、というようなわけでそういうわけなのでございます。橋田壽賀子でございます。

 で、早速、先日の洋楽のときと同じように秀逸邦楽PV10点を選出しようしたところ、まあ困った。
 所有しているDVDやYouTubeなどで思いつくかぎりのPVをあらためて見直してみたが、それなりにいいと思えるものはあるものの、何度観ても面白いものとなると、これがほとんどない。

 まあ全然なくはないので、だったら誰に強制されたわけでもないので数を減らせばいいのだが、とはいえここは10というキリのいい数字になんだかこだわりたりたくもあり、が、そうはいってもないものはやっぱりなくて、困る。

 そんなこんなで試行錯誤した挙句、どうにか10点選んでみた。

@スーパーカー「LAST SCENE」

スーパーカーのPVにはCG技術をふんだんに駆使したいかにも「アートしている」モノが少なくないが、あれらはどうも退屈にしか感じられない。が、「LUCKY」や「BE」や「WHITE SURF style 5.」、あるいは本作のように毒やユーモアを織り込んでいるPVはとても面白くて良い。とくに、本PVにおける「泥酔オヤジの舞い」は一見の価値アリ。「まさかこんな絵で感動するとは」と、なんだか目から鱗が落ちたような格好だ。それにしても楽曲の内容、あるいはこのバンドのスタイルからしてもそうだが、けっして「オモシロ」なPVに仕上げる必要がないはずなのになぜにここまでやるか、と考えてみるに、PVの制作はバンドにとってちょっとした息抜きのような効果が働いていたのかもしれない。などと、もっともらしいことを言ってみた。

Aフィッシュマンズ「ナイトクルージング」

幻想的な映像をバックにメンバーの3人がほとんど飛んだり跳ねたりしているだけの作品なのだが、なぜだかとても良い。陳腐な結論になってしまうが、たぶんこの「ナイトクルージング」という楽曲が(と同時にフィッシュマンズの音楽全体が)醸す「ゆらゆらとした空虚感」が映像作品として過不足なく表現されているからなのだろう。と、またもやもっともらしいことを言ってみた。

Bhide with Spread Beaver「ROKET DIVE」

かなり前に『ミュージックマガジン』という雑誌で「日本のミュージック・ヴィデオのトップランナーはヒデと布袋である」などというようなことを音楽ライターの方が書かれていたが、あれには激しく同意した。布袋に関して真面目に語るのは今の俺には難しいが、ヒデの映像作品はあらためて観直してもそのクオリティの高さに驚く。ヴィジュアル系なるスタイルを提唱したのはヒデだったわけだが、それは世界でも屈指な我が国のデジタル技術をサウンド並びに映像面に反映させたオリジナルな世界を確立することにあったのではないかと、これらの映像作品を観て思う。

C宇多田ヒカル「TRAVELING」

優れた曲だからといって、むろん優れたPVが作りやすいわけではない。むしろ優れた曲だからこそ、その世界観を壊さないために映像作家は細心の注意を払うのだ。と思う。ここ10年の日本の音楽シーンにおけるもっとも重要な楽曲のひとつであろう本曲のPVは、すこぶるポップかつカラフルであり、しかも躍動感にあふれていて、そのうえ寂しげな味わい深さもしっかりと映像で表現されている。いかにもカネがかかった感じながら鼻につくような「アート臭」がまったくしないのが嬉しい。宇多田ヒカルのPVには優れたモノが多いが、その中でも現時点で最高峰に位置するのがこのPVだろう。

Dゆらゆら帝国「夜行性の生き物3匹」

もの凄いインパクトである。ひょっとこの面を被った3人の人物がただただ阿波踊りを繰り広げるという、徹底的にマヌケな映像がとにかく素晴らしい。しかも、それらが途中で増殖したり、「怒りの面」に変わったりする無意味な絵を「いちいち気が利いた」カメラワークで撮り続けていく妙技などはある意味、感動的ですらある。本PVが2004年SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDSの「ベスト・オルタナティブ・ビデオ」の栄冠に輝いたのには、渋谷陽一先生やピーター・バラカン先生ならずとも誰しもが納得することであろう。

Eエレファントカシマシ「笑顔の未来へ」

「無骨」や「拙さ」がある意味での音楽的な魅力にもなっている稀有なバンドがエレカシである。で、そういった「無骨」であったり「拙い」部分はPV作品の方にもよく表れているのだが、はっきり言ってそれらのほとんどは単に「無骨」で「拙い」だけで、正直あまりいい出来とはいえない。しかし、このPVはいい。じつにいい。映像的にとくに凝ったところはないものの、宮本浩次のキャラクターを意外な形で生かしたこのうえなくチャーミングな作品である。

FINU「メシ喰うな」
町田康がかつて在籍していたパンク・バンドのPVであり、以前、YouTubeで町田康関連の映像を閲覧していたときに発見した。テレビのフィットネス番組を強烈に茶化した内容で、この曲が収録された同タイトルのアルバムが発表されたのは81年だから、当然同じ時期に制作されたはずであり、こんなパンクでアナーキーでとんちの利いたPVが20年以上も前に作られていたとはと、心底驚愕した。そんな興味深い作品をなぜここに載せてないかというと、残念ながら現在はYouTubeから削除されてしまったみたいだからで、むろん俺のせいではない。

Gノリアキ「UNSTOPPABLE」

ご存知世界初のひきこもりラッパー、ノリアキの作品。で、「ご存知」と今書いたわけだが、正直なところどれだけの人間がノリアキのことを認知しているのかのはむろんよく知らないし、ついでに申せば「世界初のひきこもりラッパー」という部分はたしか本人が名乗っていたと思うが、それが本当に正しいのかどうかはやはりまったく知らない。そんな知らないだらけのノリアキのPVだが、本作が「ある意味素晴らしい」ことは間違いなく、リリースからどれぐらい経っているのか当然知らないが、とりあえず今観てもその魅力は一ミリも色褪せてはいない、と、よく知らないなりに思う。

H藤波辰巳「マッチョドラゴン」

漫画家の松本零士と現在法廷で係争中のドラゴンこと藤波辰巳。なんでも近々発売されるという写真集の撮影のため都内某所のスタジオを訪れたドラゴンだったが、なぜかカメラマンとしてやってきた松本零士に初対面でいきなり「君、射精しなさい」と言われたことがドラゴンの逆鱗に触れ、現在の泥沼状態へと発展してしまったらしい。むろん嘘だが、それにしても気になるのが、ヴィデオを撮っているときに「オレ、なにやってるんだろう?」とか、そういう人としての率直な疑問がドラゴンの内には湧かなかったのだろうか、ということで、それ以外にも、後ろで踊っている女たちは何者なのか、今この者らはなにをやっているのか、後悔はしていないか、というかこの曲を作ったこと自体がそもそも「間違い」であるのに、そのうえなぜPVまでも作ったのか、誰か止めてくれる人はいなかったのか、等、気になることはとかく多いが、気にしたところでなんの得にもならないので注意していただきたいものである。

I藤波辰巳「ドラゴン体操」

実行した者はいずれも、咳、のどの痛み、鼻水、鼻づまり、発熱、悪寒、倦怠感、頭痛、嘔吐、下痢、腹痛等を引き起こすとされる悪魔の体操「ドラゴン体操」。風邪によく似た症状から発症した場合は風邪薬の服用が良いとされているが、すべての人間に効果があるわけではないらしく、特効薬の早急な開発が待ち望まれている。むろん嘘だが、しかしながらこのヴィデオで流れている音楽がドラゴン体操であることはどうやら間違いないらしい。それにしても気になるのがヴィデオの中でドラゴンが着用しているピンクのトレーナーで、でかでかとプリントされている動物らしきブサイクな生物は猫なのか、犬なのか、はたまたキツネかなにかなのか、というかどこで購入したものなのか、あるいは手作りなのか、それ以外にも、途中のセリフの部分で声とドラゴンの口元がまったく合ってないことや、ドラゴンと一緒に体操している子供らは今なにをやっているのか、後悔はしていないか、この曲を作曲した者はどんな人物なのか、そもそも誰かこのヴィデオを作ることを止めてくれる人間はいなかったのか、等、気になることはとかく多いが、あんまり気にしたらそれこそ病気になってしまうので注意していただきたいものである。

 
 なんてな感じで、結局最後のほうはふざけてしまったが、誰が読んでいるわけでもないだろうからとくに反省はしていない。
posted by とんち番長 at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

PV(洋楽編)

