2009年04月27日

大人だって、でんぐり返りたい夜もある

 早いところでは既にゴールデンウィークに突入しているせいか、町中でやたらと子供を見かける。

 それにしても、道端で突然ひとりで喚き散らしたり、横断歩道をスキップしながら渡ったり、子供って面白い。

 大人だったらこうはいかない。

 道端で突然ひとりで喚き散らしたり、横断歩道をスキップしながら渡る大人は、まずいない。
 
 というか、そんな大人、嫌だ。
 じっさい、仮にいたとしても、救急車か警察を呼ばれるのが関の山だろう。

 そう。
 言い換えれば、道端で突然ひとりで喚き散らしたり、横断歩道をスキップしながら渡ったりできるのは子供の特権だ、と、そういうことなわけだ。

 なにせ、子供は自制心が利かない。

 というより、すべての行動が本能によって形作られている。
 いわば、本能の塊で出来た生き物。
 それが子供だ。

 しかし、大人だって例外がないではない。

 そう。
 酔っ払いである。

 道端で突然ひとりで喚き散らしたり、横断歩道をスキップしながら渡る酔っ払いなんて、いくらだっている。
 というか、むしろそれが普通だ。
 そればかりか、笑顔で電柱に体当たりしたり、道ですれ違った赤の他人にいきなり挨拶したり、そんなアヴァンギャルドな酔っ払いも少なくない。

 なにせ、自制心が利かない。
 それが、酔っ払いだからだ。

 なので、シラフの状態で、笑顔で電柱に体当たりしたり、道ですれ違った赤の他人にいきなり挨拶したり、そんなような大人がいるかといえば、当たりまえだが、まずいない。
 いたとしても、やはり即刻、救急車か警察を呼ばれてしまうだろう。

 しかし、それが子供であれば話はまた別だ。

 笑顔で電柱に体当たりしたり、道ですれ違った赤の他人にいきなり挨拶したりする子供なんて、いくらだっている。
 むしろ、それが普通だ。
 そればかりか、道端でいきなりうんこしたり、うんこ掴んだ手でそのまま物を食ったり、そんなわんぱく盛りな子供も少なくない。

 なにせ、自制心が利かない。
 それが、子供だからだ。

 で、まあ、なんだかまわりくどい言い回しになってしまったが、つまり、酒は美味しいから飲むのではない。

 いや、美味しいから飲む人だって当然いるだろうが、おそらく大概の人間は、

 「子供みたく、本能剥き出しな生き物になりたい」 

 だから、飲む。

 それが、酒というやつなのだろう。

 なにしろ、天下のアイドル・グループ、スマップの一員である。
 我々一般人には到底計り知れないストレスに日々、蝕まれているはずで、だからこそ、草なぎメンバーは、あの夜、人一倍子供になりたい願望が強かったのだろう、と思う。

 でなければ、真夜中の公園において、素っ裸ででんぐり返るだなんて、普通、やらない。
 酔っ払いでも

 「ああ、いかんいかん。やりすぎだ」

 と思う。
 はず。

 ではしかし、子供だったらどうか。
 これは、やりかねない。

 だから、このほどの件では、各方面大勢のお偉いさん方から批判を浴びてしまった草なぎメンバーであるが、逆に、子供からの好感度は大幅にアップしたに違いない。
 じっさい、子供は言うだろう。

 「公園で全裸ででんぐり返りって、そんなのよくあるよ」
 と。
 「むしろ、普通だよ」
 と。
 「なんなら、全裸で縄跳びとかジャングルジム登ったりだとかも、あるよ」
 と。
 「たまにうんこも食うよ」
 と。

 いや、子供だからってさすがにうんこを食らうほどの馬鹿は滅多にいないだろうが、いずれにしても、とくに深刻な被害を受けた者がいるわけでもなし、所詮子供(酔っ払い)のやったこと、と、毎日ストレスだらけの世の中なんだから、せめてこういうときくらい、大人っぽい寛大な対応を下せるような社会であってほしい、と、強く思う。

