2008年01月25日

日本のサングラス事情

 どうにも気になって仕方がないのが、夜中にサングラスをかけて街中をほっつき歩いている輩である。
 
 やめないか。あれ。グラサンかけんの。
 というか、絶対にやめたほうがいいと思う。
 
 たとえば『ロッキー4』だ。

 栄華をきわめた現役生活を終え悠々自適の生活を送るロッキー。そんなロッキーの元に突如、ドラゴという名のソ連の新鋭ボクサーが挑戦状を叩きつける。
 が、現在の幸せな生活に満足しているロッキーはドラゴとの対戦をやんわりと拒否。
 そこに登場するのがロッキーの長年のライバルかつ無二の親友のアポロ・グリードであり、彼がロッキーの変わりにこのドラゴと拳を交えるという話になるわけだが、逆に無残にもドラゴにボコボコにされてしまう。

 「大丈夫かアポロ?!」
 「しっかりするんだアポロ!!」

 と緊迫しているところで場面はいきなり転換、ロッキーをはじめアポロゆかりの人々が喪服にサングラス姿という出で立ちでアポロの葬儀に参列する画が突如として映し出されるシーン。

 いや葬式にグラサンかよ!

 まあ、これには笑った。
 
 いや、むろん、とうのアメリカ人からしたら、こんなのは至って通常の画であり、取り立てて笑うシーンではあるまい。というか、むしろロッキーの友であるアポロの死を悲しむべきシーンであるに違いなく、第一、ロッキーで観客を笑わせる必要などないに決まっているじゃないか。

 なんでもアメリカ人とか青い眼球を持つ人種は、我々日本人のような眼球が黒い人種に比べて紫外線にとても弱く、そのためにサングラスは必要不可欠であるという話を以前どこかで訊いたか読んだりかしたことがあって、そのときはなるほどなあと思った。

 「ああ、だから葬式にグラサンはアリなのね」と。

 つまり、そういう深刻かつナイーヴな事情があるからこそ、アメリカだとかイギリスだとかいう国は世界に名だたるサングラス大国としてその地位を揺るぎないものにしているのだ(たぶん)、と、そういうことなわけだ。

 翻って日本はどうかというと、ことサングラスにかけては紛れもない後進国である。
 
 以前、ウィキペディアで調べ物をしていたところ、吉川晃司のページに辿り着いたのでなんとなく読んでいたら、かつて某アイドルの葬式に出席したとき、先述の『ロッキー4』のシーンと同様の喪服にサングラスという出で立ちで参上したためもの凄く怒られたというエピソードが掲載されていたが、これなんかはその最たる例だろう。 
 
 もちろん、とうの吉川某からしたらそこに悪意などさらさらなく、いつものポリシーというか、要するに自分はあくまでも

 「ロック・スター=グラサン」

 という根底の部分を貫いたに過ぎなかったのだろう。まあ、もしかしたらなんらかの深刻な事情があってかけていたのかもしれないが、たとえそうであったとしても

 「グラサン=かっこつけ」

 というイメージが一般的な日本という国において吉川某のとった一連の行動は、あまりにも無茶でデンジャラスなものだったと言わざるを得ない。

 じっさい我々の国はサングラスに対してことごとく冷たい。
 たとえ夏場の猛烈に日が照っているときであろうとサングラスをかけた人間を見ると、「ああ、こいつかっこつけてるなあ」と思う。
 ではとうの本人はかっこつけているつもりはないかというと、多分にしてかっこつけている。

 「いや、そんなことはないよ」

 とは言わせない。

 なぜならそういう日が照ってるときなんかは俺もかけたりするが、気持ち70ないし80パーセントは「ああ、俺かっこつけてるなあ」と正直思ってるからだ。

 つまり、「眩しい」より「かっこつけ」のほうがパーセンテージが高く、往々にして目的意識が逆なわけで、アメリカの人なんかのように「眼を保護してないとヤバイ」という大義名分があるわけでも、ましてやロックの発明国でもない日本でサングラスという文化は個人的な意識においても社会的な意識においてもひじょうに育ちづらい環境にあるわけだ。

 そんなサングラス稚魚とでも言うべき国でなにが葬式でグラサンか。夜中にグラサンか。

 いや。
 話が大袈裟になってしまった。

 つまり、結局のところ俺が言いたいのはこういうことだ。

 夜にクルマとかで走ってるとき道端で遭遇すると、なにしろ前が見えづらいだろうからいつ飛び出してくるかとこっちひやひやするもんで、頼むからそのグラサン、外して歩いてくれ。