 ザ・ベスト・オブ
ザ・ベスト・オブ

 先ごろ購入したレディオヘッドのPV集『THE BEST OF』を観賞。
 良い。素晴らしい。
 
 PVのほとんどはこれまで何度も観たものだったが、バンドの音楽性の変化と共にPVのほうも独自の発想・形式が表現されたモノへと進化していく、そういう過程が一気に観賞できるわけで、じつに見ごたえがあった。

 国内でこれだけのクオリティのPVを発表しているミュージシャンとなるとなかなか思い浮かばない。

 英米のマーケットに比べ予算の面で苦しい、という事情もあるのだろうが、洋モノPVのあからさまなパクりが横行しているのを見るに、優れた映像作家が圧倒的に不足していることがなにより大きいのだと思う。

 前々から思っていたことだが、音楽関係のテレビにしても雑誌にしても、PVについてもっと積極的に取り上げていい。まあ、MTV JAPANなんかでは本家のMTVと同じように、その年の優れたPVを表彰したりしているらしいが、一般的な認知度はまだまだ低いし、音楽誌にしたって年間のベスト・アルバムは発表するが、ベストPVとなるとたぶんほとんどの雑誌は取り上げていないだろう。

 面白いPVは、何度観ても面白い。

 優れたミュージシャンや楽曲についてあれだけ口を大きくして賞賛するなら、優れたPVだって当然同等の価値観でもって語られるべきだ。優れたPVが脚光を浴び、有能な映像作家が然るべき評価を受けることで、後進の映像作家が円滑に育成される環境が整えられれば、結果としてマーケットの活性化に繋がるはずで、第一、これじゃあ今現在頑張ってPVの制作をしている映像作家たちも浮かばれないだろうと、これからどんどん暑くなってくるであろう日々をいかにやりすごすかということで頭が一杯で、正直PVとかそれどころではないが、なんとなく思う。

 というわけで、PVの価値意識向上普及という意味合いを込め、勢いついでに個人的に秀逸だと思う洋楽PVを10点選出してみた。

@RADIOHEAD「STREET SPIRIT(FADE OUT)」

何度観ても面白いPVとはまさに本作のことであり、じっさい本PVが収録されたべつのソフトをすでに所持していて、それで今まで何度も観たわけだが、やはり本DVD観賞時においても何度も繰り返して観てしまった。モノクロ画面に浮かぶひたすらに美しい官能的なスローモーション映像に、ただただ圧倒されるばかり。素晴らしい。紛うことなき傑作。

ABLUR「THE UNIVERSAL」

秀逸PV群を世に発表しつづけているレディオヘッドとタメを張れる存在といえば、同じ英国のロック・バンド、ブラーが思い浮かぶ。どのPVも見所充分で選択に迷うが、涙をこらえてあえて選ぶなら、95年発表のPV『THE UNIVERSAL』を。俺が大好きな映画『時計じかけのオレンジ』をモチーフにした、目も眩むほどの極彩色が広がるスタイリッシュこのうえない映像美に、何度観ても酔いしれてしまう。楽曲自体素晴らしいのも当然のことながら、そのうえ画面に映るメンバー4者のルックスも抜群というのだから、断じてゲイではない俺はもとより、おそらく誰しもがこのPVを見れば当時のバンドの婦女子からの絶大な人気っぷりに納得できるに違いない。

BOASIS「D’YOU KNOW WHAT I MEAN?」
 
レディオヘッドやブラーのPVが秀作ぞろいであるのに、彼らと同世代の英国大物ロック・バンドであるオアシスのPVはやたら凡作が目立つ。「PV作りはひたすら退屈だね。オレ様ってのはミュージシャンであり俳優じゃねえんだから、カメラの前で演技なんてできねえのさ」みたいな、たしかそういうような趣旨のことを、眉毛が繋がったヴォーカリストの弟だか、同じように眉毛が繋がったギター&ヴォーカルでメイン・ソングライターでもある兄だかが以前、言っていたように記憶するが、そういったPVへの消極的な姿勢があのような形で出てしまっているのだろう。まあ、それでも『WONDERWALL』や『DON’T LOOK BACK IN ANGER』等、個人的に好きなPVは少ないながらもあるが、とりわけ97年発表の本PVに対しては思入れ深いものがある。当時は音楽シーン的にオアシスバブルがピークに達していたときで、なにかとてつもないことが始まる(始まっている)予感、有無を言わせぬような尋常ならざるエネルギーが画面の隅々にとぐろを巻くように充満していて、まあようするに、なんだかものすげえ、ということだ。今秋には新作がリリースされるらしいが、新曲、そしてPVのほうもこれぐらい気合の入った作品になっていることを強く望む。

CPULP『DISCO2000』

うん、ま、言うほど優れたPVじゃないと反論されればたしかにごもっともですと返答するつもりですが、当時毎週欠かさず見ていた『BEAT UK』という洋楽専門のテレビ番組でしょっちょうオンエアされていたころの淡い記憶が蘇る思い出のPVということで。パルプ再評価の願いも込め、ぜひ。

DROBERT MILES「CHILDREN」

ロバート・マイルズという、今はなにしているかよくわからないミュージシャンのPVで、当時何週にも渡ってUKチャートの首位をゲットしていた曲であり、これも『BEAT UK』でしょっちゅうオンエアされていた。ちなみに『踊る大走査線』の劇中でこれによく似た曲がかかっていたが、あれはあきらかにこの曲のパクリだろう(違ってたらスンマセーン)。

EEELS「NOVOCAINE FOR THE SOUL」

ミュージシャンが宙を舞いながらパフォーマンスを行う、などというアイデアなんて誰もが考えつくはずだが、いざやろうと思っても費用や労力面の負担が甚大であろうことは容易に想像できるわけで、じっさい件のごときPVは、ありそうでほとんどない。と思う。本作はそういった困難な作業を豊かな発想力と粘り強い忍耐力でもって実現せしめた大作であり、発表から12年を経た今でも大いなる驚きと新鮮さに満ちあふれている。

FWEEZER「BUDDY HOLLY」
 
メンバー自身も幼いころに見ていたというアメリカのホームドラマをもとにした、もの凄く手間ひまがかかったであろう作品。ドラマとバンドの演奏シーンを巧みに合成させたキュートでプリティな筋書きで、ゆるくてほのぼのとした調子がとてもいい。

GUNKLE「RABBIT IN YOUR HEADLIGHTS」

やはりこのPVは外せない。トンネル内で何台もの車に轢かれ続けながらそれでも懸命に歩を進める浮浪者風の男が、ついには突っ込んできた車を逆に木っ端微塵に吹っ飛ばすという驚きの結末で、その衝撃的な内容にフランスなどでは放送禁止指定されているらしい。もう本当に何度も観てるが、何度観ても面白い。

HAUDIOSLAVE「COCHIS」

大量の花火が豪快に咲き乱れるなか熱いパフォーマンスを繰り広げるバンドの面々。膨大なエネルギーと幻想的な美を閉じ込めたショットも最初から最後まで完璧そのもので、爽快このうえない気分になろうというものだ。

ITHE CHEMICAL BROTHERS「LET FOREVER BE」
 
北朝鮮のマスゲームを見ているような、偏執的なまでに計算されつくした均整美に誰しもが目が釘付けになるだろう。ケミカル・ブラザーズのPVでは、同じ監督によって撮られた『STAR GUITAR』も同じように素晴らしい。

(※おまけ「世界でいちばんダサいPV」
 

 
 まだまだあるような気がするが、とりあえず以上。
 気が向いたら邦楽編をアップするかもしれない。
posted by とんち番長 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

「鼻毛トリマー」に萎える

 「スチュワーデス」という呼称が「キャビンアテンデント」なるものにいつのまにやら成り代わっていることを、つい最近、知ったわけで、ああ、俺は本当に時代についていけてない男だなあ、と改めて実感した。

 で、そういえば、と思い出したのは、「看護婦」や「助産婦」といった呼称も、何年だか前に「看護士」「助産士」などという呼び名に変更されたということで、たしか女性差別に繋がるとかそういう理由だったように記憶しているが、べつにそこまで神経質になることもないのでは、と思いつつ、しかしまあ時代の流れとして仕方のないことなのだろう、と一方で思う。

 言葉に対して敏感にならざるを得ない時代。

 そんなことを徒然なるままに考えてしまったのは、先日、テレビの通販番組を見たからで、というのは、その番組で紹介されていた「鼻毛トリマー」なる呼称の商品に、僕自身、強烈な違和感を覚えたからである。