 というか、天下のアイドル・グループの一員が、深夜の公園で素っ裸ででんぐり返っているのである。
 むしろ、一緒に素っ裸になってでんぐり返る、そんな大人がひとりぐらいいたっていいじゃないか。

 まあ、酔った勢いで他人に絡んでくるような輩は嫌いだし、そういう奴は死んでもいいと思うが、酔いに任せて公園で素っ裸になったうえでんぐり返る人は、どうも嫌いになれない。
posted by とんち番長 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ネタを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

まだケツが痛い

 発症から既に4日ほど経つが、ケツの痛みが(※尾てい骨のあたり。痔、ではない)一向におさまる気配がなく、つらい。

 というか、日を追うごとにむしろ痛みが増している。
 ような気がする。

 医者にケツを見られたくないので、もちろん病院に行くつもりはさらさらないが、せめて患部にエアーサロンパスを吹きかければ少しはマシになるのではないか、と迷っている。
 
 問題は、尾てい骨に向かって一ミリもずらさずにエアーサロンパスを吹きかけなければならない、ということで、万が一ポイントがずれて、金玉及び肛門付近にエアーサロンパスが付着したら、金玉及び肛門周辺がスースーし、結果的に今以上の危機的状況に陥ってしまうことだ。

 「ここ一ヶ月間の疲労の皺寄せか、先日から尾てい骨あたりに痛みを感じるようになったので、患部に向かってエアーサロンパスを吹きかけたのだが、誤まって金玉及び肛門付近にもエアーサロンパスが付着してしまい、結果的によりひどい状況に陥ってしまった。とにかく、尾てい骨が痛いうえに、金玉及び肛門付近がスースーしてかなわない。なので、今日は仕事を休ませてほしい」

 だなんて、とてもじゃないが言えない。

 なんてな感じで、ケツのことを考えるたびひどく落ち込む日々を送っているが、落ち込むと言えば、世界的な経済の落ち込みようは相当なものだと言われている。

 具体的には、物が売れない。
 つまり、商売が成立しない、ということで、商売が成立しなければ、当然、世の中に金が流通せず、その結果、経済が潤わない。大変だ。

 では、この危機的状況を打開するためにはどうすればいいか。

 まあ、それは経済アナリストだとか有名霊媒師だとか、それ相応の専門家に相談するのが一番手っ取り早いのだろうが、俺的にもっとも効果的だと思う打開策がないではない。

 つまり、「○○似の店員がいる店」を多くの企業が展開すればよい、と俺は思う。

 ちなみに、○○の部分には、芸能人やスポーツ選手など、各界の著名人が入る。もちろん、○○に入る著名人は日本人に限らないし、マンガのキャラクターなんかでも全然OKだ。

 具体的な例を挙げよう。

 以前、しょっちゅう通っていた古本屋にラーメンマンによく似た店員のおっさんがいた。
 まあ、じっさいはラーメンマンというより、つり目で長髪の単なる太ったおっさんだったが、とりあえずラーメンマンにしといたほうが面白いので、まあ、そういうことにしておいた。

 で、もちろん、しょっちゅう通っていたのは古本屋に通うのが俺の日課だからというのがあるが、それ以上に、ラーメンマンによく似た店員のおっさんを見たいという欲望が俺の中にあったこともたしかなのである。

 ちなみに、ラーメンマンによく似た店員のおっさんだが、現在はなぜか店から姿を消し、長らく行方不明の状態が続いている。きっとモンゴルに行っていてそのうちモンゴルマンとなって帰ってくるのだろうが、ともあれ、以降、俺がその古本屋にほとんど足を運ばなくなってしまったのは書くまでもないだろう。

 もちろん、いま挙げた例は俺個人に限った話ではない。

 「とにかく有名な人と触れ合いたい。出来れば本人がいいが、まあ、この際、似ている輩でもかまわないから、触れ合いたい!」

 と誰しもが思っているはずだ。

 その証拠に、物真似タレントがショーをするパブみたいなのが巷でかなりの賑わいを見せているというではないか。

 ようするにあれも、

 「ニセモノでもなんでもいいから、とりあえず有名な人と触れ合いたい」

 という人々の欲望の表れなのである。

・吉田栄作似の皿洗いのバイトがいるバーミヤン
・天龍源一郎似のカリスマ美容師がいる美容院
・周富徳似の店員がいるジーンズメイト
・モーガン・フリーマン似の店員がいるローソン
・阿修羅マン似の板前がいる寿司屋