 ロッキー4 (ベストヒット・セレクション)
 (↑噂の『ロッキー4』DVD。ちなみに、僕はテレビでやってるのを観たことしかないが、最後までちゃんと観たことは今まで一度もない)
ラベル:『ロッキー4』
posted by とんち番長 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

「かっこいい織田裕二」と、「面白い織田裕二」

 最近テレビでよく見かける織田裕二のモノマネをする人が異様に面白い。
 
 なにしろ、テレビに彼が登場すると自然と顔がほころび、胸躍るほどだ。
 本当に面白い。
 
 織田裕二のモノマネをする人間といえば、これまでそう多くはなかったように思うが、たしかにいることはいた。しかし、大概があまり似ていなかったり、かなり似ていたとしても微妙にポイントがずれていて、個人的にどうも物足りなさを感じていた。

 では、織田裕二のモノマネをする際のポイントとはなんだろう。

■ドラマなどでクールな演技を見せてくれるのが「かっこいい織田さん」。世界陸上でハイテンションに司会を務めているのが「面白い織田さん」。

■『事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起きてるんだ!』が「かっこいい織田さん」。『霊長類なめんなよ(半笑い)』が「面白い織田さん」。

■びしっとスーツを着こなすのが「かっこいい織田さん」。ワイシャツを第二ボタンまで豪快に外し、胸をはだけさせた格好でいるのが「面白い織田さん」。

■満面の笑みを浮かべながら室井さんと話しているのが「かっこいい織田さん」。満面の笑みを浮かべながら気持ちよさそうに歌を歌っているのが「面白い織田さん」。

 むろん、この「面白い織田さん」をいかに上手くマネるかが、織田裕二を「面白くマネる」際のきわめて重要なポイントであるのは、言うまでもない。

 今まで見てきた織田裕二のモノマネに僕が物足りなさを感じていたのは、大概の人間が「かっこいい織田さん」のほうをマネていたからであり、その点、「今回の彼」は「面白い織田さん」のポイントをしっかりカバーしており、これはもう面白くないわけがなかろうというものだ。

 加えて、ぱっと見似ているようでいて、よく見たらまるで似てないのもおかしい。本物に比べて小太りであり、そのうえ足が異様なほどに短い。ドラえもんで、泉に「きたないジャイアン」、というか要するに「通常のジャイアン」を投げ入れると、中から泉の精が出てきて「きれいなジャイアン」に取り替えてくれるという話があったが()、本物の織田裕二が「きれいな織田裕二」なら、モノマネの彼はまさしく「きたない織田裕二」だ、って、もちろんこれは褒め言葉である。

 
 ※「きたないジャイアン」→「きれいなジャイアン」

 で、モノマネといえばもうひとり、個人的に待望しているのが渡哲也だ。
 これも、これまで意外にいそうでいなかった。

 ちなみに、渡哲也をモノマネする際のポイントは以下のとおりである。

■ドラマで良き父親役を演じるのが「かっこいい渡哲也」。スーツ&レイバンのグラサン姿でライフル片手に単車に跨り、犯人と豪快にカーチェイスを繰り広げるのが「面白い渡哲也」。

■石原プロモーションの代表取締役社長が「かっこいい渡哲也」。西部警察の団長が「面白い渡哲也」。
 
■巨人軍にエールを送るのが「かっこいい渡哲也」。石原軍団の連中と一緒に民衆に炊き出しを配ってエールを送るのが「面白い渡哲也」。
 
■『こんばんは。渡哲也です』が「かっこいい渡哲也」。『マグロ。ご期待下さい』が「面白い渡哲也」。
 
 この「面白い渡哲也」のほうを上手くマネれば良いわけだ。

 じっさいに「面白い渡哲也」のモノマネをする芸人さんが出てきたら、少なくとも一ヶ月間は面白がれる自信があるのだがどうだろう。腕に自信のあるモノマネ芸人さんがいたら、ぜひともチャレンジしていただきたいものだ。

 あと、個人的には猪木のモノマネは、春一番と、くりぃむしちゅ〜の有田で充分だ、とも思う。


・「マグロ。ご期待下さい」の詳細は→こちら
・織田裕二関連記事→「徹底考察〜『織田裕二はなぜ歌をうたうのか』」
・渡哲也(というか「団長」の)関連記事→「アルバム全曲レヴュー『西部警察PARTTVol.1〜コンクリートウエスタン・みんな誰かを愛している』」
posted by とんち番長 at 00:34| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビを見る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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