 「鼻毛トリマー」

 よくよく考えればじつにぞんざいな呼称である。
 「トリマー」はまあいいとして、

 「鼻毛」
 
 これはありえない。

 言葉に多大な神経を遣わなければならない時代において、「鼻毛」という言葉はあまりにもダイレクトかつ剥き出し感満載でデリカシーがなさすぎじゃないか。

 まあ、おやじなんぞはとくに気にはしないだろうが、一方では鼻毛が育ち盛りな乙女だって当然いるわけで、そんな鼻毛が育ち過ぎて困っている乙女が

 「スイマセーン! 今やってた鼻毛トリマーっていうやつ、欲しいんですけど!」

 などと電話越しのオペレーターに注文するなんて、よっぽど恥知らぬな乙女以外、まず無理だと思う。

 「ノーズヘアートリマー」

 どうだろうか。
 単に英語にしただけだが、これなら鼻毛が育ってやまない乙女も

 「スンマセーン! ノーズヘアートリマーくださーい!」

 と、なんら躊躇せず注文できるのではないだろうか。

 「ウルフ由伸」

 なんていうのも良いかもしれない。

 「あっ。カナちゃん、ウルフ由伸出てるよ」

 と万一ボーフレンドから指摘されたとしても、ものが「ウルフ」なだけに、なんだかよくわからないがさほど傷つかないような気がする。

 で、こうやって考えると、是正すべき呼称はまだまだ一杯あるようだ。

 たとえば、「うんこ」という呼称もやはり今の時代にはそぐわないのではないだろうか。

 「愛のバクダン」

 ファニーな感じで良いと思う。

 「あっ。ごめん、……愛のバクダン、落っことしちゃった(←「漏らした」の意)」

 というふうにオフィスで隣のデスクに座っている同僚から告白されたら、まあ笑って済ませてやろうじゃないか、という気になろうというものである。

 「ハゲ」

 これも、そういった特徴を持った男性に対する差別に繋がるのでよろしくない。

 「荒鷲」

 むしろ積極的にハゲたいとすら思う。

 「包茎」→「HO-K」
 「短小」→「スモール・ベースボール」
 「ワキガ」→「野菜ソムリエ」
 「童貞」→「ハイパーメディアクリエイター」
 「デブ」→「エネルギー」
 「デブニート」→「エネルギー充電中」
 「タンポン」→「おたまじゃくしちゃん」
 「金玉」→「元気玉」
 「まんこ」→「スターシップ・トゥルーパーズ」

 まだまだ色々あるような気がするが、なにはともあれ、こんなくだらないことを一生懸命考えている自分はやはり早急に死ぬべきだと思った。
posted by とんち番長 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月06日

あなたのこだわりをオレは何に例えよう

 言うまでもなく現在社会はこだわりでできているものだ。

 たとえばサラリーマンだったら出世と給料にこだわり、セールスマンは自社の商品を売ることにとことんこだわる。
 犯人逮捕へ執拗にこだわる刑事があれば、重篤の患者を命がけで救おうとする医師のこだわりっぷりといったらない。
 難解きわまる公式を並みはずれた頭脳でこだわり約す数学者がある一方、数学者のように難解きわまる公式をこだわり約さないかわりに、食へのこだわりのためなら実の息子との関係が険悪になるのさえ厭わぬ、そんな陶芸家兼書家兼美食家のこだわりの美学を愚かであるなぞと、いったい誰が言えるというのだろう。

 あたかも「こだわりの大海原」がごとき世の中だが、ではそんな中でもとくにこだわりに溢れた職業とはいったいなんぞや、と問うたらば、誰しもが真っ先に思い浮かべるのはラーメン屋の親父ではないだろうか。

 「ラーメンの王様」
 「ラァメン家 69‘N' ROLL ONE」
 「ラーメン荘 夢を語れ」
 「創作麺工房 MIST」
 「なんつッ亭」
 「頑者」
 「哲学堂」
 
 と、まず店の名前からして親父の並々ならぬこだわりようが窺い知れる。

 といって肝心のラーメンのほうをおろそかにしていたらそれこそ本末転倒モノだが、さすがこだわりが売りのラーメン屋の親父らしく、そこらへんも一切のぬかりはない。

 ラーメンといえばとりあえず麺。当然親父は、まずそれは太麺がよいか、もしくは細麺のほうがよいかとこだわり、そのうえでそれはスープの旨みを濃縮する効能のあるちぢれ麺タイプのほうががよろしいか、いやいやのどごしの良さを強調する直線タイプのほうがよろしかろうと徹底的なこだわりを見せる。

 スープにしてもそれは同様だ。
 
 醤油。味噌。塩。とんこつ。魚介系。

 ラーメンたる食物にはとかく様々なタイプのスープがあるものだが、たとえば醤油ならばあっさり系、もしくはこってり系と旺盛にこだわり、かと思えば味噌は味噌で、

 「ウチはコクを重視した津軽産の味噌だね」

 とそのこだわりぶりを声高に主張する親父がある一方、

 「いや、オレん店はあっさりとした口当たりがウリの信州産味噌でやってくよ」

 などとこだわり返す親父の表情もなにやら自信たっぷりといった風情である。
 ここまで言えば、あとの塩、とんこつ、魚介系についてはわざわざ説明する必要もないだろう。

 さらにラーメンは、チャーシュー、ネギ、メンマ、ナルト、卵など具材が様々にあることもよく知られているが、当然ながらこれらひとつひとつの具材に対する親父のこだわりっぷりも半端ではない。

 脂身がたっぷり付いたチャーシューにこだわり尽くす親父に対して、薄く切ったチャーシューにこだわりを示す親父。その傍らで、普通に茹でたやつだ、いや燻製だと、卵への貪欲なるこだわりを隠しきれない親父が得意げに微笑む。また中には「素ラーメン」と称した、スープと刻みネギ程度のほとんど具の無いラーメンで意表をついたこだわりを見せつける親父も存在するらしいというのだから驚くばかりだ。

 しかしこんな程度のこだわりで驚いているようでは、こだわりの帝王たるとうの親父からそれこそ鼻で笑われてしまうだろう。

 親父のこだわりは宇宙をも越える。

 というのは、味、具材に対してこれほどまでにこだわってやまない親父なのであり、そのこだわり意識がドンブリ鉢や蓮華といった食器類のほうへ行くのも無理からぬ話だからである。

 黒や白、あるいは赤といったオーソドックスな色のドンブリ鉢をこだわり愛す親父があれば、どういう意図があるのかよくわからないが、無色透明のドンブリ鉢という信じられない代物にこだわりの真髄を見いだす親父だっているだろう。となれば当然、黒、白、赤の王道タイプの蓮華にこだわる親父への宣戦布告とばかりに、だいだい、あずき、山吹といった斬新な色の蓮華で新しい時代の幕開けを意気軒昂と表明するパンクなこだわり親父がいるだろうことは想像に難くない。

 こんな風にラーメン屋の親父のこだわりっぷりは、それはもう、凄まじいものであり、まあラーメン屋というのはなにぶん競争が激しい業種だろうから、かようなまでのこだわりがなければそうそう生き残ってはいかれないのだろう。

 本当に、頭が下がる。
 ああオレ、ラーメン屋じゃなくてよかったなあ。

 なんてなことを考えていた昨年末、そんなこだわりのチャンプといえるラーメン屋の親父すら越える驚愕すべきこだわりを見せつける輩に出くわした。

 その日、俺は、湾岸道路(国道357)へ車で入ろうと、対角線上の赤信号で信号待ちをしていた。車あるいはバイクの免許をお持ちのかたならおかわりいただけるだろうが、この湾岸道路というのは、神奈川県から千葉県までを結ぶほとんど一直線のような道路であり、普通の一般道よりも信号が少ないため、当然ここを往来する車両は比較的スピードを出す傾向にあるわけで、まあようするにひじょうに大掛かりなというか、「ほとんど高速」といっていい道路なのである。

 で、そこに入ろうと信号待ちをしていたら、目の前の車道、つまり湾岸道路を凄まじい勢いでペダルを漕ぎながら駆け抜けていく自転車の親父と、その自転車の親父が車道を走っているため、なかなか前のほうに行けず、親父に向かって猛烈な勢いでクラクションを鳴らしているトラック、さらにその後方で渋滞状態にある大勢の車両が右から左へ通り過ぎていった。

 驚いた。
 
 というのも、こんな光景を目撃するなど、当然ながら思ってもみなかったからだが、しかしそれ以上に驚いたのが、自転車で目の前を駆け抜けていく親父の「譲ってなるものか」みたいなというか、親父の鬼のようなその形相に一切の妥協が見られなかったからである。