 とりあえず例としていくつか挙げてみたが、誰もが思わず足を向けたくなったことと思う。

 この未曾有の経済不況を打開するためにも、会社を経営している偉い方々にはぜひとも検討していただきたいものだ。


 ともあれ、正直、そんなことはどうでもいいほどにケツが痛く、まあそれにしても、こんなことを書いて本当になんになるのだろうか。
posted by とんち番長 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

疲労

 ケツが痛い。
 
 痔、ではない。
 具体的に言えば、尾てい骨のあたりが痛い。

 痔は、なったことはないのでよく知らないが、たしか、尻の穴がヒリヒリとかジクジクとか、なんかそんなような感じで痛い。イコール痔。

 であったはずで、であるから、症状的にいえば、俺は、痔、ではない。

 ここ一ヶ月ほど、ひじょうに慌しい日々を送っており、どうも、その皺寄せが尾てい骨のほうに来ているらしい。

 歩いているときも多少痛いが、とくに夜、眠るときに仰向けに寝っ転がり、布団に尾てい骨が触れた瞬間が、かなり痛い。

 とはいえ、いまのところ、病院に行くつもりはない。
 ほっときゃ自然に治るだろうし、第一、万が一、医者にケツを見せなきゃならない事態になったら嫌だからだ。

 にしても、疲労でケツが痛くなるとは。はじめて知った。

 まあしかし、これも不幸中の幸いだ。
 ケツが痛い程度で済んで良かった、と思わねば。

 これが

 「金玉が痛い」

 であったら最悪だ。

 疲労で金玉が痛くなるなんて有り得るのかと、甚だ疑問に思うが、絶対にないとは言いきれない。

 上にも書いたとおり、俺はいま、ケツが痛い。
 正直、つらい。

 しかし、別の言い方をすれば、たかがケツの痛みだ。ケツが痛いだのなんて、そんなのほっときゃ自然に治るだろうし、最悪、取り返しのつかない事態となり、結果として手術で尾てい骨を取り外すようなハメになったとしても、まあなんとか生きていけるだろう。

 が、金玉はこうはいかない。

 なにしろ、金玉が痛かったら不安だ。
 
 ケツみたく、ほっときゃ治るだろ、なんて大きく構えてなんか、とてもじゃないがいられない。最悪、金玉を取り外すようなハメになろうものなら、間違いなく、発狂するはずだ。金玉なしの生活なんて考えられない。

 となると、即刻病院に行ったほうが良い、ということになるが、ここでも大きな問題が発生する。

 つまり、病院に行くのだから、当然、外科だか内科だかの医者に向かって

 「金玉が痛い」

 と言わねばならない。

 言えない。そんな大それたセリフ、とてもじゃないが言えそうにない。

 しかも、医者というのは職業上、患者の症状を詳しく訊かねばならないわけで、となると当然、患者であるこちら側は具体的な症状を話さねばならなくなってくる。

 つまり、

 「ここ一ヶ月ちかく、慌しい日々を送っていたせいで疲労が溜まったためか、どうも金玉が痛い。とくに左の玉が痛い。おとついからズキンズキンとした痛みが止まらない。どうやら熱もあるようだ。なんとか治してほしい」

 とかなんとか、言わねばならない。
 
 で、まあ、なんやかんやあって、とりあえず医者に金玉を直接診てもらうことになるのだろう。念には念を入れて、レントゲンも撮ってもらい、それを医者と一緒に真剣ににらめっこ、ということにもなるのだろう。
 いずれにしても、じつにマヌケな絵面だ。最悪である。

 ああ、そう考えると、ケツが痛い程度で本当に良かった。

 
 と、いいかげん更新が滞っていたのでとりあえず書いてみたが、こんなことを書いてはたしてなんになるのだろうか。
posted by とんち番長 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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