 ああ……この親父、一切どく気がねえ。

 で、信号を青に変わったので奴らを追いかけるような形で湾岸道路に入ったら、数十メートル先の道路の端っこのところで車両から降りた親父とトラックのあんちゃんが

 「テメエ、なにやってんだオヤジ!」
 「うるせえ馬鹿野郎!」

 みたいな感じでもの凄く言い争っていた。

 結局、そのまま通り過ぎてしまったのでことの顛末はわからないが、それにしても自転車の親父はなぜあんな無茶なことをしでかしたのだろう。
 おそらく、どうしてもあそこを自転車で走らなければならないこだわりが親父にはあったのではないか。

 まあいずれにせよ、そこにどんなこだわりがあったかは俺にわかるはずがない。
 ただ、あの親父が悪いということだけはわかった。
posted by とんち番長 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

日本のサングラス事情

 どうにも気になって仕方がないのが、夜中にサングラスをかけて街中をほっつき歩いている輩である。
 
 やめないか。あれ。グラサンかけんの。
 というか、絶対にやめたほうがいいと思う。
 
 たとえば『ロッキー4』だ。

 栄華をきわめた現役生活を終え悠々自適の生活を送るロッキー。そんなロッキーの元に突如、ドラゴという名のソ連の新鋭ボクサーが挑戦状を叩きつける。
 が、現在の幸せな生活に満足しているロッキーはドラゴとの対戦をやんわりと拒否。
 そこに登場するのがロッキーの長年のライバルかつ無二の親友のアポロ・グリードであり、彼がロッキーの変わりにこのドラゴと拳を交えるという話になるわけだが、逆に無残にもドラゴにボコボコにされてしまう。

 「大丈夫かアポロ?!」
 「しっかりするんだアポロ!!」

 と緊迫しているところで場面はいきなり転換、ロッキーをはじめアポロゆかりの人々が喪服にサングラス姿という出で立ちでアポロの葬儀に参列する画が突如として映し出されるシーン。

 いや葬式にグラサンかよ!

 まあ、これには笑った。
 
 いや、むろん、とうのアメリカ人からしたら、こんなのは至って通常の画であり、取り立てて笑うシーンではあるまい。というか、むしろロッキーの友であるアポロの死を悲しむべきシーンであるに違いなく、第一、ロッキーで観客を笑わせる必要などないに決まっているじゃないか。

 なんでもアメリカ人とか青い眼球を持つ人種は、我々日本人のような眼球が黒い人種に比べて紫外線にとても弱く、そのためにサングラスは必要不可欠であるという話を以前どこかで訊いたか読んだりかしたことがあって、そのときはなるほどなあと思った。

 「ああ、だから葬式にグラサンはアリなのね」と。

 つまり、そういう深刻かつナイーヴな事情があるからこそ、アメリカだとかイギリスだとかいう国は世界に名だたるサングラス大国としてその地位を揺るぎないものにしているのだ(たぶん)、と、そういうことなわけだ。

 翻って日本はどうかというと、ことサングラスにかけては紛れもない後進国である。
 
 以前、ウィキペディアで調べ物をしていたところ、吉川晃司のページに辿り着いたのでなんとなく読んでいたら、かつて某アイドルの葬式に出席したとき、先述の『ロッキー4』のシーンと同様の喪服にサングラスという出で立ちで参上したためもの凄く怒られたというエピソードが掲載されていたが、これなんかはその最たる例だろう。 
 
 もちろん、とうの吉川某からしたらそこに悪意などさらさらなく、いつものポリシーというか、要するに自分はあくまでも

 「ロック・スター=グラサン」

 という根底の部分を貫いたに過ぎなかったのだろう。まあ、もしかしたらなんらかの深刻な事情があってかけていたのかもしれないが、たとえそうであったとしても

 「グラサン=かっこつけ」

 というイメージが一般的な日本という国において吉川某のとった一連の行動は、あまりにも無茶でデンジャラスなものだったと言わざるを得ない。

 じっさい我々の国はサングラスに対してことごとく冷たい。
 たとえ夏場の猛烈に日が照っているときであろうとサングラスをかけた人間を見ると、「ああ、こいつかっこつけてるなあ」と思う。
 ではとうの本人はかっこつけているつもりはないかというと、多分にしてかっこつけている。

 「いや、そんなことはないよ」

 とは言わせない。

 なぜならそういう日が照ってるときなんかは俺もかけたりするが、気持ち70ないし80パーセントは「ああ、俺かっこつけてるなあ」と正直思ってるからだ。

 つまり、「眩しい」より「かっこつけ」のほうがパーセンテージが高く、往々にして目的意識が逆なわけで、アメリカの人なんかのように「眼を保護してないとヤバイ」という大義名分があるわけでも、ましてやロックの発明国でもない日本でサングラスという文化は個人的な意識においても社会的な意識においてもひじょうに育ちづらい環境にあるわけだ。

 そんなサングラス稚魚とでも言うべき国でなにが葬式でグラサンか。夜中にグラサンか。

 いや。
 話が大袈裟になってしまった。

 つまり、結局のところ俺が言いたいのはこういうことだ。

 夜にクルマとかで走ってるとき道端で遭遇すると、なにしろ前が見えづらいだろうからいつ飛び出してくるかとこっちひやひやするもんで、頼むからそのグラサン、外して歩いてくれ。

 ロッキー4 (ベストヒット・セレクション)
 (↑噂の『ロッキー4』DVD。ちなみに、僕はテレビでやってるのを観たことしかないが、最後までちゃんと観たことは今まで一度もない)
posted by とんち番長 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

やってはいけない平仮名の使い方

 最近、R&Bミュージックにはまっている。
 
 平仮名で書くと、「あーるあんどびー」だ。
 そう。「りずむあんどぶるーす」。

 いや、R&Bってのは、いい。
 
 まず、リズム・セクションがいい。
 ベースとドラムスが肉感的に絡み合うこの上なくブリッブリなサウンドは、凄まじくファンキーであり、すこぶる気持ちがよろしい。

 コーラスも素晴らしい。
 じつに壮大かつ多彩であって、凝りに凝りまくって作られているのがよくわかる。

 そしてR&B歌手のみなさんは、たいへん歌が巧い。
 これがたとえばロックだったら、荒っぽさが売りのシンガーとか、ヘタだけど味のあるシンガーなんてのが往々にしていたりするが、R&Bシンガーの場合、どの人も「正真正銘のプロ」というか、ともかく文句のつけようのないほど歌が巧い、ということが絶対条件としてあるように思う。

 ただ、声が高い輩はちょっと苦手だ。
 先日、マライア・キャリーの一番新しいらしい『MIMI』というアルバムを中古CD屋で売っていたので買ったが、さすがに7オクターブ出るというだけあって異常なほどに声が高い。なにかこめかみのあたりに天龍チョップを食らわされているかのごとくキンキンきて、不快だ。

 一方、ローリン・ヒルはいい。
 ローリン女史の98年リリースのソロ・アルバム『Miseducation』のことであり、いやこれ、当時ラジオでヘビーローテーションされていた「Doo Wap(That Thing)」という曲をえらく気に入り、同曲が収録されているというこの『Mise〜』を購入、で、5回ほど通して聴いてみたものの「いや、なんか違うな」ということで、じつはそのままずっとCDラックの中にほっぽり投げたも同然の状態だったのだが、久々に聴き返してみたら、本当にいまさらながら、たいへん素晴らしい。
 なんだかまだよくわかってない部分もあるが、「これぞR&B」っていう気がする。ともかく名盤であろう。

 まあ、マライア女史にしても聴き込んでいくうちに、あの高すぎるとしか思えない声が気にならなくなるかもしれず、もっとうまくいけばすこぶる気に入るかもしれず、いずれにせよR&Bミュージックに興味が尽きない。
 そう。平仮名で書くと、「あーるあんどびーみゅーじっく」だ。

 ……って、あえて平仮名でしつこく書いてみたが、「いや、やっぱりこれはやっちゃいけないことだなあ」と改めて実感した。

 というのも、僕は当ブログのほかに、

 『とんちアルバム全曲レヴュー』

 なる己が所持しているCDを全曲まるごとレヴューするというブログを恐縮ながらもやらせてもらっているが、じつのところこのブログの名称は、ちょっと前まで

 『とんちアルバム全曲れびゅう』

 であったわけで、で、ふとある日、「いや、これってやっちゃいけないことなんじゃないか」ということに気づき、慌てて現在の名称に変更、そのまま「Diary Note」から「Seesaa」へブログ・サービスごと引っ越してきたという恥ずべき経緯があるのだった。

 いや、なんかやりたくなっちゃったのだ。「レヴュー」を「れびゅう」に。
 「レヴュー」じゃそのまま過ぎてつまらんだろうと、なんとなくやってしまったのだなあと、いまにして思う。

 もちろんこれが「間違った平仮名の使い方」であるというこはいまでは重々承知しており、なので「iPod」が「あいぽっど」だったり、「ブランキー・ジェット・シティ」が「ぶらんきい・じぇっと・してぃ」じゃなくて本当に良かったと思っているし、ましてや「福田総理」が「ふくだそーり」だの、「消費税」が「しょーひぜえい☆」であったりなどしたらもう牛刀片手に国会まで乗り込んでいただろうとすら思う。

 僕のようにブログのタイトルぐらいだったら、変更なり消去なりをいつでもできるので、まだ良い。これが店舗の名称とかだったりしたら、ことはそう簡単に運ばないだろう。
 
 つまり、
 
 「ぱちんこ・まぐなむ」
 
 やら

 「ほびーしょっぷ木下」

 やら、そういう類の店のことだ。

 幸い、「ぱちんこ」にも「ほびーしょっぷ」にも殊更足を運ぶ理由がない生活を送っているが、たとえこれらのモノに関心があったとしても、店の名前が「ぱちんこ」だの「ほびーしょっぷ」である以上、絶対に僕は入店しないだろうし、たとえこれが「やっちゃいけないこと」であるということに、店主がしばらく経ってから気づいたとしても、既に看板を掲げてしまっている以上、店舗を全面的に改装するか、いっそのこと店ごと潰すしか道はあるまい。

 いずれにしても、気づいてからでは遅い。
 
 やりたい気持ちはわかるが、悪いことは言わないから、ともかく絶対によしておくことだ。
 あとでもの凄く恥ずかしくなるから。

 このテキストが、これからもちょくちょく現れるであろう「間違った平仮名を使う人」を少しでも未然に防ぐ結果となることを、心から願う。
posted by とんち番長 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

ダンプからのメッセージ

 トラック野郎.jpg

 車やバイクで公道を走っていると、ダンプカーと呼ばれる類の車には様々な「メッセージ」が溢れているのに気づかされる。

 「爆走天使」
 
 だの

 「浪速の韋駄天野郎」

 だの

 「大人の不良達」

 だの、そんなような「メッセージ」が記されたステッカーやプリントがボディーに貼られてあるダンプがしばしば目撃され、上記写真の(かなりピンボケしてて読みにくいが)

 「トラック野郎〜君の似顔をトラックに☆抱いて一緒に走りたい黒ハート

 などというメッセージに至っては、「はあ、そうですか。まあ、頑張ってください」と言うしかないわけだが、これってのはやっぱり、異性への自己アピールというか、つまるところ

 「こんなやんちゃなオレだけど、カノジョ募集中」

 ということなのであろう。

 そう考えると、

 「犬、ゆずってください(オス希望)」
 「おでんはじめました」
 「正解はCMのあとで!」
 「私の友人の友人はアルカイダ」

 みたいな「メッセージ」を掲げ走っているダンプはいまだかつてお目にかかったことがないわけで、上記の「メッセージ」同様にしばしば目撃される、荷台部分に工藤静香だの酒井法子だのの「絵」が豪快に描かれたいわゆるデコトラなぞは、まあさすがに今の時代に工藤静香や酒井法子が描かれたダンプはほとんど存在していないに違いなく、おそらく長澤まさみとかそういう感じの人らの「絵」が今は主流になっているものと思われるが、これなどは要するに

 「こういうふうな(工藤静香とか長澤まさみ似な)カノジョ、募集中」

 ってなことをダンプのドライバー氏は遠まわしにアピールしているわけだ(たぶん)。

 まあ、気持ちはわからないでもないし、じっさい一般的な職業で異性に対してここまでおおっぴらにアピールできる機会なんてそうはあるまい。女が欲しくてたまらない輩にとってはまさしく好都合な職業といえるだろうが、なんにせよ、ダンプのドライバーってのは、本当に面倒くさい奴らである。
posted by とんち番長 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

店員がフレンドリーだからって、いいことばかりではない

 こないだの日曜、久しぶりに服でも買おうかと渋谷の洋服屋へ行き、気に入った品があったのでそれを手に取りレジへ持っていったところ、

 「会員になるといくらか安くなりますよ」

 というので、手渡された用紙に必要事項を書き込んで店員に差し出すや否や、件の店員氏(男)からやおらにこんな言葉を掛けられた。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ」

 もちろん、この言葉に応対した僕の言葉はこうだ。

 「ああ、そうなんですか」

 だって、そう答えるしかないではないか。
 
 しかもその後のレジ作業に要する数分間、なんとも気まずい空気がもれなく付いてくるのだから、いよいよ困ってしまうしかないのである。

 いや、異性に対して過敏きわまる処女じゃあるまいし、

 「イヤ! アタシに声を掛けないで!」

 とかなんとか、店員氏にケチをつけたいわけではない。

 むしろこの東京コンクリートジャングル、たとえ一瞬とはいえ見知らぬ者同士で交わされる心と心の触れ合いじゃないか。温かくも貴重な交流じゃないか。

 そういうようなわけで、ショップの店員に対しては

 「交流オーライ! どっからでもかかってこいやあ!」

 が基本スタンスである僕であり、前述に出てきたような気前のいい店員さんには、これまでにも幾度か応対した経験があるものの、

 「あっ! ……時計、お揃いですね」
 
 だの

 「やっ! ……そのジーパン、いい色落ちしてますね」

 だの

 「ああ、そうですか」というふうにしか答えられない言葉を投げかけてくるのが大概であり、これはちょっといかがなものかと思う。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。これもなにかの縁ですね。早速、今から飲みにでも行きませんか?」

 いや、べつに僕はショップの店員と一杯ひっかけに行きたいわけではないのだが、おもいきってこうまで言ってくれたほうが、まだ応対の仕様があるというか、少なくともその後の作業の間、お互い気まずい思いをせずに済むような気がしないでもない。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。じつは今度、同じ誕生日同士の人間で合コンするんですけど、良かったら来ませんか?」

 いや、だから僕はなにもショップの店員を交えた合コンに参加したいわけではないのだが、いやまあ誘ってくれるのならとりあえず行かない理由はないが、ともあれ中途半端な言葉を投げかけられるよりも、こんな風に大胆に声をかけてくれたほうが答える側としても、なんというか、歯応えがあるし、たとえその誘いを断ったとしても(いや、だから断る理由はないが)、そのままお互い気持ちよく別れることが出来るのではなかろうか。

 「あっ! ……2月22日。やあ、僕も同じ誕生日なんですよ。ちなみに2月22日が誕生日の有名人はマリナーズにいた佐々木でしょ、それから元Winkのさっちんなんかもそうですね」

 まあ、言われなくても知ってるし、というか林家ペーかよという話なわけだが、こう言ってくれたほうがまだ話の広がりようがあるってものじゃないか。

 とはいえ、僕なんかはまだマシなほうだろう。

 以前、ビデオ屋に行った友人が、探しまくっていたというエロビデオをついに発見し、嬉々とした表情でそれをレジにいる店員に差し出したら、返す刀でこんなことを言われたというのだから、たまったものではない。

 「いや〜、よく見つけましたね、これ」

 どう答えればいいんだ!

 なにしろ買ってるモノがエロビデオなわけで、言ってみりゃ秘め事なわけで、腫れ物を触れるようにきわめて繊細にというか、むしろ「いるんだけど見えてない」みたいな対応をしてほしいわけであって、やたらフレンドリーなエロビデオ屋の店員というのも考えものである。
posted by とんち番長 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

マグロとスローモーション

 生きていれば誰しもが一度は「人生の一大事」というやつを経験することがあるだろうが、なぜその出来事を記憶から引っ張り起こそうとすると、決まって「スローモーションの映像」になってしまうのだろう。

 小学校に入学する直前の頃のことである。
 
 ある日、近所の友人と鬼ごっこをしていた僕は、あろうことかそのままの勢いで車道に飛び出し、走っていた車に撥ねられてしまった。
 もちろん、今となっては絶対にそんな無茶なことはしないが、当時まだまだ幼かった自分が交通ルールなど理解しているはずもなく、100パーセント僕の不注意により発生してしまった事故だった。
 
 結局、左眉の部分を少々負傷しただけで大事には至らなかったが、慌てた様子で車を急停車させるドライバー、心配そうに駆け寄ってくる近所のおばちゃん、呆然と見つめる友人、そして救急車に乗せられる自分……事故の瞬間の光景を思い起こすと、どういうわけかそれはスローモーションで動いている映像である。
 
 ちなみに、やはり小さいころ、危うく海で溺れかかったこともあったが、その瞬間を思い起こすと、その映像は同様にスローモーションで溺れかけている自分である。

 なぜかスローモーションなのである。
 そして、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるのだ。

 人生の一大事――友人にとってそれに該当するものは、「マグロ」だという。
 
 10年近く前のことである。
 その日彼は、久しぶりに再会したふたりの友人らと共に、酒を酌み交わしていた。
 なにしろ、久々の再会である。積もり積もった昔話や近況の話題で、3人が3人大盛り上がりだ。

 どれくらい時間が経っただろうか。気づいたら、友人2人が激しい口論を始めていた。

 口論のきっかけはよく覚えていないという。
 まあ、酒の席でのことだ。どうせ、

 「そういや、お前が高校のとき付き合ってたカノジョ。前々から言おうと思ってたけど、……あいつ、バケモンだったな」
 とか
 「ていうか、お前の鼻の下にあるそのでっけえホクロ、なんとかならねえのか」
 とか、そういうしょーもない話から発展していったのだろうが、とにもかくにも、これは大変だ。なおも激しく口論を続ける友人らを、彼は必死になって止めようとした。

 「馬鹿野郎!」
 「うるせえ! ぶっころすぞ!」

 その刹那だった。
 激昂した片方の友人が、マグロの刺身が大量に入ったプラスチックケースを勢いよくぶちまけた。酒のツマミにしようと、その友人が購入してきたものだった。

 激しい取っ組み合いをしている友人ら。
 とにかくなだめようと必死な自分。
 そして、その横で見事な放物線を描きながら宙を舞うマグロ。

 彼にとって、懐かしく、甘酸っぱくもあるその光景は、記憶の中でスローモーションがかっているせいもあり、どこかちょっとした美しさすら喚起させられるものがあるという。

 喧嘩をした2人が、その後から現在に至るまで、ただの一度も顔を合わせていないという事実を考えれば、これも紛れもない「人生の一大事」であろう。

 が、なんにせよ、マグロは嫌だ。
posted by とんち番長 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

最近流行(^^ゞの「魅力的な文章表現☆」について考えてみましたwwwww

 携帯電話やパソコンの普及により、日本語の文章表現は飛躍的に進歩した。
 
 いや、進歩したかどうか、本当のところはよくわからないし、正直どうなろうと知ったことではないが、ともあれ、ここ数年で人々がかつてないほどの斬新な文章を表現するようになったのは、間違いないだろう。

 たとえば、仲の良い友人やまたは恋人、あるいは母親だの父親、よしんば担任の先生や援交相手のオヤジとか、まあ誰でもかまわないが、とにかく仲の良い人物に

 「今日は楽しかったね」
 だの
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?」
 だの
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生をブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした」
 だの
 「あと一万くれたら、中出しアリだYO」
 だの、
 
 そんなような内容のメールを送ったとする。まあ、なんの工夫もない、至極ありふれた文章である。

 ところが、これらの文にいわゆる「顔文字」や「絵文字」「記号」をちょちょいと加えれば

 「今日は楽しかったね手(チョキ)
 「前々から思ってたんだけど、……パパってヅラ?wwwww」
 「こないだは酔った勢いとはいえ、つい先生のことブン殴ってしまい、申し訳ありませんでした\(^o^)/」
 「あと一万くれたら、中出しアリだYOグッド(上向き矢印)

 というふうに、たったこれだけの工夫をするだけで、あっという間になんだか魅力的に感じられる文章を表現することが可能になったというわけだ。

 中でも文章の語尾に「星」を付ける表現、これをはじめて「試した」人はいったい誰なのだろうか。僕自身、この表現方法をはじめて眼にしたときは、本当に感心した。

 「殺すぞ☆」
 「家、燃えた☆」
 「父危篤、スグカエレ☆」
 「シャコラー☆」
 「審判の判定は絶対や☆」
 「先日の裁判で死刑が確定しました☆」

 と、まあ、字面だけを追えばきわめて切迫した状況だが、このように言葉の最後にたったひとつ「☆」を付けるだけで、なんだか気持ち華やかな感じというか、「いやでも、そんな悲惨な状況じゃないかも」と思えてくるから不思議だ。

 いま、僕の手元に目薬についての説明書がある。先日、目薬を購入したとき、本体と一緒に封入されていたもので、そこには購入した目薬についての効能や使用上の注意等がつらつらと記されている。
 まあ、なんのひねりもないクソ面白くない文章だ。
 というか、目薬の説明書が面白い文章である必要などまったくないし、むしろ面白い文章だったらそれはそれでかなりダメなことになると思われ、とにもかくにも先ほどと同じように、この説明書の文章に「顔文字」「絵文字」「記号」等を加えてみるとこうなる。
 
 「コンタクトで目が乾いたり(笑)、装着による不快感\(^o^)/やゴロゴロとした異物感(T_T)を感じたりパンチ・・・・普段しっかり涙を守っている目も、コンタクトレンズやパソコンの使いすぎなどで目が乾いてくると(爆)、このような様々な不快症状(ニヤリ)だけでなく、ドライアイ状態により角膜表面に傷や黒ハート障害が野球起こる可能性があります(^^ゞ
 コンタクトをしたまま目のお手入れをしたい方バッド(下向き矢印)にぴったりなのが、涙液処方のアイボントローリグッド(上向き矢印)目薬ドライアイwwwww 角膜保護成分配合のとろみのある薬液が、涙の不足で乾きがちな角膜表面にじんわり広がって(*^_^*)、うるおい感たっぷり眠い(睡眠)に目の乾きを癒します☆」

 
 もう、本当に、なんて魅力的な文章なのだろう。「アイボントローリ」の「トローリ」の部分も後ろに矢印を付けただけで、気持ちトロミがアップしようというものだ。
 そして、こんなような文章表現がマジで企業などで活用されるようになれば、日本は確実に終わりである(爆)。
posted by とんち番長 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

店員さんの親切には困ってしまいます

 プリンシェイク.jpg

 普段生活していると、商店なり食べ物屋なりの店員さんがひどく親切なことに気づかされます。やれ「いらっしゃいませ」だの、「ありがとうございました」だの、「またお越しくださいませ」だの、プライベートの生活においてもきっと同じように親切なのだろうと思われる人も、あるいはどうやらそうではないっぽい人も、いざお店の店員という立場になれば、とてつもなく親切な人間になります。

 こう書くと大半の方がやはり、あの『ブックオフ』を思い浮かべるのではないでしょうか。
 
 以前、ごく短期間ではあったにせよブックオフで働いたことがある立場としてその内部事情をいくつか書かせていただきましたが、僕にとってブックオフの店員さんとは、良好な気分のときは

 「すいません。ちょっとお静かにしていただけませんか?」

 であり、

 険悪な気分のときは

 「うるせえよ馬鹿野郎」

 であるわけで、どちらにせよあまり心地良いものとはいえません。

 あと、飲み屋なんかで注文するたびに「ハイ、喜んで!」などといちいち言ってくるお店も苦手であったりします。

 「そうか。おぬし、喜んでいるのか。ぬはははは」

 みたいに江戸時代の大名のごとく豪快に振る舞ったりする人もきっといるのでしょうけど、僕の場合は「なにを大袈裟な」と思ってしまうのです。というか、ウザいです。申し訳ないとは思いつつも、どうも僕は過剰な親切にウンザリしてしまう体質のようなのです。

 そんな僕なので、これ見よがしにとばかりに過剰な親切を嫌というほど見せつけてくれる美容室なんかも苦手なわけで、かといって床屋で主人の世間話に付き合わされるのも嫌だし、なのでものの試しにと、最近町でよく見かける1000円ポッキリしか取らないという激安散髪屋、ここだったらいくらなんでも親切じゃねえだろう、というわけで行ってみたのです。

 で、これがかなりの驚きでした。

 主人の世間話や肩揉みはおろか洗髪さえも大胆に省かれているのが多少影響しているにせよ、なんせ美容室や床屋さんで30〜40分はかけて切られる僕の髪が激安のところだとわずか5分程度で仕上がってしまったのです。まあそれもそのはずで、普通の美容室や床屋の店員さんのハサミ捌きが「美女の乳首をやさしく愛撫するかのごとき」だったとしたら、激安店のそれは「ブスのマ○コを嫌々クンニするかのごとき」というか、要するに、ひどくぞんざいだったからなのですが。
 
 ともかく、普通のお店では考えられないペースで次々とお客さんの髪が切られていくので、なんだか養豚場でさばかれるのを待っているブタにでもなったような気分さえ味わえました。お世辞にもよろしい見栄えとはいえない仕上がりとなってしまいましたが、「僕なんて格好つけたってべつにもてるわけじゃないのだし、これでいいのだ」と思うようにしています。

 でも、これがバイク屋の場合になると話はかなり違ってきます。
 
 僕はそこそこ大きめのバイクを生意気にも持っていて、なので、当然たまにはバイク屋へ行ったりもするのですが、店員の方の態度がなんだか客を上から見下しているというか、

 「やい、てめえ。ここに来るくらいだから、バイクの知識は大方備わっているんだろうな」

 みたいな無言の圧力を感じるのは僕だけでしょうか。

 なんてなことをこないだ友人に話したら、「あ、俺も俺も!」と、もの凄い勢いで同意してくれました。
 幸いその友人はバイクに相当詳しいのでことなきを得ているみたいですが、僕はバイクに対して「便利な乗り物」という思い以上の特別な感情はほとんどないのでナメられっぱなしです。「いや、べつにナメてないよ」とあるいは人は言うのかもしれませんが、いずれにせよ、さすがにこれはどうにかして欲しいと切実に思う次第なのです。

 とはいえ、おそらくバイク屋の場合は例外中の例外で、お店のほとんどの店員さんはやはりみな一様に親切であり、それは素晴らしいことであるな、と僕は思う一方、でもやっぱり困ってしまうな、というのが正直なところであったりもします。
 
 ポッカさんが自動販売機などで売っている『プリンシェイク』という、「5回振ってから飲んでネ」なんていう言葉が缶の表面に書かれてあって、じっさいそのとおりにすると中のプリンが上手い具合に崩れておいしく飲める缶ジュースがあり、僕は大層気に入っているのですが、これだってひょっとしたら、自販機を管理している人があらかじめ5回振ってから機械のほうに入れてくれているのかもしれない。そう考えると、さすがにクールを決め込んでいる僕の顔にも自然と笑みがこぼれたりもするのですが。
posted by とんち番長 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

いつでも、どこでも、誰といようと、なにがあろうと、「ふざけたい」

 これは私がよく知っているS君にまつわる話である。

 2年ほど前のことだという。当時S君は、ある習い事の教室に通っていた。その日、初回となる授業を済ませたS君は、親睦を深めるためにと、その後に行われた受講生同士の飲みの席に参加することにした。

 先に書いたように、この日が授業の初日であり、前期からの継続で授業を受講している者らを除けば、ほぼすべての者らが初顔合わせである。であるので、飲みの席らしく和やかなムードが流れていたものの、その場にはちょっとしたぎこちない緊張感が否応なしに介在していた。

 そんな空気を知ってか知らずか、席に参加していたひとりの男が言葉を発した。

 「じゃあ、自己紹介しましょう!」

 それはそうだ。たしかにそうだ。みなが納得した表情を浮かべながら、自己紹介は始まった。

 「山田一郎といいます。27歳で、車のセールスマンをやっています。趣味はサーフィンです。よろしくお願いします――」

 隅の席に座っている者から順番に、効率よく、自己紹介は進んでいった。そして、何番目だったのかは知らないが、とにかくS君の順番となった。

 「え〜m.c.A.Tです。年は35歳くらいで、ミュージシャンやってます。もうすぐシングルCDが発売されるので、よかったらみなさん買ってください。よろしくお願いします――」

 「………………………」

 瞬時に静寂とした空気が流れた。しばし殺伐としたような、異様な沈黙が続く。

 約10秒後。

 「……さ、はい、次のひと、自己紹介お願いします」

 S君につっこむ者は誰もいなかった。まるで腫れ物に触るかのように、しかし何事もなかったように、「きわめて大人の対処」で、その後、自己紹介は続いてゆくのだった。

 そして、S君は落ち込んだ。

 S君は、いまでもこのときのことが忘れられないと私に話してくれた。この話、おしまい。

 冷静に考えれば、しごく当たりまえの話だと、誰もが思うだろう。つまらない。なんて、まあ、つまらない。くだらないことを言うにしても、なんというか、もっと面白い発言ができなかったのだろうか。おそらく、周囲の者らはみんなそう思っていただろうし、この話を書いている私だって同じである。

 というか――。それは、私だ。紛れもなく私のことだ、この話は。

 と、このように。このように、私は大の「ふざけたがり」だ。その場がどんなところであろうと、ふざけたい。その場に「まじめ」や「かしこまり」の空気がまんべんなく流れていると、もっと、ふざけたい。面白いとかつまらないとかはあまり問題ではない。いや、面白いほうがいいのはもちろんだが、「ふざけ」のスイッチが入ったが最後、頭にパッと思い浮かんだ言葉や行動でもって、ふざける。そして当たりまえだが、大概、場の空気を壊す。そういう日は、家に帰って、必ず後悔する。引きずる。ならやらなきゃいいのに。無駄。そんなこといっても無駄。「ふざけ」の衝動には決して抗えない私がいるからだ。

 ずっとそうだった。そうだ。俺はいつだって、ふざけていた。

 かなり子供の頃。家族でボーリングに行った私は、なにか醒めていた。ボーリングなんて玉を転がすだけじゃないか。まあ、玉を転がすのはいい。しかし、仮に俺が一番いい点数を出したとして、誰が得をするのだろう。俺か。俺はあまり嬉しくない。では、家族の者らか。違うと思う。ボーリング店の店長か。ありえない話だ。

 気づけば、私は隣の場所でカップルがプレーしているレーンに自分の玉を思いっきり転がしていた。

 ふざけた。親からめいっぱい叱られた。

 高校生時代のことだ。初めてのアルバイトをしようということになった。どこがいいだろう。レストラン。いい響きだ。どこがどういい響きなのかまるでわからないが、ともかく、面接に来いという話になった。

 「…えーっと、これはどういうことかな…?」

 私を面接した店員の言葉である。当たりまえだ。その履歴書の「特技」の欄には「やる気がないこと」と書かれてあったからだ。おまけに「スポーツ」の欄には「シャドーボクシング」と書かれてあった(さすがにここまではつっこんでくれなかったが)。ふざけた。ようするに。

 「わはは、おめぇおもしれえ奴っちゃなあ。よっしゃ! 採用!」

 それはマンガ。マンガでしかありえない話だ。

 家に帰ってその話をした母親に叱られた。後日レストランから断りの電話がかかってきたのは、いうまでもない。

 そののち就くことになったコンビ二のアルバイトでは、それなりの親しくさせていただける仲間ができたこともあり、「ふざけ」はいっそう加速していった。なぜかその時期「北別府」という苗字が面白く思えてたまらなかった私は、バイト仲間に「これからは俺のことを『北別府』と呼んでほしい」と懇願した。

 「北別府くん!」「北別府さん!」

 その日、一日のみだったが、念願叶い「北別府」となり、私は大満足だった。

 やはりその時期レイバンのサングラスが面白く思えてたまらなかった私は、一日でもいいからレイバンのサングラスをかけてコンビニで働きたいと真剣に思った。が、さすがにそれは諦めた(いまでも悔しくてたまらない)。

 パソコンをはじめて買った頃、チャットをやってみようという気になった。そこのホームページには、「10代」「20代」といった年齢別、「会社員」「OL」といった職業別、「映画」「音楽」といった趣味別等、さまざまなタイプのチャットルームが溢れていた。私は「60代」と記されたチャットルームに入室した。いうまでもなく、なんとなく面白いと思ったからだ。

 「キミ、なんてふざけたチャットネームをつけてるんだ!」

 当然60代の人なのだろう、先に入室していたその人に文字で叱られた。当たりまえだ。

 「BUKKOROSU」。これがチャットネームだった。軽いブラックジョークのつもりだった。

 「ごめんなさい」素直に謝る私。

 「うん、いいんだいいんだ、もっとちゃんとした名前をつけて入室しなおしてきなさい。みんなで待っててあげるから」

 「わかりました!」

 「BUKKOROSU.X」で再度入室。

 「なにやってんだあ!!」

 さっきの人に叱られた。

 「ごめんなさい」素直に謝る私。

 「うん、わかればいいんだ。今度はもっとちゃんとした名前で入ってくるようにね。みんなで待ってるよ」

 「わかりました!」

 「BUKKOROSU.Jr」で再度入室。

 「貴様ぁ!!」

 さっきの人に叱られた。

 そうだ。いつだってそうだった。もう私が生まれたこと自体、ふざけたことだったのかもしれない。そして、それはこれからも変わることはないのだろう。

 最後に「ふざけ」にまつわる、ある感動的な話を紹介したいと思う。

 やはり高校生の頃だ。私はいつものようにコンビ二のアルバイトに出勤していた。その日、関東地方は近年まれに見る大雪。私は原付バイクで出勤していた。ご存知のように、関東地方に大雪なんて滅多に降るものではなく、ようするに、私は雪をなめていた。

 無事バイトをこなしたその帰り道に事故は起こった。

 そこはヘドロが大量に浮き出た川沿いに走っている、かなり狭い道路だった。通りが比較的少ないこともあり、バイトの行き帰りによく利用していた道路だ。大雪で、視界がかなり不鮮明であるなかバイクで走っていると、前にある車が車庫に入れるため、道の中央でバックしていた。

 「や、やばい!」

 「ガッシャーン!」
 
 気づいたときには遅かった。

 無残にも変形してしまった原付。車のほうも軽くではあるが、リアの部分を損傷しているようだ。

 「あ〜あ……大丈夫、キミ…?」

 車から出てきたのは、40代ほどと思われる殿方。

 「…だ、大丈夫です……」

 両者共に怪我がないのが不幸中の幸いだった。

 「…とりあえず寒いし…家ん中入ろうか…」

 あたたかい家族の団欒の場に、その家の主人と高校生がひとり。まったく見知らぬもの同士。当然、会話が弾むはずもなかった。俺はいったいなにをやっているのだろう。

 「…とりあえず、ご両親を呼ぼうか…?」

 このような交通事故を初めて起こした私であり、ましてまだまだガキンチョであった私には、ことをどうしてよいものやらまるでわからなかった。このままでは埒があかない。たしかにそうだ。私は電話を借り、ことの顛末を両親に説明。10分ほどのち、父、母、そして一緒になってついてきたのだろう兄が乗った車が到着した。

 早速、「大人の話し合い」が始まった。「何キロ出してたんだ?」「ブレーキはかけたのか?」どうやら事故にあった主人、私の両親ともども、できれば「示談」というやつで済ませたいらしい。それから10分ほどのち、両親の知人で保険会社に勤務しているMおじさんが到着。すぐさま警察も到着した。警察官、Mおじさんがそこに加わり、「大人の話し合い」はいっそう過熱していった。それを呆然とした心持ちで見つめる私。

 かれこれ1時間ほど経った頃だろうか。話し合いは終了した。どうやら無事「示談」というやつで済んだようだ。

 「まあ、怪我がなくてよかった。これからは気をつけろよ」

 両親、Mおじさんに声をかけられる。私はほっとした安心感と面倒をかけてしまった申し訳なさで泣きそうになっていた。

 「お、なんだ。お前も来てたのか?」

 そのとき、傍らに佇む兄を発見したMおじさんが兄にそう声をかけた。

 そして、兄は言ったのだった。

 「や、俺、そこの川でちょうど泳いでたんだよ。で、『さあ、寒いし、そろそろ家に帰ろうか』って思ってたら上のほうで『ガシャーン!』ってでかい音がして、『なにが起こったんだ?』って思って上まで上がってきたら、ここで圭輔が事故ってたんだ」

 …俺、爆笑。気づけば、こらえてはいたが両親の顔にも隠しようもない笑みが浮かんでいたのを私は見逃さなかった。場の空気が一瞬にしてほぐれたのはいうまでもない。

 この人は、なんてかっこいいのだろう…。私はこのときから兄を尊敬のまなざしで見るようになるのだった。

 が。物事、そううまくはいかない。

 「ふざけるな!」

 Mおじさんだった。当たりまえだ。このMおじさんは、冗談がまるで通じない堅物な人としてよく知られていたからだ。

 私は実感した。そうだ、「ふざけ」の敵はいつだって「常識」なのだ。

 しかし、「常識」がないと「ふざけ」が成立しないのも当たりまえな話なわけで。

 人生ってほんと、むずかしいなあ。
posted by とんち番長 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

真冬のロマンチック

 本日はお日柄もよくなくとんでもなく年末な今日この頃であるが、皆々様も大いにお忙しいことと思われる。かくいう私は、それなりに忙しいながらも相変わらずグダグダでしょーもない毎日を送っておるわけだが、あ、下の方のエレカシとモーサムのライヴ・レポですけれども、それなりに頑張って書こうとしているのですがどーしても書けないのであって、ながらも、遅くとも年明けぐらいには書き上げるつもりで、しかしながらどうにも無理そうだったらもしかしたら諦めることになるかもしれませんですが、いずれにしてもどうか温かい目で見守って欲しいってどうやらどなたも気にしておられないようなので幸いだ。で、どうやらそれはあまり幸いでないと思ったりもした私なのであるが、年の末極まる街にはなんだか香ばしい方々がいっぱいのようだ。
 
 こないだの週末なのだが、新宿行ったんスよSHINJUKU。友人と待ち合わせでアルタ前へ。そんでアルタの目の前で信号待ちしておったのだが、なんかハタチぐらいのヤングな男子が私のほうに向かってガンガン直進してくるのであるこの寒空の下でなんかわからないけど上半身タンクトップ姿のヤングガイが。で、「うわっ、コイツやべえ」と思って瞬時に見て見ぬふりしながらさりげなく立ち居地を少しズレたのであるが、やっぱりガンガン向かってくるのである私のほうに。で、「うわっ、コイツほんとにやべえ。刺される…!」って固まってたら、

 「西口のバスターミナルって、ドコ?」
 
 タメ口。清々しいほどにタメ口。とりあえず早く解放して欲しかったのでテキトーに教えたら、ナイスヤングタンクトップガイは礼も言わず去っていった。とっても怖かった。
 
 あとあそこ、アレ、いますね。ずぅーーーっとドラム叩いてる人。なんか駅高架下の通路みたいなとこのすぐそばで、狂ったかのように「鬼的」なドラミングを披露されてらっしゃるかた。30ぐらいだと思う。男。私はたぶん土日か祝日の夜あるいは祝日の前の日の夜にしか遭遇したことはないと思うのだが、はたして平日の朝なんかにも叩いてらっしゃるのだろうか。それを目覚まし時計がわりに新宿区民の方々は起床されておられるのだろうか。そして、どれくらいの時間叩いてらっしゃるのだろうか。やはり以前待ち合わせしていたときには少なくとも30分は叩いてらっしゃったと思うし、わからないがもしかしたら1時間ぐらい叩かれてらっしゃるのかもしれない。あるいは、気分がのってるときなんかにはゆうに10時間ぐらいは叩いてらっしゃるのかもしれないし、それはYOSHIKIへのリスペクト精神を込めて叩いてらっしゃるのかもしれないし、もしくはルナシーのドラムでいつのまにか庶民派タレントに転身してるデブへの憤りを込めて叩いてらっしゃるのかもしれない。なんか既にクイックジャパンみたいなサブカルだかアングラ誌だかなんかで取り上げておられるような気もするし、そっち系界隈のあいだでは名が通ったかたかとも思われるが、いずれにせよ彼のバンドが売れてくれたら幸いだ。というかバンドなんてやってるのか知らないが、幸せを願うだけでも大事だ。オレンジレンジもそう歌ってたような気がする。たぶん歌ってないような気もする。
 
 また、その日は電車に乗ってかの地へ向かっていたのだが、私の真正面の座席に一人ですわっていた40ぐらいのオヤジがにやにやしながら「レディジョーカー」とかいう映画の特別招待券と記してあった2枚を封筒に入れたり出したり眺めたり眺めなかったりメガネかけてやっぱり眺めたり眺めなかったりしつつ時折「どーもどーも、でへへへ〜」と中空に向かって挨拶なされていた。おそらくかの映画を観るのを前々からひどく楽しみにしておられたのだろうし、きっとあのあと御夫婦で一緒に観に行かれたのだろう。あるいは、ことによると不倫相手かもしくは援交相手と観に行ったのかもしれないが、いずれにせよ幸せについて本気出して考えていただければ幸いだ。
 
 昨日は昨日で自転車に乗った小泉総理ふうのロマンスグレーな髪型をしたおかたをとある街で見かけたのだが、これが見事なまでのガングロ、いやもうそれは焦げつかんばかりの超ゴングロなお肌のおかただった。「えっ、ウィッキーさん?」と一瞬思ったのだが、もちろんウィッキーが自転車に乗っていたわけではなく、バリバリ和な50ぐらいのオヤジだった。なんか目が「本気」だったので、気付いてないふりして通り過ぎた。込み入った事情はよくわからないが、いずれにせよこれからもよりいっそう黒光りしていただければ幸いだ。
 
 そんな私は、先日ありえないことに便秘による強烈すぎる腹痛で失神寸前になり救急車を呼んでしまって、救急車に乗ったら乗ったで安心したのかまるで大丈夫になって、恥ずかしさと申し訳なさでうつむきながらもレントゲンを取っていただいたところ「だいぶフン詰まりですね」と言われて、女医に「とりあえず浣腸してく?(半笑い)」と有難いお言葉をいただいたが丁重にお断りし結局座薬をいただいて帰ったのだが、周りの方々から香ばしく思われていないかとても心配だ。
posted by とんち番長 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。